1.巡礼の歌
・詩篇122編は遠い異国の地からエルサレムに巡礼し、ついにエルサレムに到着した時の喜びを歌った詩篇である。遠くから旅する巡礼者たちは、道中の安全と交わりのために、隊を組んでエルサレムに向かう。そしてついにエルサレムに到着した。詩人はエルサレム城門の中に入り、ここまで来ることが出来たことを感謝する。
-詩篇122:1-2「主の家に行こう、と人々が言った時、私はうれしかった。エルサレムよ、あなたの城門の中に、私たちの足は立っている」。
・エルサレムはダビデ王が都と定め、ソロモンが神殿を立てた。ソロモン死後、王国は南北に分裂し、北王国は滅ぼされ、今では失われた十部族と呼ばれる。詩人はいつの日か、北の諸部族も共にエルサレム神殿に詣でることができるようにと願う。ダビデ王家はバビロニアの侵略、捕囚後には消滅し、その後王家が再興することはなかった。今はもう「ダビデの家の王座」はない。
-詩篇122:3-5「エルサレム、都として建てられた町。そこに、すべては結び合い、そこに、すべての部族、主の部族は上って来る。主の御名に感謝をささげるのはイスラエルの定め。そこにこそ、裁きの王座が、ダビデの家の王座が据えられている」。
・人々は年に三回(過越しの祭、七週の祭り、仮庵の祭り)、エルサレム神殿に巡礼するように命じられていた(申命記16:16-17)。巡礼者たちもその祭りの折にエルサレムを訪れたのであろう。エルサレム、エル(神の)・サレム(シャローム、平和)。高い城壁が敵から町を護り、城郭の中で人々は平安に暮らすことが出来る。エルサレムこそ私たちの避け所と詩人は賛美する。
-詩篇122:6-7「エルサレムの平和を求めよう。あなたを愛する人々に平安があるように。あなたの城壁のうちに平和があるように。あなたの城郭のうちに平安があるように」。
・詩人は喜びの内に、兄弟や友の平和を祈る。
-詩篇122:8-9「私は言おう、私の兄弟、友のために。あなたのうちに平和があるように。私は願おう、私たちの神、主の家のために。あなたに幸いがあるように」。
2.人間の平和と神の平和
・詩人はエルサレムこそ神の平和を求める場所として賛美した。しかし人間は目に見えない「神の平和」ではなく、目に見える「人の平和」を求める。「人間の力によってもたらされる平和」はやがて崩れる。ルカ19章はイエスがエルサレム崩壊を予感して歌われた嘆きの歌として有名だ。エルサレムは紀元70年ローマ軍によって制圧され、町は廃墟となった。高い城壁も何の防護にもならなかった。
-ルカ19:41-44「エルサレムに近づき、都が見えた時、イエスはその都のために泣いて、言われた『もしこの日に、お前も平和への道をわきまえていたなら。しかし今は、それがお前には見えない。やがて時が来て、敵が周りに堡塁を築き、お前を取り巻いて四方から攻め寄せ、お前とそこにいるお前の子らを地にたたきつけ、お前の中の石を残らず崩してしまうだろう。それは、神の訪れてくださる時をわきまえなかったからである』」。
・イエスの時代、世界はローマにより統一され、ローマの平和が讃美され、皇帝アウグストゥスは主(キュリエ)と呼ばれ、その治世は福音(エウアンゲリオン)をもたらすと言われた。ローマの平和は武力による平和である。しかしその平和は永続しない。勝利は一時的に反対勢力を抑えるだけだ。ローマが滅びた後には、誰もアウグストゥスを「主」とは呼ばなかった。
・キリスト教会は皇帝アウグストゥスではなくイエスを主(キュリエ)と呼び、政治的な平和ではなくイエスの教えこそ福音(エウアンゲリオン)であると主張した。ローマ支配の否定だ。ローマ帝国はイエスを殺し、エルサレム神殿を破壊したが(後70年)、300年後にイエスの前に跪く(380年キリスト教国教化)。ルカがクリスマスに天使に歌わせるのは、神の平和こそ永続するものであり、真の平和はローマからは来ないという使信である。
-ルカ2:1-14「そのころ、皇帝アウグストゥスから全領土の住民に、登録をせよとの勅令が出た・・・人々は皆、登録するためにおのおの自分の町へ旅立った。ヨセフもダビデの家に属し、その血筋であったので、ガリラヤの町ナザレから、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った・・・その地方で羊飼いたちが野宿をしながら、夜通し羊の群れの番をしていた。すると、主の天使が近づき、主の栄光が周りを照らした・・・天使は言った『恐れるな。私は、民全体に与えられる大きな喜びを告げる(エウアンゲリゾー)。今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主(キュリエ)・メシアである』・・・この天使に天の大軍が加わり、神を賛美して言った『いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ』。
3.詩編122編の黙想~神の平和を考える
・イザヤ2章4節「剣を捨て、戦いを止めよう」は、ニューヨークの国連ビルの土台石に、言葉が刻み込まれている。人類は有史以来、戦争を繰り返してきた。それは人間の中にある根源的な罪のためであり、その罪を贖い、殺し合いを止めさせ、真の平和を打ち立てるのは人間には不可能であり、だから神の平和を待ち望むと人々は願った。二度の世界大戦を通して、世界は苦しみ、血を流した。「もう、戦争は止めよう、武器を捨てよう。剣を打ち直して鋤とし、槍を打ち直して鎌としよう」と言う理想を掲げて、国連は設立された。しかし、現実の世界では、その後も戦争が相次ぎ、シリアやアフガン、イランやウクライナで戦火は続いている。
-イザヤ2:4「主は国々の争いを裁き、多くの民を戒められる。彼らは剣を打ち直して鋤とし、槍を打ち直して鎌とする。国は国に向かって剣を上げず、もはや戦うことを学ばない」。
・イザヤがいた紀元前700年ごろ、中東ではアッシリアが世界帝国の道を歩んでおり、彼らはシリアを占領し、北イスラエルを滅ぼし、今は圧倒的な軍馬をもってユダ王国に迫っている。人々はアッシリアに対抗するためにエジプトの援助を求めるが、イザヤはこれに反対する「エジプト人は人であって、神ではない。その馬は肉なるものにすぎず、霊ではない」(31: 3)。人々はイザヤの言葉を聴かず、国内は混乱する。
・イザヤは現実の政治の中に主の働きを見た。世界の統治は武力を誇るアッシリアやエジプトによってなされるのではなく、世界を支配される主によって為される。アッシリアも「神の怒りの鞭」(10:5)に過ぎない。だから神の国が地上に成就する終わりの日に諸国民は、こぞってエルサレムに集い、主の平和を求めるだろうとイザヤは預言する。
-イザヤ2:2-3「終わりの日に、主の神殿の山は、山々の頭として堅く立ち、どの峰よりも高くそびえる。国々はこぞって大河のようにそこに向かい、多くの民が来て言う。『主の山に登り、ヤコブの神の家に行こう。主は私たちに道を示される。私たちはその道を歩もう』と。主の教えはシオンから、御言葉はエルサレムから出る」。
・イザヤの時代、多くの人びとは、武器を捨てるイザヤの預言は非現実的であると考えて来た。北には強大な軍事力を誇るアッシリア帝国があり、南には豊かなエジプト帝国があり、その中で小国イスラエルが生き残るためには、両帝国のパワーバランスの中で外交政策を考えるしかなく、イスラエルも相応の武力を持って自衛すべきだとの考え方で、現実の政治はその方向で動いていた。人々は馬や戦車を用意し、アッシリアに貢物を捧げながら、エジプトとの軍事同盟も模索し、城壁も強固にして来た(2:7)。
・状況は日本と似ている。日本は戦争に負け、国土は焼け野原になり、もう兵器はいらなくなり、砲弾や武器を作るために兵器工場に集められた鉄が鋳られ、釜や鍬が作られた。そして新しい憲法が発布された。新憲法は9条1項において「戦争の放棄」を宣言し、9条2項で「いかなる軍隊も武力も保持しない」と宣言する。世界で初めての「非武装中立の平和憲法」が作られた。これはイザヤがまさに夢見た出来事である。イザヤは歌った「主は国々の争いを裁き、多くの民を戒められる。彼らは剣を打ち直して鋤とし、槍を打ち直して鎌とする。国は国に向かって剣を上げず、もはや戦うことを学ばない」。
・日本国憲法は占領軍の中の理想主義的キリスト者たちによって起草されたとされる。しかし、戦争の悲惨さを、身をもって知った多くの日本国民は、この憲法を歓迎し、今日まで自分たちの憲法として守って来た。しかし、平和憲法を制定した後、武力を持たない不安に耐えられず、1954年に自衛隊を発足させ、今日では世界有数の陸・海・空軍を保持している。「武器をより多く持つ者が勝つ」、多くの「現実主義者」は、この世界では「軍馬の思想」のみが有効な生き方だという。
・しかし、歴史上、軍馬の思想で本当の平和が達成されたことはない。軍馬の思想を極限まで推し進めた強国アッシリアはバビロンに滅ぼされ、バビロニアもペルシャに、ペルシャもギリシャに、ギリシャもローマに滅ぼされ、諸帝国は今日では遺跡が残るだけだ。他方、「剣を打ち直して鋤とし、槍を打ち直して鎌とせよ」と語ったイザヤの言葉を受け入れてきたイスラエル民族は今日まで生かされている。
・「やられてもやり返さない、一方的に争いを止める、そういう方法でなければ本当の平和は来ない」、聖書が私たちに教えるのはそうであり、それが最も現実的なあり方だと思える。柔和なイエスがこの世界の歴史の中に誕生したということは、新しい世界が始まったことを意味する。「殴られても殴り返さない。踏まれても踏み返さない」、それこそが平和を生む唯一の方法であり、それを体現するイザヤ2章の預言は2700年後の今日も真理であり、日本国憲法9条の「戦争放棄」の考え方は、イザヤ2章に基づいて制定された条文だと知る時、私たちはそこに神に摂理を見る。