江戸川区南篠崎町にあるキリスト教会です

日本バプテスト連盟 篠崎キリスト教会

2021年1月28日祈祷会(詩編37編、悪を行う者に苛立つな)

投稿日:

 

 

  • 単なる因果論ではなく、現実を見つめる詩人

 

・詩篇37編は、この世に悪があり、正しい者が苦しめられている現実があることを見据えながら、「悪を行う者に苛立つな」と教える。「主が悪を糺されるから、それに信頼せよ」と。

-詩篇37:1-4「悪事を謀る者のことでいら立つな。不正を行う者をうらやむな。彼らは草のように瞬く間に枯れる。青草のようにすぐにしおれる。主に信頼し、善を行え。この地に住み着き、信仰を糧とせよ。主に自らをゆだねよ、主はあなたの心の願いをかなえてくださる」。

・詩人は「あなたの道を主に任せよ」と語る。何故なら、「主が計らって下さる」からだ。

-詩篇37:5-6「あなたの道を主にまかせよ。信頼せよ、主は計らい、あなたの正しさを光のように、あなたのための裁きを、真昼の光のように輝かせてくださる」。

・詩人は単純な因果論(正しい人は栄え、悪人は滅びる)を語るのではない。悪人が「繁栄の道を行く」(37:7)、「野生の木のように勢いよくはびこる」(37:35)現実があり、他方、貧しい人が「虐げられ」(37:14)、「打ち捨てられる」(37:24)現実がある。現実は単なる因果論では説明できない。詩人はその現実を承知したうえで、「悪に対して怒り、憤りを持つな。自分は善人であるとして彼らを裁くな」、「静まって、耐え忍べ」と語る。自らの手で悪を裁く時、あなたもまた悪の手に陥ると。

-詩篇37:7-8「沈黙して主に向かい、主を待ち焦がれよ。繁栄の道を行く者や、悪だくみをする者のことでいら立つな。怒りを解き、憤りを捨てよ。自分も悪事を謀ろうと、いら立ってはならない」。

・悪が一時的に栄えることがあっても、やがて彼らは滅びる。「地を受け継ぐのは、貧しい人、抑圧されている人、あなたがたである」と詩人は力説する。「貧しい人は地を継ぐ」、イエスの山上の説教に引用された句である。

-詩篇37:9-11「悪事を謀る者は断たれ、主に望みをおく人は、地を継ぐ。しばらくすれば、主に逆らう者は消え去る。彼のいた所を調べてみよ、彼は消え去っている。貧しい人は地を継ぎ、豊かな平和に自らをゆだねるであろう」。

 

2.悪に苛立つな、神に委ねよ

 

・詩人のいら立ちは、神に逆らう者が繫栄し、貧しい者が抑圧されている現実にある。主はなぜ悪の存在を放置されるのか、そのいらだちに対し、預言者は繰り返し、主が報復されると伝える。

-マラキ3:5「裁きのために、私はあなたたちに近づき、直ちに告発する。呪術を行う者、姦淫する者、偽って誓う者、雇い人の賃金を不正に奪う者、寡婦、孤児、寄留者を苦しめる者、私を畏れぬ者らを、と万軍の主は言われる」。

・神は貧しいものを愛し、慈しみ、不正なものを懲らしめられる。「寡婦、孤児、寄留者」は貧しい者の代名詞だ。

-詩篇37:12-17「主に従う人に向かって、主に逆らう者はたくらみ、牙をむくが、主は彼を笑われる。彼に定めの日が来るのを見ておられるから。主に逆らう者は剣を抜き、弓を引き絞り、貧しい人、乏しい人を倒そうとし、まっすぐに歩む人を屠ろうとするが、その剣はかえって自分の胸を貫き、弓は折れるであろう・・・主は御自分に逆らう者の腕を折り、従う人を支えてくださる」。

・「歴史は主の支配下にあることを私たちは知っているではないか」と。「そうであれば裁きは主に委ねよ」と詩人は語る。

-詩篇37:18-22「無垢な人の生涯を、主は知っていてくださる。彼らはとこしえに嗣業を持つであろう。災いがふりかかっても、うろたえることなく、飢饉が起こっても飽き足りていられる。しかし、主に逆らい敵対する者は必ず滅びる、献げ物の小羊が焼き尽くされて煙となるように。主に逆らう者は、借りたものも返さない。主に従う人は憐れんで施す。神の祝福を受けた人は地を継ぐ。神の呪いを受けた者は断たれる」。

・「悪に対して心を悩ますのは、悪をも支配される神を信じていないからではないか」と詩人は問いかける。

-詩篇37:30-34「主に従う人は、口に知恵の言葉があり、その舌は正義を語る。神の教えを心に抱き、よろめくことなく歩む。主に逆らう者は待ち構えて、主に従う人を殺そうとする。主は御自分に従う人がその手中に陥って裁かれ、罪に定められることをお許しにならない。主に望みをおき、主の道を守れ。主はあなたを高く上げて、地を継がせてくださる。あなたは逆らう者が断たれるのを見るであろう」。

・本詩においては繰り返し、「正しい者は地を受け継ぐ」と記される。「地を受け継ぐ」という言葉は申命記やヨシュア記に50回以上使われるように、出エジプトの民への土地取得の約束である。本詩においては「約束の地=神の国」を受け継ぐものとして、「地を受け継ぐ」という言葉が用いられている。「主に望みを置く人、貧しい人は地を受け継ぐであろう」、イエスはこの詩篇に着想を与えられて、「山上の説教」を語られたのではないか。

-マタイ5:3-5「心の貧しい人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである。悲しむ人々は、幸いである、その人たちは慰められる。柔和な人々は、幸いである、その人たちは地を受け継ぐ」。

 

3.詩篇37編の黙想

 

・「この世になぜ悪が存在するのか」、イエスは言われた「毒麦(悪)も必要ゆえにこの世に置かれている。だから自分の手で毒麦を抜くな」。社会の中には善も悪もある。自分を善と過信し、悪を滅ぼそうとするな。多くの革命が最終的には「血で血を拭う」結果に終わるのも、教会が分裂するのも、すべて自分の正しさを信じて、自分の手で毒麦を抜こうとするからだ。

-マタイ13:25-30「人々が眠っている間に、敵が来て、麦の中に毒麦を蒔いて行った。芽が出て、実ってみると、毒麦も現れた。僕たちが主人のところに来て言った。『だんなさま、畑には良い種をお蒔きになったではありませんか。どこから毒麦が入ったのでしょう。』主人は、『敵の仕業だ』と言った。そこで、僕たちが、『では、行って抜き集めておきましょうか』と言うと、主人は言った。『いや、毒麦を集めるとき、麦まで一緒に抜くかもしれない。刈り入れまで、両方とも育つままにしておきなさい。刈り入れの時、「まず毒麦を集め、焼くために束にし、麦の方は集めて倉に入れなさい」と、刈り取る者に言いつけよう。』」

・「毒麦(悪)は必要ゆえに、神によってこの世に置かれている」。だから「終わりの時に(終末)に神のなされる審判に委ねよ」とイエスは語られる。

-マタイ13:37-43「良い種を蒔く者は人の子、畑は世界、良い種は御国の子ら、毒麦は悪い者の子らである。毒麦を蒔いた敵は悪魔、刈り入れは世の終わりのことで、刈り入れる者は天使たちである。だから、毒麦が集められて火で焼かれるように、世の終わりにもそうなるのだ。人の子は天使たちを遣わし、つまずきとなるものすべてと不法を行う者どもを自分の国から集めさせ、燃え盛る炉の中に投げ込ませるのである。彼らは、そこで泣きわめいて歯ぎしりするだろう。そのとき、正しい人々はその父の国で太陽のように輝く。耳のある者は聞きなさい」。

・私たちの罪は「自分で悪を滅ぼそう」とする点にある。絶対的な正しさは人にはない。アメリカはイスラム原理主義者を「テロリスト」と呼び、「テロとの戦い」を始め、イラクやアフガンで多くの無辜の民衆が殺されていった。彼らが、善もまた相対的であり、悪への報復は主に委ねるとの信仰があれば、惨劇は避けられたであろう。

-ローマ12:17-19「だれに対しても悪に悪を返さず、すべての人の前で善を行うように心がけなさい。・・・あなたがたは、すべての人と平和に暮らしなさい。愛する人たち、自分で復讐せず、神の怒りに任せなさい。『復讐は私のすること、私が報復すると主は言われる』と書いてあります」。

・コヘレトも語る「正しすぎてはいけない」、自分を正しいと思う者は他者を裁くからだ。

-コヘレト7:16-17「あなたは正しすぎてはならない。知恵がありすぎてはならない。なぜあなたは自分を滅ぼそうとするのか。悪すぎてもいけない。愚かすぎてもいけない。自分の時が来ないのに、なぜ死のうとするのか」(新改訳)。

・それは世の悪を甘受せよとの教えではない。主に信頼して善を行えとの教えである。「人間の手の内に置かれていない出来事は主に任せよ、しかし委ねられていることは為せ」、ラインホルド・ニーバーの祈りは詩編37編の最良の解釈を示す。

-R・ニーバーの祈り「神よ、変えることのできるものについて、それを変えるだけの勇気をわれらに与えたまえ。変えることのできないものについては、それを受けいれるだけの冷静さを与えたまえ。そして、変えることのできるものと、変えることのできないものとを、識別する知恵を与えたまえ」。

-

Copyright© 日本バプテスト連盟 篠崎キリスト教会 , 2024 All Rights Reserved Powered by AFFINGER5.