1.北イスラエルの回復を願う祈り
・詩編80篇は滅ぼされた北イスラエルの回復を願う祈りだ。北イスラエルは前722年アッシリヤにより滅ぼされ、住民は強制移住させられた。エフライム、マナセは北イスラエルの有力部族の名前だ。
-詩編80:1-4「イスラエルを養う方、ヨセフを羊の群れのように導かれる方よ、御耳を傾けてください。ケルビムの上に座し、顕現してください。エフライム、ベニヤミン、マナセの前に。目覚めて御力を振るい、私たちを救うために来てください。神よ、私たちを連れ帰り、御顔の光を輝かせ、私たちをお救いください」。
・詩では「エフライム、ベニヤミン、マナセ」の回復が歌われる。いずれもヤコブの妻ラケルの子たちだ。ラケルはヨセフとベニヤミンを生み、ヨセフは二人の子(エフライム、マナセ)を生んだ。ここではラケルの子どもたち、失われた北部族の回復が祈られている。ユダ王国末期、エレミヤは北王国との統合によるイスラエルの回復を祈った。そのエレミヤの祈りと同じ心が詩編80篇に流れている。
-エレミヤ31:15-17「主はこう言われる。ラマで声が聞こえる、苦悩に満ちて嘆き、泣く声が。ラケルが息子たちのゆえに泣いている。彼女は慰めを拒む、息子たちはもういないのだから。主はこう言われる。泣きやむがよい。目から涙をぬぐいなさい。あなたの苦しみは報いられる、と主は言われる。息子たちは敵の国から帰って来る。あなたの未来には希望がある、と主は言われる。息子たちは自分の国に帰って来る」。
・イエスが生まれた時、ヘロデ王は、ユダヤ人の王を抹殺するために、可能性を持つベツレヘムに住む二歳以下の男児を虐殺した。マタイはその悲しみを、子どもたちを奪われたラケルの嘆きで引用する。
-マタイ2:16-18「さて、ヘロデは占星術の学者たちにだまされたと知って、大いに怒った。そして、人を送り、学者たちに確かめておいた時期に基づいて、ベツレヘムとその周辺一帯にいた二歳以下の男の子を、一人残らず殺させた。こうして預言者エレミヤを通して言われていたことが実現した。『ラマで声が聞こえた。激しく嘆き悲しむ声だ。ラケルは子供たちのことで泣き、慰めてもらおうともしない、子供たちがもういないから。』」
・南北イスラエルの統合は人々の悲願であった。捕囚地の預言者エゼキエルもその日が来ることを祈った。
-エゼキエル37:21-22「私はイスラエルの子らを、彼らが行っていた国々の中から取り、周囲から集め、彼らの土地に連れて行く。私は私の地、イスラエルの山々で彼らを一つの国とする。一人の王が彼らすべての王となる。彼らは二度と二つの国となることなく、二度と二つの王国に分かれることはない」。
・80篇は歌う「主よ、あなたは怒り、北部族を滅ぼされました。彼らは涙のパンを食べています。どうか彼らを戻して下さい」。「神よ、私たちを連れ帰り、御顔の光を輝かせ、私たちをお救いください」という言葉が繰り返されている。
-詩編80:5-8「万軍の神、主よ、あなたの民は祈っています。いつまで怒りの煙をはき続けられるのですか。あなたは涙のパンを私たちに食べさせ、なお、三倍の涙を飲ませられます。私たちは近隣の民のいさかいの的とされ、敵はそれを嘲笑います。万軍の神よ、私たちを連れ帰り、御顔の光を輝かせ、私たちをお救いください」。
2.神はお始めになったことを見捨てられない
・9節から詩人は自分たちを主に植えられたブドウの木になぞらえ、民族の歴史を振り返る。あなたは私たちをエジプトから約束の地に植え替え、その枝はダビデの時代には大きく広がった。しかしあなたはブドウ園の石垣を崩された。そのためにイスラエルは敵国の蹂躙に踏みにじられた。
-詩編80:9-14「あなたはぶどうの木をエジプトから移し、多くの民を追い出して、これを植えられました。そのために場所を整え、根付かせ、この木は地に広がりました・・・あなたは大枝を海にまで、若枝を大河にまで届かせられました。なぜ、あなたはその石垣を破られたのですか・・・森の猪がこれを荒らし、野の獣が食い荒らしています」。
・神が自らのブドウ畑を破壊される、イザヤが預言した通りのことが起きたとの詩人は認識する。
-イザヤ5:5-7「さあ、お前たちに告げよう、私がこのぶどう畑をどうするか。囲いを取り払い、焼かれるにまかせ、石垣を崩し、踏み荒らされるにまかせ、私はこれを見捨てる。枝は刈り込まれず、耕されることもなく、茨やおどろが生い茂るであろう。雨を降らせるな、と私は雲に命じる。イスラエルの家は万軍の主のぶどう畑、主が楽しんで植えられたのはユダの人々。主は裁きを待っておられたのに見よ、流血。正義を待っておられたのに見よ、叫喚」。
・詩人は苦難が、罪に対する神の怒りの結果与えられたと認識する。故にその回復は神がお怒りを鎮められることにしかない。詩人は「私たちを連れ帰り、御顔の光を輝かせ、私たちをお救いください」と繰り返す。
-詩編80:15-20「万軍の神よ、立ち帰ってください。天から目を注いで御覧ください。このぶどうの木を顧みてください。あなたが右の御手で植えられた株を、御自分のために強くされた子を・・・御手があなたの右に立つ人の上にあり、御自分のために強められた人の子の上にありますように。私たちはあなたを離れません。命を得させ、御名を呼ばせてください。万軍の神、主よ、私たちを連れ帰り、御顔の光を輝かせ、私たちをお救いください。」。
3.詩篇80編の黙想(亡国の悲哀の中で)
・国を亡くすという悲哀を私たち日本人は経験していない。しかしイスラエルは亡国を繰り返し経験し、その回復を祈ってきた。イエスが生まれ、宣教を始められたガリラヤを、マタイは「異邦人のガリラヤ」、「死の陰の地」と呼ぶ。ガリラヤは、ゼブルン族とナフタリ族の地であったが、北王国がアッシリヤに滅ぼされた後、その地はアッシリヤの属州となり、民族の混淆が進み、「失われた地」になった。イザヤは、「辱めを受けた」ガリラヤが異邦人支配から解放されて、再びイスラエルに回復される願いを語る。
-イザヤ8:23「先に、ゼブルンの地、ナフタリの地は辱めを受けたが、後には、海沿いの道、ヨルダン川のかなた、異邦人のガリラヤは、栄光を受ける」。
・イエスはイザヤの願いを知り、失われた地の回復のために、ガリラヤで宣教を始められた。
-マタイ4:12-16「(イエスは)ナザレを離れ、ゼブルンとナフタリの地方にある町、カフアルナウムに来て住まわれた。それは預言者イザヤを通して言われていたことが実現するためであった。『ゼブルンの地とナフタリの地、湖沿いの道、ヨルダン川の彼方の地、異邦人のガリラヤ、暗闇に住む民は大きな光を見、死の陰の地に者に光が射し込んだ。』」
・救いのない苦難におかれた時、人はどうすれば良いのだろうか。エティ・ヒレムスはオランダ生まれのユダヤ人で、1943年、29歳でアウシュヴィッツのガス室で亡くなった。彼女は死の運命もまた神が与えられたと受け入れて行く。
-エティ・ヒレムスの日記から「神よ、あなたが私をお見捨てにならないように、私はあなたを助けましょう。一つのことだけが私にはっきりしてきました。あなたは私たちを助けることが出来ず、私たちがあなたを助けなくてはならないということです。そうすることで私たちは終に私たち自身を助けることになりましょう。私たちの中にあるあなたの一部を救うこと、私たちの内にあるあなたの住処を最後の最後まで守らなくてはならないということです」。
・「神はお始めになったことを捨てられることはない」、苦難も神の御手の中にあるとの信仰が詩編80篇にある。曽野綾子「哀歌」の主人公、鳥飼春菜は所属する修道会に命じられて、ルワンダへ赴任し、子どもたちの教育に当たる。やがてルワンダの部族対立が激化し、多数派フツ族の民兵は少数民族ツチ族への暴行や虐殺を開始し、混乱のなかで修道院にいた春菜は暴徒にレイプされ、妊娠する。彼女は日本に帰国するが、修道会は妊娠した修道女を受入れない。春菜は、最初は子どもを中絶しようとする。しかし相談した神父の言葉「神は御自分で為されたことには必ずその結果に対して何らかの責任をお取りになるだろう」が彼女を変え、彼女は与えられた子と共に生きていくことを決意する。
-曽野綾子・哀歌から「神は御自分で為されたことには必ず責任を問われる。神は今回の出来事を通して、あなたを別の任務に使うようにされた、修道女なら誰にも出来る。しかし、神はあなたに別の仕事をお望みになった」。