1.編集者は54編の中にダビデの祈りを見た
・詩篇54編には「ジフ人が来て、ダビデが私たちの下に隠れていると話した時」との前書がある。サムエル記上23章によれば、ダビデがサウルから命を狙われて逃亡していた時、ジフの人々はダビデがひそんでいる事をサウルに密告し、サウルはダビデを捕らえるべく3000人の兵を連れて出陣し、ダビデはマオンの荒野で追いつかれるが、ペリシテ人の大規模侵攻の知らせがサウルに届き、サウルはダビデ追跡をあきらめて引き返す。
-詩篇54:1-2「ダビデの詩。ジフ人が来て、サウルに『ダビデが私たちのもとに隠れている』と話した時」。
・この歌は直接にはダビデの歌ではないであろう。しかし、危機の中にある詩人が、「主はかつて救い出して下さった故に、今度も救い出して下さる」と信じて祈っている様は、ダビデを偲ばせるものがある。ダビデは危機の中にあっても、自分の力に頼らず、主の導きだけに頼った。彼はサウルを殺す機会があっても手をかけなかった。
-サムエル記上24:5-7「ダビデの兵は言った『主があなたに、私はあなたの敵をあなたの手に渡す。思い通りにするがよいと約束されたのは、この時のことです』。ダビデは立って行き、サウルの上着の端をひそかに切り取った。しかしダビデは、サウルの上着の端を切ったことを後悔し、兵に言った『私の主君であり、主が油を注がれた方に、私が手をかけ、このようなことをするのを、主は決して許されない。彼は主が油を注がれた方なのだ』」。
・54編の詩人も歌う「神よ、御名によって私を救い、御業によって私を裁いて下さい」と。
-詩篇54:3-4「神よ、御名によって私を救い、力強い御業によって、私を裁いてください。神よ、私の祈りを聞き、この口にのぼる願いに耳を傾けてください」。
・「御名によって」、詩人はこの争いの解決がどう決着するかは、単なる幸不幸の問題ではなく、神の正義の問題だと考えている。ダビデに例を取れば、ダビデにはサウルを殺して自分が王になる野望はないのに、サウルは邪推してダビデの命を付け狙う。このままダビデが殺されればそれは不義が義を負かしたことになり、神の名が汚される。「私を裁いて下さい」、もし私が間違っていれば滅ぼされても構いませんと詩人は訴える。
-詩編54:5-6「異邦の者が私に逆らって立ち、暴虐な者が私の命をねらっています。彼らは自分の前に神を置こうとしないのです。見よ、神は私を助けてくださる。主は私の魂を支えてくださる」。
・詩人は困難な状況を神の前に提示した「暴虐な者が私の命をねらっています」。彼は告発され、法廷に引き出されているのかもしれない。彼は、神が彼を正しいと認めて下さることを望み、かつ信じた。
-詩編54:6-7「見よ、神は私を助けてくださる。主は私の魂を支えてくださる。私を陥れようとする者に災いを報い、あなたのまことに従って、彼らを絶やしてください」。
・最後に詩人は救いを確信して、感謝の祈りを捧げる。
-詩編54:8-9「主よ、私は自ら進んで生贄をささげ、恵み深いあなたの御名に感謝します。主は苦難から常に救い出してくださいます。私の目が敵を支配しますように」。
2.詩篇54編が伝えるもの
・詩人は、神は義であるゆえに、正しい者が裁かれることはないと信じている。しかし、私たちはこの世において必ずしも正義が貫かれない事を知る。不義が正義を蹂躙し、義なる者が殺されることもある。ヨッヘン・クレッパーはドイツの詩人で讃美歌作者としても知られているが、彼は妻がユダヤ人だった故にナチス政権下で迫害を受け、妻が強制収容所に入れられることに抗議して、自死した。旧約の詩人は復活を信じることができない故に、この世での救済を求める。しかし私たちは復活を信じるゆえに、たとえ私たちが死んでも神の義は行われることを信じる。ヨッヘン・クレッパーはその日記を「み翼の陰に」と題して克明につづり、死後刊行され、多くの人々の共感を得た。彼は讃美歌「闇は深まり」で、彼の希望を歌う。
-新生讃美歌560番「闇は深まり、夜明けは近し。あけの明星、輝くを見よ。夜ごとに嘆き、悲しむ者に、喜びを告ぐる、朝は近し。おさな子となり、僕となりて、御神みずからこの世に降る。重荷負うもの、かしらを上げよ。信ずるものはみな、救いを受けん」。
・54編の詩人は敵の絶滅を祈る(54:7「あなたのまことに従って、彼らを絶やしてください」)。しかし、イエスの赦しを知る私たちは敵の絶滅を祈らない。「報復するな」とのイエスの声を聞いていく。
-ローマ12:19-21「愛する人たち、自分で復讐せず、神の怒りに任せなさい。『復讐は私のすること、私が報復すると主は言われる』と書いてあります。『あなたの敵が飢えていたら食べさせ、渇いていたら飲ませよ。そうすれば、燃える炭火を彼の頭に積むことになる』。悪に負けることなく、善をもって悪に勝ちなさい」。
・非寛容の現代社会では相手を攻撃することによって相手に勝とうとする。しかし信仰者は相手を包み込むことによって勝利を目指す。愛は敵を友に変える力を持つ、それを信じて生きることがキリストに従う生き方である。この福音に生かされた人がアブラハム・リンカーンである。彼が大統領選の選挙運動をしていた時、政敵の一人にエドウィン・スタントンという男がいた。スタントンは旧政権の司法長官であり、リンカーンを嫌い、公衆の面前で何度も彼を罵倒した。ところがリンカーンは大統領に選ばれた時、最重要ポストである陸軍長官にスタントンを選ぶ。側近たちは誰もが反対した「大統領、あなたは間違っておられます。スタントンはあなたの敵なのです。彼はあなたの計画を故意に破壊しようとするでしょう」。それに対しリンカーンは答えました「私はスタントンが私について語った誹謗中傷を知っています。しかし国全体を見渡した時、私は彼がこの仕事に最適な人間だと発見したのです」。そしてリンカーンは付け加えた「私が敵を友に変えてしまう時、敵を滅ぼしたことにはならないでしょうか」。
・2001年9月11日の世界貿易センターへのテロ攻撃に報復するために、アメリカはアフガニスタンに攻め込み、イラクを爆撃した。その結果、アメリカはテロで亡くなった3千人を超える戦死者を出し、アフガン・イラクの死者は10万人を超えている。神の言葉を聞かない者に対する、神の義は貫かれていることを私たちは見る。
-グランド・ゼロからの祈り「復讐を求める合唱の中で、『敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい』と促されたイエスの御言葉に聞くことが出来ますように。キリストは全ての人のために贖いとして御自身を捧げられました。キリストはアフガニスタンの子供や女や男のために死なれました。神はアフガニスタンの人々が空爆で死ぬことを望んでおられません。国は間違っています。神様、為政者のこの悪を善に変えて下さい」(「グランド・ゼロからの祈り」、ジェームズ・マグロー、日本キリスト教団出版局)。