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日本バプテスト連盟 篠崎キリスト教会

2021年8月5日祈祷会(詩編62篇、神の前に静まる)

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1.苦難の中にあっても動揺しない

 

・詩編62篇の前書きは「エドトンに合わせて、賛歌、ダビデの詩」とする。エドトンとは神殿の奏楽者たちを指揮したレビ人の一人で、内容は「エドトンの調べによって歌う」という意味である。

-詩編62:1「指揮者によって。エドトンに合わせて。賛歌。ダビデの詩」。

・詩人は「私の魂は沈黙してただ神に向かう」と歌う。それは「救いは神から来る」と詩人が信じるゆえだ。

-詩編62:2-3「私の魂は沈黙して、ただ神に向かう。神に私の救いはある。神こそ、私の岩、私の救い、砦の塔。私は決して動揺しない」。

・「沈黙して神に向かう」、詩人は困難な状況下にあり、不安や焦り、怒りや不信に心は揺れ動いていたが、神に祈ることによってすべての波が静まり、今は沈黙してすべてを御手に委ねると語る。詩人を取り巻く困難な状況が4節以下に描かれる。

-詩編62:4-5「お前たちはいつまで人に襲いかかるのか。亡きものにしようとして一団となり、人を倒れる壁、崩れる石垣とし、人が身を起こせば、押し倒そうと謀る。常に欺こうとして、口先で祝福し、腹の底で呪う」。

・「お前たち」と呼ばれているのは同じくイスラエルに属する同胞であろう。彼らは「(私を)亡きものにしようとして」襲い掛かり、「(私を)倒れる壁、崩れる石垣」にしようとする。詩人を今の地位から引き下ろし、自分たちが取って代わろうとする権力闘争が背景にあるのかもしれない。故に彼らは「口先で祝福し、腹の底で呪う」。私たちは「罵られたら罵り返し」、「打たれたら打ち返す」存在だ。詩人もそうしたい。しかし彼はその混乱と苦悩の中ですべてを神に委ねて、その裁きを待つ。「私は動揺しない」と彼は述べる。

-詩編62:6-7「私の魂よ、沈黙して、ただ神に向かえ。神にのみ、私は希望をおいている。神は私の岩、私の救い、砦の塔。私は動揺しない」。

 

2.神の前に静まる~自分の力で救済を図らない

・詩人は続ける「私の救いと栄えとは神にかかっている。私の避け所は神だ」と。

-詩編62:8-9「私の救いと栄えは神にかかっている。力と頼み、避けどころとする岩は神のもとにある。民よ、どのような時にも神に信頼し、御前に心を注ぎ出せ。神は私たちの避けどころ」。

・「御前に心を注ぎ出せ」、自分の全存在を神の前にさらけ出し、ありのままの姿を見てもらえ。すべてを神の裁きに委ね、それに従う時に、道は開けて行く。自分の力に頼って何かを為しても、そこに起こるのは虚偽と暴虐であることを私たちは知っているではないかと。

-詩編62:10-11「人の子らは空しいもの。人の子らは欺くもの。共に秤にかけても、息よりも軽い。暴力に依存するな。搾取を空しく誇るな。力が力を生むことに心を奪われるな」。

・私たちは神の前に沈黙して待つことができない。それは「力は神のものであり、慈しみもまた神のものである」ことを信じることが出来ないからだ。神がこの世を支配しておられることを信じることのできない者は人の力を頼る。しかしそれがいかに虚しいかは歴史が指し示している。

-詩編62:12-13「一つのことを神は語り、二つのことを私は聞いた。力は神のものであり、慈しみは、私の主よ、あなたのものである、と。一人一人に、その業に従って、あなたは人間に報いをお与えになる、と」。

・ユダ王国末期の王エホヤキムは祖国にとって最も現実的と思われる政策、すなわちエジプトに頼ってバビロニアに対抗する政策をとった。そのことによってユダはバビロニア軍により滅ぼされてしまった。結果的に「人の救いに頼る」という政策は最も非現実的な政策であった。何故ならば、エジプトは自国の盛衰をかけてまでユダを救わないからだ。日本は日米安保条約に国の防衛を依存するが、アメリカもまた自国を危険にしてまでも日本を救わないだろう。日本の態度はエホヤキムの選択に似ている。

-詩編60:13-14「どうか我らを助け、敵からお救いください。人間の与える救いはむなしいものです。神と共に我らは力を振るいます。神が敵を踏みにじってくださいます」。

 

3.聖書記述の中での沈黙の命令

 

・モーセは、エジプトの軍隊に追撃され、恐怖の叫びをあげるイスラエルの民に、主が戦われるのであなたがたは沈黙せよと命じる。

-出エジプト記14:9-14「エジプト軍は彼らの後を追い、ファラオの馬と戦車、騎兵と歩兵は・・・バアル・ツェフォンの前の海辺に宿営している彼らに追いついた。ファラオは既に間近に迫り、イスラエルの人々が目を上げて見ると、エジプト軍は既に背後に襲いかかろうとしていた。イスラエルの人々は非常に恐れて主に向かって叫び、また、モーセに言った。『我々を連れ出したのは、エジプトに墓がないからですか。荒れ野で死なせるためですか・・・』。モーセは民に答えた。『恐れてはならない。落ち着いて、今日、あなたたちのために行われる主の救いを見なさい。あなたたちは今日、エジプト人を見ているが、もう二度と、永久に彼らを見ることはない。主があなたたちのために戦われる。あなたたちは静かにしていなさい』」

・かつてアッシリアの軍隊がエルサレムを取り囲んだ時、人々は動揺し、慌てふためいた。その人々に預言者イザヤは言う「立ち返って静かにしているならば救われる」。しかし人々は静かに待つことはできなかった。

-イザヤ30:15-16「まことに、イスラエルの聖なる方、わが主なる神は、こう言われた『お前たちは、立ち帰って、静かにしているならば救われる。安らかに信頼していることにこそ力がある』と。しかし、お前たちはそれを望まなかった。お前たちは言った『そうしてはいられない、馬に乗って逃げよう』と。それゆえ、お前たちは逃げなければならない。また『速い馬に乗ろう』と言ったゆえに、あなたたちを追う者は速いであろう」。

・バビロニア軍によってエルサレムを滅ぼされ、占領された民に預言者は語る「黙して神の救いを待て」と。

-哀歌3:28-33「軛を負わされたなら、黙して、独り座っているがよい。塵に口をつけよ、望みが見いだせるかもしれない。打つ者に頬を向けよ、十分に懲らしめを味わえ。主は、決してあなたをいつまでも捨て置かれはしない。主の慈しみは深く、懲らしめても、また憐れんでくださる。人の子らを苦しめ悩ますことがあっても、それが御心なのではない」。

 

4.現代における非難中傷を考える

 

・コロナ危機の中で「武漢日記」を書いて世界的に有名になった方方(ファンファン)さんに、今、売国奴、非国民等の激しい批判が寄せられている。いつの時代でも人は敵からの激しい告発を受け、悩む。

-世界で最初に新型コロナウイルスの感染が拡大し、2カ月以上にわたる都市封鎖が続いた中国湖北省武漢市。封鎖下の街にとどまり、日々の暮らしや社会への思いをつづった日記をネットで発表した地元の女性作家、方方(ファンファン)さん(65)が今、国内で激しいバッシングにさらされている。武漢封鎖の2日後から連日ブログに投稿された日記は、市民目線を貫きつつ、時に政府の対応への疑問や批判も臆せず書いた。「真実を伝えている」と支持を集め、読者は国内外に1億人超とも言われた。風向きが変わったのは、米国の出版社から英語版の出版が予定されていると発表された時からで、方方さんへの批判が中国のSNS上にあふれるようになった。「売名と米国の利益のために中国を貶めている」「武漢を金もうけに利用した売国奴」「ウイルスと闘っている全ての中国人民に謝罪しろ」「中国を侮辱している」と批判があふれた」(2020年6月9日 朝日新聞)。

・人は常に不当な告発を受けることがありうる。それがこの世の慣わしだ。その中で、信仰を持って主に訴えることの出来る者は幸いだと思う。「私を裁かれるのは主であり、あなたではない」、と反論できるからだ。

-第一コリント4:3-5「私にとっては、あなたがたから裁かれようと、人間の法廷で裁かれようと、少しも問題ではありません。私は、自分で自分を裁くことすらしません。自分には何もやましいところはないが、それで私が義とされているわけではありません。私を裁くのは主なのです。主が来られるまでは、先走って何も裁いてはいけません」。

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