江戸川区南篠崎町にあるキリスト教会です

日本バプテスト連盟 篠崎キリスト教会

2021年6月24日祈祷会(詩篇56編、どこにも逃れる場がなくなった時)

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1.ダビデの逃亡生活

 

・詩編56篇には「ダビデがガドでペリシテ人に捕えられた時」との表題が付いている。物語はサムエル記上21:11‐15にある。サウルに追われて敵陣に逃れたダビデを、敵軍が捕えて殺そうとした時の歌とする。

-サムエル記上21:11-15「ダビデは・・・サウルから逃れ、ガトの王アキシュのもとに来た。アキシュの家臣は言った『この男はかの地の王、ダビデではありませんか。この男についてみんなが踊りながら、サウルは千を討ち、ダビデは万を討ったと歌ったのです』。ダビデは・・・アキシュを大変恐れた。そこで彼は、人々の前で変わったふるまいをした。彼らに捕らえられると、気が狂ったのだと見せかけ、ひげによだれを垂らしたり、城門の扉をかきむしったりした。アキシュは家臣に言った『見てみろ、この男は気が狂っている。なぜ連れて来たのだ』」。

・多くの学者はこの歌をユダの人々がバビロンに囚われていった時、虐げられ、侮られた苦難の日々の中で、ダビデの信仰を忍んで歌ったものとみる。逃場のない苦難の中で人はどうすればよいのかが主題である。

-詩編56:2-3「神よ、私を憐れんでください。私は人に踏みにじられています。戦いを挑む者が絶えることなく私を虐げ、陥れようとする者が絶えることなく私を踏みにじります。高くいます方よ、多くの者が私に戦いを挑みます」。

・ダビデはサウル王の迫害から逃れるために、敵のペリシテ人の地に入るが、そこでも命を狙われる。前にも後ろにも引けない状況に追い込まれた時、人はどうするのか。詩人はひたすら神に依り頼む。神以外に救いはないからだ。

-詩編56:4-5「恐れをいだくとき、私はあなたに依り頼みます。神の御言葉を賛美します。神に依り頼めば恐れはありません。肉にすぎない者が私に何をなしえましょう」。

・この世界を人間が支配すると考えた時、人は敵の強大さに恐れまどう。サウルはイスラエルの王であり、アキシュはペリシテの王であった。両者から追われて、ダビデには安住の地はない。しかし、この世界が「神が働かれる場」と信じる時、恐れは消える。「サウルもアキシュも肉なる者にすぎない。何ができよう」。肉なる者=アダム、どのような人もやがては塵に帰る。それだけの存在であるゆえに、恐れない。

-創世記3:19「お前は顔に汗を流してパンを得る、土に返る時まで。お前がそこから取られた土に。塵にすぎないお前は塵に返る」。

・パウロも行き詰った時、ひたすら主に祈り、安心を与えられた。パウロは語る「神が私たちの味方であるならば、だれが私たちに敵対できますか」。

-ローマ8:31-33「もし神が私たちの味方であるならば、だれが私たちに敵対できますか・・・だれが神に選ばれた者たちを訴えるでしょう。人を義としてくださるのは神なのです」。

・「人々は私の言葉を曲げ、待ち構えて争いを起し、命を奪おうとしてうかがっている」、その中にあって私は挫けない、「あなたが私の涙を革袋に蓄え、私の嘆きを書き記していて下さることを知るからです」と詩人は歌う。

-詩編56:6-9「私の言葉はいつも苦痛となります。人々は私に対して災いを謀り、待ち構えて争いを起こし、命を奪おうとして後をうかがいます。彼らの逃れ場は偶像にすぎません。神よ、怒りを発し、諸国の民を屈服させてください。あなたは私の嘆きを数えられたはずです。あなたの記録に、それが載っているではありませんか。あなたの革袋に私の涙を蓄えてください」。

 

2. 私たちの涙を革袋に蓄えられる神

 

・「あなたは私の嘆きを数えられた。あなたの記録に、それが載っている。あなたの革袋に私の涙を蓄えてください」と詩人は祈った。神はこの苦難、この悲しみを知っておられる。人が私たちを見捨てた時も神は見捨てられない。その安心が詩人に神を讃美させる。

-詩編56:10-12「神を呼べば、敵は必ず退き、神は私の味方だと私は悟るでしょう。神の御言葉を賛美します。主の御言葉を賛美します。神に依り頼めば恐れはありません。人間が私に何をなしえましょう」。

・旧約聖書において、主なる神は辛苦の中で叫ぶ民の声を聴いて下さる神であり、悲嘆の涙をぬぐい取ってくださる方だの信仰があった。

-出エジプト記2:23-25「長い年月がたち、エジプト王は死んだ。その間イスラエルの人々は労働のゆえにうめき、叫んだ。労働のゆえに助けを求める彼らの叫び声は神に届いた。神はその嘆きを聞き、アブラハム、イサク、ヤコブとの契約を思い起こされた。神はイスラエルの人々を顧み、御心に留められた」。

・悲しみの声を聴いて下さった神が動かれる時、「人が私に何をなしえましょう」と語ることができる。この信仰を与えられた者はどのような状況の中でも主を讃美できる。

-詩編56:13-14「神よ、あなたに誓ったとおり、感謝の献げ物をささげます。あなたは死から私の魂を救い、突き落とされようとした私の足を救い、命の光の中に、神の御前を歩かせてくださいます」。

 

3.歴史の中での詩篇56編

 

・「人が私に何をなしえましょう」、この信仰が歴史を変える。ルターはカトリック教会を批判し、その著書をとり取り消さなければ処罰すると言われた時、「ここに私は立つ。神よ、私を助けたまえ」と祈った(1521年ウォルムス国会での証言)。

-「私は教皇と公会議の権威は認めません・・・私の良心は神の御言葉にとらわれているのです。私は何も取り消すことができないし、取り消そうとも思わない。何故なら、良心にそむくことは正しくないし、安全でもないからです。これよりほかに私はどうすることもできない。ここに私は立つ。神よ、私を助けたまえ。アーメン。」

・内村鑑三は「基督信徒の慰め」で、次から次に襲い来る苦難の中でどのような慰めを神から得たのかを語る。第一章「愛する者の失せし時」、第二章「国人に捨てられし時」、第三章「基督教会に捨てられし時」、第四章「事業に失敗せし時」、第五章「貧に迫りし時」、第六章「不治の病に罹りし時」 、すべて当時の彼を襲った苦難(妻の死、国賊との非難、基督教会からの批判、失業による貧困など)がきっかけとなっている。彼は言う「自分も頭では理解していた、しかし実際問題にぶつかってその空論であることを知った」。しかし、彼は信仰をそこで捨ててしまうのではなく、むしろ実際問題を信仰の視点から克服する。そして彼は自身の信仰を昇華させていく。神と共にある苦難がダビデを形成し、内村鑑三を育てていった。共にいます神、それを信じることができた時、全ての困難は困難のままに祝福に変わっていく。

-イザヤ41:10-14「恐れることはない、私はあなたと共にいる神。たじろぐな、私はあなたの神。勢いを与えてあなたを助け、私の救いの右の手であなたを支える。見よ、あなたに対して怒りを燃やす者は皆、恥を受け、辱められ、争う者は滅ぼされ、無に等しくなる。争いを仕掛ける者は捜しても見いだせず、戦いを挑む者は無に帰し、むなしくなる。私は主、あなたの神。あなたの右の手を固く取って言う、恐れるな、私はあなたを助ける、と。あなたを贖う方、イスラエルの聖なる神、主は言われる。恐れるな、虫けらのようなヤコブよ、イスラエルの人々よ、私はあなたを助ける」。

・この「恐れるな」との呼びかけは新約聖書にも継承されている。

-ルカ12:4-7「友人であるあなたがたに言っておく。体を殺しても、その後、それ以上何もできない者どもを恐れてはならない。だれを恐れるべきか、教えよう。それは、殺した後で、地獄に投げ込む権威を持っている方だ。そうだ。言っておくが、この方を恐れなさい。五羽の雀が二アサリオンで売られているではないか。だが、その一羽さえ、神がお忘れになるようなことはない。それどころか、あなたがたの髪の毛までも一本残らず数えられている。恐れるな。あなたがたはたくさんの雀よりもはるかにまさっている。」

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