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日本バプテスト連盟 篠崎キリスト教会

2021年5月27日祈祷会(詩篇52編、人の罪と神の裁き)

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1.詩篇52編の伝えるもの

 

・詩篇52編は前書きで、「エドム人ドエグがサウルのもとに来て、『ダビデがアヒメレクの家に来た』と告げた時」と書く。出来事はサムエル記上21-22章に記載されている。若き日のダビデがサウル王から「王位をねらう者」と疑われ、逃亡生活をやむなくされた時、祭司アヒメレクから供えのパンとゴリアテの剣をもらって急場をしのいだ。そのことを部下のドエグから聞かされたサウル王は怒り、ダビデを支援したノブの町の祭司85人とその家族を皆殺しにした。その悲惨な出来事を聞いたダビデがこの詩を書いたと編集者は考えた。

-詩篇52:1-2「指揮者によって。マスキール。ダビデの詩。エドム人ドエグがサウルのもとに来て、『ダビデがアヒメレクの家に来た』と告げた時」。

・52編は、横暴な者がその武勇を誇り、悪をはばからず行った時、「神は彼を裁かれる」との内容を歌っており、詩篇編集者がアビメレク事件を引き起こしたサウル王の暴虐を想起して前書きを書いたとされる。しかしこの詩篇は、「悪人は滅ぼされる」とするが、特にサウロ王の悪事を歌ったものではない。

-詩篇52:3「力ある者よ、なぜ悪事を誇るのか。神の慈しみの絶えることはないが、お前の考えることは破滅をもたらす」。

・権力を握る悪者は、地上に敵なしとして、人を欺いて自分の富を増やしてきた。

-詩篇52:4-6「舌は刃物のように鋭く、人を欺く。お前は善よりも悪を、正しい言葉よりもうそを好み、人を破滅に落とす言葉、欺く舌を好む」。

・しかし横暴な権力者は神により滅ぼされた。神は悪を放置されず、彼を天幕から引き出し、根絶されたと詩人は歌う。

-詩篇52:7「神はお前を打ち倒し、永久に滅ぼされる。お前を天幕から引き抜き、命ある者の地から根こそぎにされる」。

・詩人は実際に、「富と力に依り頼み、悪を行う」人間に苦しめられ、対決してきたのであろう。そして、その人間が滅びたさまを実際に見た。だから彼は言う「見よ、この男を。彼は自分の富と力に頼った故に神に滅ぼされた」と。

-詩篇52:8-9「これを見て、神に従う人は神を畏れる。彼らはこの男を笑って言う『見よ、この男は神を力と頼まず、自分の莫大な富に依り頼み、自分を滅ぼすものを力と頼んでいた』」。

・自分の富と権力に頼る愚かさを見てきた詩人は、神に依り頼む者の幸いを歌いあげる。

-詩篇52:10-11「私は生い茂るオリーブの木。神の家にとどまります。世々限りなく、神の慈しみに依り頼みます。あなたが計らってくださいますから、とこしえに、感謝をささげます。御名に望みをおきます。あなたの慈しみに生きる人に対して恵み深い、あなたの御名に」。

 

2.信仰と現実

 

・詩篇52編は直接にはアヒメレク事件との関係はないと思われる。しかし、自分を助けたアヒメレクとその一族が、自分ゆえに虐殺されたことを聞いたダビデの心境は、この詩人と同じであったかもしれない。神は、サウルとドエグの犯したような罪は放置されず、裁かれるとダビデは思ったのであろう。事実、サウルはやがて窮地に追い込まれて戦死を遂げ、ドエグもまた幸せな末路は遂げなかったと思われる。

-サムエル記上31:4-6「サウルは彼の武器を持つ従卒に命じた『お前の剣を抜き、私を刺し殺してくれ。あの無割礼の者どもに襲われて刺し殺され、なぶりものにされたくない』・・・サウルは剣を取り、その上に倒れ伏した・・・この同じ日に、サウルとその三人の息子、従卒、更に彼の兵は皆死んだ」。

・この詩が歌われた本来の場面は、「いわれなき訴えを受けた信仰者が、告訴する者の虚偽を暴き、神の慈愛に信頼する自己の正しさを主張している」のであろう。本詩の成立はダビデから500年後、第二神殿時代であろうと思われる(神の家は神殿を指すが、ダビデ時代には神殿はまだなかった)。

-詩篇52:10「私は生い茂るオリーブの木。神の家にとどまります」。

 

3.後の人びとはこの詩篇をどう読んだか

 

・箴言は「勤勉が富をもたらし、富める者には財産がその砦となる」とし、富自体は肯定的に受け止める。

-箴言10:4-15「手のひらに欺きがあれば貧乏になる。勤勉な人の手は富をもたらす。夏のうちに集めるのは成功をもたらす子。刈り入れ時に眠るのは恥をもたらす子・・・金持ちの財産は彼の砦、弱い人の貧乏は破滅」。

・しかし富を人生の目的とする者は倒されるとも語る。

-箴言11:28「富に依存する者は倒れる。神に従う人は木の葉のように茂る」。

・預言者たちは虚偽や欺きで富を集める者たちを激しく批判した。

-ミカ6:12「都の金持ちは不法で満ち、住民は偽りを語る。彼らの口には欺く舌がある」。

・イエスは、ルカ12章「愚かな金持ち」の譬えで、自分の富に頼り、神に頼らない愚かさを語られた。愚かな金持ちの譬えは、詩篇52編に通じる「この男は神を力と頼まず、自分の莫大な富に依り頼み、自分を滅ぼすものを頼った」。

-ルカ12:16-21「ある金持ちの畑が豊作だった。金持ちは・・・言った『倉を壊して、もっと大きいのを建て、そこに穀物や財産をみなしまい、こう自分に言ってやるのだ。さあ、これから先何年も生きて行くだけの蓄えができたぞ。ひと休みして、食べたり飲んだりして楽しめと』。しかし神は『愚かな者よ、今夜、お前の命は取り上げられる。お前が用意した物は、いったいだれのものになるのか』と言われた」。

*「愚かな者よ、今夜、お前の命は取り上げられる」の新共同訳は受動形で訳すが、原文では「彼らは今晩、お前の魂をお前から取り上げる」とあり、「苦しめられている農民たちが地主に対して立ち上がり、一揆によってこの地主の命が奪われる」とのニュアンスがある。

・アメリカでは「富と成功」の福音が根強い人気を持つ。「自分は成功した。神の祝福が伴わなければ、こんな幸運を得ることはできない。神が祝福してくれているのだから自分は正しい」と彼らは考える。この考え方は、「愚かな金持ち」の思いと似ている。

-森本あんり「アメリカは負けを理解できない」から「アメリカに土着化したキリスト教は、世俗化して、自己礼賛的な論理にすり替わった。キリスト教自体には、国家を超越して現世を批判するような側面がもちろんある。ところがアメリカのキリスト教は、そういう現世批判的な部分を次々にそぎ落としていって、徹底的に楽観的で自己肯定的な宗教に変質してしまった」。

・メソジスト教会の創設者ジョン・ウェスレーは教えた「できる限り稼ぎ、できる限り蓄え、できる限り与えよ」。愚かな金持ちは「できる限り与える」ことが出来ず、富を独り占めしようとした。それを神は許されないとイエスは言われた。現代の人々もまた、「地上に富を積む」ことに執着する。地上の富の最大化を目指す運動こそ、現代の「市場原理主義」(強欲資本主義)であり、市場(人間の欲)が「神」になっている。しかし、この体制は長続きしないであろう。何故ならば、「それは人々を幸せにせず、神は人々を苦しめる悪を放置されない」からだ。モルトマンの「希望の倫理学」を翻訳した福嶋揚は語る。

-福嶋揚「終末論と資本主義」から。「死ねばすべてが無に帰すと考える人間にとって、天に宝を積むことは無意味で抽象的なことである。天の富に関心を持たない生は、地上における富の最大化を目指し、地上だけで完結しようとする。そのような生の最も支配的な形態は資本主義である。その資本主義が今終末期を迎えている。(その中で)聖書の物語は地上の生の意味を、自己の富を最大化することではなく、社会の周辺へと追われ苦難の中にある人々を友にすることにある」。

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