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日本バプテスト連盟 篠崎キリスト教会

2020年7月2日祈祷会(詩篇8編、創造主を讃える詩)

投稿日:2020年7月2日 更新日:

 

1.神の偉大と人間の卑小

 

・詩篇8編は創造主を讃える詩篇だ。祈り手は夜空に果てしなく広がる星を見て、この無限の天空を創造された主に驚嘆し、神の偉大さを幼児も認めて賛美すると言う。

-詩篇8:2-3a「主よ、私たちの主よ、あなたの御名は、いかに力強く、全地に満ちていることでしょう。天に輝くあなたの威光をたたえます。幼子、乳飲み子の口によって」。

・神の偉大さの前には人が創造する王宮も砦も何の意味も無い。しかし人はそれらを支えとし、誇りとして、人は神に逆らう。私たちが生涯を捧げて造った事業も建造物も無限の存在の前にはあってなきものだ。

-詩篇8:3b「あなたは刃向かう者に向かって砦を築き、報復する敵を絶ち滅ぼされます」。

・無限の宇宙を創造された神の前に立った時、人は圧倒され、「自分は何者なのか」と問わざるを得ない。

-詩篇8:4-5「あなたの天を、あなたの指の業を、私は仰ぎます。月も、星も、あなたが配置なさったもの。そのあなたが御心に留めてくださるとは、人間は何ものなのでしょう。人の子は何ものなのでしょう。あなたが顧みてくださるとは」。

・人間と訳された「エノシュ」は人の弱さを示す言葉だ。人間は塵によって造られた卑小な存在に過ぎないと創世記2章は語る。

-創世記2:7「主なる神は、土(アダマ)の塵で人(アダム)を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた。人はこうして生きる者となった」。

・しかし同時に、神は人間を万物の長として造られた。

-詩篇8:6-9「神に僅かに劣るものとして人を造り、なお、栄光と威光を冠としていただかせ、御手によって造られたものをすべて治めるように、その足もとに置かれました。羊も牛も、野の獣も、空の鳥、海の魚、海路を渡るものも」。

 

2.バビロン捕囚の絶望の中で、この詩篇は歌われている

 

・この詩篇はバビロン捕囚後に作られている。創世記1章は祭司資料であり、捕囚期に編集された。その創世記を念頭に置いて書かれた詩篇だ。イスラエルは国を滅ぼされ、王宮も神殿も失い、丸裸の存在になった。敗戦の民として、彼らは自己の卑小さを思い知らされる。それでも神は、自己の姿に似せて人を創造されたことを彼らは思う。自分たちは卑小ではあるが、同時に永遠の存在とつながり続けている。その思いが創世記を生み、詩篇8編を生んだ。

・祈り手は創世記1章の人の創造を思い起こしている。

-創世記1:26-28「神は言われた『我々にかたどり、我々に似せて、人を造ろう。そして海の魚、空の鳥、家畜、地の獣、地を這うものすべてを支配させよう』。神は御自分にかたどって人を創造された。神にかたどって創造された。男と女に創造された。神は彼らを祝福して言われた『産めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ。海の魚、空の鳥、地の上を這う生き物をすべて支配せよ』」。

・神を見失った人は、人間存在を二重の視点(卑小でかつ偉大な存在としての人間)で見る事が出来ない。だからある時は驕り高ぶり傲慢になるが、次には自己に絶望し卑小になる。祈り手は神を知る喜びを歌う。

-詩篇8:10「主よ、私たちの主よ。あなたの御名は、いかに力強く、全地に満ちていることでしょう」。

・人が創造した王宮も神殿も城壁も一瞬に消失してしまった。国を滅ぼされ、全てを失くした今、彼らは主の言葉を思い起こす。滅亡の前、イザヤは「あなたの語る言葉を誰も聞かないが、国が滅びた時に聞くようになる。残された者のために語れ」と命じられた。人が神の偉大さを知る時は人が砕かれた時、全てを失くした時、その挫折こそが人を人とする。

-イザヤ6:9-11「主は言われた『行け、この民に言うがよい。よく聞け、しかし理解するな。よく見よ、しかし悟るな、と。この民の心をかたくなにし、耳を鈍く、目を暗くせよ。目で見ることなく、耳で聞くことなく、その心で理解することなく、悔い改めていやされることのないために』。私は言った『主よ、いつまででしょうか』。主は答えられた『町々が崩れ去って、住む者もなく、家々には人影もなく、大地が荒廃して崩れ去るときまで』」。

・人は塵だから塵に帰る。主を知る者は、「自分がいかに卑小か」を知る故に、驕り高ぶらない。

-詩篇90:3-6「あなたは人を塵に返し、『人の子よ、帰れ』と仰せになります。千年といえども御目には昨日が今日へと移る夜の一時にすぎません。あなたは眠りの中に人を漂わせ、朝が来れば、人は草のように移ろいます。朝が来れば花を咲かせ、やがて移ろい、夕べにはしおれ、枯れて行きます」。

・しかし主は、その人間に、万物の支配を委託される。主を知る者は、「主が愛してくださる」ことを知る故に絶望しない。

-イザヤ43:1-4「恐れるな、私はあなたを贖う。あなたは私のもの。私はあなたの名を呼ぶ。水の中を通るときも、私はあなたと共にいる。大河の中を通っても、あなたは押し流されない。火の中を歩いても、焼かれず、炎はあなたに燃えつかない・・・私の目にあなたは価高く、貴く、私はあなたを愛し、あなたの身代わりとして人を与え国々をあなたの魂の代わりとする」。

 

3.創世記における二つの人間観

 

・創世記には二つの異なった人間観がある。一つは創世記1章の、神の形に造られた人間観で、この人間観が近代の自然破壊を生んできた。現代人は語る「動物は環境に縛られているが人間は世界に開かれている、動物は精神を持たないが人間は精神的な存在である、動物には魂はないが、人間には魂がある」。

・この背後には、市民社会の産業時代における、人間支配を正当化する大きな分断がある。背景にあるのは創世記1章の、「神の形に造られた人間」、「自然を支配する世界観」である。

-創世記1:26-27「神は言われた。『 我々にかたどり、我々に似せて、人を造ろう。そして海の魚、空の鳥、家畜、地の獣、地を這うものすべてを支配させよう 』。神は御自分にかたどって人を創造された。神にかたどって創造された 」。

・しかし、人間は自然の支配者ではないことは明らかだ 。無制限な化石燃料の使用により、地球温暖化が進行し、異常気象の頻発や海水面の増加、地球の砂漠化、水資源の枯渇等が人間活動を制約している。人間は環境から自由ではない。

・聖書は同時に、人間は他の動物と同じ、被造物であると主張する(創世記2章)。聖書は、「人間が地球の中心にいるのではなく、地球上の普遍的な生命の一部にしか過ぎない」ことを明白にする。人は塵から造られた。創世記 2 章は1章と異なり、「人は塵から造られた」と語る 。この人間観こそ、今の時代に必要な人間観である。

-創世記2:7「主なる神は、土(アダマ)の塵で人(アダム)を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた。人はこうして生きる者となった」。

・創世記2章は、人間は共同体を管理する役割を与えられたと提示する。人は支配者ではなく、管理者なのだ。それを忘れてはいけない。

-創世記2:15「主なる神は人を連れて来て、エデンの園に住まわせ、人がそこを耕し、守るようにされた」 。

・詩篇8編は、人間存在を二重の視点から、すなわち卑小であり、しかし偉大な存在として見ることを求める。人はある時は驕り高ぶり傲慢になるが、次には自己に絶望し卑小になる。この人の二重性を知った時、人は神の前に跪く。

-第一コリント1:27-28「神は知恵ある者に恥をかかせるため、世の無学な者を選び、力ある者に恥をかかせるため、世の無力な者を選ばれました。また、神は地位のある者を無力な者とするため、世の無に等しい者、身分の卑しい者や見下げられている者を選ばれたのです」。

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