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日本バプテスト連盟 篠崎キリスト教会

2020年3月5日祈祷会(列王記下13章、エリシャの死とイスラエルの衰退)

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1.イスラエルの衰退

 

・新しく王となったイエフもヤロブアムの罪(偶像礼拝)を離れなかったため、主はイスラエルを衰退に向かわせられたと列王記は記す(列王記下10:31-33)。イエフが死に、子のヨアハズが王を継承したが、イスラエルは悔改めず、主はイスラエルをアラム(シリア)の軍隊が蹂躙するに任せられた。ここでもヤロブアムの罪が指摘されている。

-列王記下13:1-3「イエフの子ヨアハズがサマリアでイスラエルの王となり、十七年間王位にあった。彼は主の目に悪とされることを行い、イスラエルに罪を犯させたネバトの子ヤロブアムの罪に従って歩み、それを離れなかった。主はイスラエルに対して怒りを燃やし、彼らを絶えずアラムの王ハザエルの手とハザエルの子ベン・ハダドの手にお渡しになった」。

・ヨアハズは主に願い、主はイスラエルのためにアラムを撃つ者を与えられた。具体的にはアッシリアの台頭によりアラムの勢力が減殺され、一時的にイスラエルがその領土を回復したことを指すのであろう。

-列王記下13:4-5「ヨアハズが主をなだめたので、主はこれを聞き入れられた。主はイスラエルが圧迫されていること、アラムの王が彼らに圧迫を加えていることを御覧になった・・・主はイスラエルに一人の救い手を与えられた。イスラエルの人々はアラムの支配から解放されて、以前のように自分たちの天幕に住めるようになった」。

・ヨアハズの子ヨアシュの代になっても状況は同じで、彼もヤロブアムの罪を離れることが出来なかった。

-列王記下13:10-11「ユダの王ヨアシュの治世第三十七年に、ヨアハズの子ヨアシュがサマリアでイスラエルの王となり、十六年間王位にあった。彼は主の目に悪とされることを行い、イスラエルに罪を犯させたネバトの子ヤロブアムの罪を全く離れず、それに従って歩み続けた」。

 

2.エリシャの死

 

・イスラエル王ヨアシュに主は預言者エリシャを通して、機会を与えられる。死の床にあったエリシャは訪ねてきたヨアシュに、アラムを撃つ機会を与える。

-列王記下13:14-17「エリシャが王に『弓と矢を取りなさい』と言うので、王は弓と矢を取った。エリシャがイスラエルの王に『弓を手にしなさい』と言うので、彼が弓を手にすると、エリシャは自分の手を王の手の上にのせて『東側の窓を開けなさい』と言った。王が開けると、エリシャは言った『矢を射なさい』。王が矢を射ると、エリシャは言った『主の勝利の矢。アラムに対する勝利の矢。あなたはアフェクでアラムを撃ち、滅ぼし尽くす』」。

・エリシャは王に更なる勝利を与えようとするが、不決断の王はためらう。エリシャは王の無気力を見て、イスラエルの将来を悲観しながら、世を去っていく。

-列王記下13:18-20「エリシャは『矢を持って来なさい』と言った。王が持って来ると、エリシャはイスラエルの王に『地面を射なさい』と言った。王は三度地を射てやめた。神の人は怒った『五度、六度と射るべきであった。そうすればあなたはアラムを撃って、滅ぼし尽くしたであろう。だが今となっては、三度しかアラムを撃ち破ることができない』。エリシャは死んで葬られた。その後、モアブの部隊が毎年この地に侵入して来た」。

・イスラエルは主の審判が猶予されている間に悔改めるべきだった。そうすれば国の滅びはなかった。しかし、イスラエルはそうしなかった。そのため、最後の審判、滅びの時は近づいてくる。

-列王記下13:22-23「アラムの王ハザエルはヨアハズの生きている間、絶えずイスラエルに圧迫を加えた。しかし、主はアブラハム、イサク、ヤコブと結んだ契約のゆえに、彼らを恵み、憐れみ、御顔を向け、彼らを滅ぼそうとはされず、今に至るまで、御前から捨てることはなさらなかった」。

・イスラエルが滅んだのは、それから80年後の前722年であった。

-列王記下17:5-8「アッシリアの王はこの国のすべての地に攻め上って来た。彼はサマリアに攻め上って来て、三年間これを包囲し、ホシェアの治世第九年にサマリアを占領した。彼はイスラエル人を捕らえてアッシリアに連れて行き、ヘラ、ハボル、ゴザン川、メディアの町々に住ませた。こうなったのは、イスラエルの人々が、彼らをエジプトの地から導き上り、エジプトの王ファラオの支配から解放した彼らの神、主に対して罪を犯し、他の神々を畏れ敬い、主がイスラエルの人々の前から追い払われた諸国の民の風習と、イスラエルの王たちが作った風習に従って歩んだからである」。

 

3.その後のイスラエル王国の歴史を見る

 

・イエフ王朝は、五代、百年続き、北イスラエルでは最も長命な王朝となった(前842―745年)。この時代、アッシリア帝国の勢力が次第にパレスチナに及んで来、イスラエルもその影響を受けた。また、北のシリアとの争いも絶えず、イスラエルはかつての領土をかなり失った。そういう中で、ヤラベアム二世の時代に、北イスラエルは最後の繁栄を享受した。ヤラベアム二世は、政治的に優れた王であり、四一年の長きにわたって支配し、列王紀下14章25節によると、「ハマテの入口からアラバの海まで、イスラエルの領域を回復した」とある。

・ヤラベアム二世時代イスラエル王国は一時的に栄えたが、次のゼカルヤはわずか六ケ月支配しただけで暗殺され、イエフ王朝は終わり、イスラエルでは再び王朝の建てられることはなかった。その後20年の間に5人の王が交替するが、そのうち3人は暗殺されている。紀元前745年に即位したアッシリア王ティグラテピレセル三世は、西オリエント全体を支配しようとし、シリア・パレスチナの国々に侵略した。その中で、イスラエル王国と北のシリアは、同盟を結んでアッシリアに抵抗しようとし、この同盟にユダ王国も引き入れようとした(シリア・エフライム戦争、734年)が失敗し、かえってアッシリアの介入を招き、首都サマリアとその周辺の地域を残して、アッシリア軍に占領されてしまった。ペカ王の時代である。このシリア・エフライム戦争時に預言を始めたのがイザヤである(列王記下18章、なおイザヤ書36-39章は列王記下18-20章と重複する)。

・次の王ホセアは、最初アッシリアに服従していたが、前724年にエジプトに頼って、アッシリアへの貢を中止し、臣属関係を破棄した。アッシリア王シャルマネセル五世は、直ちにイスラエルに軍隊を送り、ホセアを捕らえ、イスラエルの領土全体を占領した。ただ堅固な町であったサマリアだけは、包囲されたまま三年間持ちこたえたが、シャルマネセル五世を継いだサルゴン二世によって征服された(紀元前721年)。こうして約二百年間続いた北イスラエル王国は終焉した。

・アッシリアの政策は、支配した国の民を国外に追放し、代わりに外国の民を移民させるという雑婚政策であり、それにより民族的なアイデンティティを喪失させ、独立運動の機運をなくさせるものであった。サルゴン王は、征服したサマリアの上層階級をアッシリアの町々に移し、他の地方の人々をサマリアに移し、そこをサマリア州としてアッシリア帝国に編入した。サマリア州では、イスラエル人と外国人との雑婚が行われ、宗教的にも雑多なものとなり、伝統的なヤハウェ宗教が失われていった。そのため、後の時代のサマリア人はユダヤ人から差別された存在となる。イエス時代のユダヤ人たちはサマリア人とは交際しなかった。

-ヨハネ4:7-9「サマリアの女が水をくみに来た。イエスは、『水を飲ませてください』と言われた・・・すると、サマリアの女は、「ユダヤ人のあなたがサマリアの女の私に、どうして水を飲ませてほしいと頼むのですか」と言った。ユダヤ人はサマリア人とは交際しないからである」。

・旧約の歴史は新約の歴史にも大きな影響を与えている。イエスが宣教を始められたガリラヤをマタイは「異邦人のガリラヤ」と呼ぶ。ガリラヤは、イスラエル人がエジプトを逃れ、カナンの地に入植した時、ゼブルン族とナフタリ族に割り当てられ、「ゼブルンの地、ナフタリの地」と呼ばれた(前12世紀)。王国分裂後は北王国の一部として、イスラエル十二部族の一部が住んだ。しかし、北王国がアッシリアに滅ぼされてアッシリアの属州となり(前722年)、民族の混淆が進み、「失われた地」になった。イエスの祖先は前100年頃にその地に入植したユダヤ人であった。

-マタイ4:12-16「(イエスは)ナザレを離れ、ゼブルンとナフタリの地方にある町、カフアルナウムに来て住まわれた。それは預言者イザヤを通して言われていたことが実現するためであった。『ゼブルンの地とナフタリの地、湖沿いの道、ヨルダン川の彼方の地、異邦人のガリラヤ、暗闇に住む民は大きな光を見、死の陰の地に者に光が射し込んだ。』」

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