1.ソロモンの背信
・ソロモンは700人の妻を持った。その多くは政略結婚による外国人の妻であり、彼女たちが持ち込んだ異教礼拝が国中に広がった。アシュトレトはバアルの女神で豊穣の神、性道徳の乱れが広がり、ミルコム=モレクの神は人身犠牲を求める偶像神であった。
-列王記上11:3-8「彼には妻たち、すなわち七百人の王妃と三百人の側室がいた。この妻たちが彼の心を迷わせた。ソロモンが老境に入った時、彼女たちは王の心を迷わせ、他の神々に向かわせた。こうして彼の心は、父ダビデの心とは異なり、自分の神、主と一つではなかった。ソロモンは、シドン人の女神アシュトレト、アンモン人の憎むべき神ミルコムに従った・・・ソロモンは、モアブ人の憎むべき神ケモシュのために、エルサレムの東の山に聖なる高台を築いた。アンモン人の憎むべき神モレクのためにもそうした。また、外国生まれの妻たちすべてのためにも同様に行ったので、彼女らは、自分たちの神々に香をたき、いけにえをささげた」。
・主はソロモンの背信に怒られ、何度もソロモンに忠告されたがソロモンは聞かなかった。ここにおいて主はソロモンから王国を取り上げられることを宣告された。
-列王記上11:9-13「ソロモンの心は迷い、イスラエルの神、主から離れたので、主は彼に対してお怒りになった。主は二度も彼に現れ、他の神々に従ってはならないと戒められたが、ソロモンは主の戒めを守らなかった。そこで、主は仰せになった『あなたがこのようにふるまい、私があなたに授けた契約と掟を守らなかったゆえに、私はあなたから王国を裂いて取り上げ、あなたの家臣に渡す。あなたが生きている間は父ダビデのゆえにそうしないでおくが、あなたの息子の時代にはその手から王国を裂いて取り上げる。ただし王国全部を裂いて取り上げることはしない。わが僕ダビデのゆえに、私が選んだ都エルサレムのゆえに、あなたの息子に一つの部族を与える』」。
2.王国の混乱
・主の怒りはまず、ダビデにより征服されたエドム王国の反乱となって現れる。王国南部が不安定化した。
-列王記上11:14「こうして主は、ソロモンに敵対する者としてエドム人ハダドを起こされた。彼はエドムの王家の血筋を引く者であった」。
・王国北部ではダビデが征服したシリア地方に反乱が起こり、ダマスコも王国から分離していった。
-列王記上11:23-25「また神は、ソロモンに敵対する者としてエルヤダの子レゾンを起こされた・・・彼らはダマスコに行って住み着き、ダマスコで支配者となった」。
・最大の反乱はイスラエル12部族を形成するエフライム族の指導者ヤロブアムによって起こされた。彼は預言者アヒヤを通して主の託宣を受け、イスラエル10部族の支配権を与えられた。
-列王記上11:31-33「十切れを取るがよい。イスラエルの神、主はこう言われる。私はソロモンの手から王国を裂いて取り上げ、十の部族をあなたに与える・・・ 私がこうするのは、彼が私を捨て、シドン人の女神アシュトレト、モアブの神ケモシュ、アンモン人の神ミルコムを伏し拝み、私の道を歩まず、私の目にかなう正しいことを行わず、父ダビデのようには、掟と法を守らなかったからである」。
・ヤロブアムはソロモンの死後、統一王国から離脱し、北王国を創設する。イスラエル10部族の統一王国からの離脱は直接的にはソロモンの課した強制徴用と重税であったが、列王記記者は王国分裂の背後にソロモンの背信とそれに対する主の怒りを見ている。
-列王記上12:3-4「ヤロブアム・・・は、(ソロモンの子)レハブアムにこう言った。『あなたの父上は私たちに苛酷な軛を負わせました。今、あなたの父上が私たちに課した苛酷な労働、重い軛を軽くしてください。そうすれば、私たちはあなたにお仕えいたします』」。
・王国の相続者レハベアムは愚かで、現実が見えず、ヤロブアムの離反を止めることが出来なかった。
-列王記上12:13-14「王は彼らに厳しい回答を与えた・・・『父がお前たちに重い軛を負わせたのだから、私は更にそれを重くする。父がお前たちを鞭で懲らしめたのだから、私はさそりで懲らしめる』」。
・主がダビデになされた約束(サムエル記下7:8-16)はソロモンの背信により破られた。しかし主は約束を守られる。ソロモンに与えられた裁きは王国の分裂であり、彼の子どもたちは生存を許される。
-列王記上11:35-39「私は彼の息子の手から王権を取り上げ、それを十部族と共にあなたに与える。彼の息子には一部族を与え、私の名を置くために私が選んだ都エルサレムで、わが僕ダビデのともし火が私の前に絶えず燃え続けるようにする。・・・こうして私はダビデの子孫を苦しめる。しかし、いつまでもというわけではない」。
・歴史的には、ソロモン死後、王国は分裂し(前926年)、独立した北王国は200年後にアッシリアに滅ぼされ(前722年)、残された南王国も350年後にバビロニアに滅ぼされ(前587年)、エルサレムは廃墟となった。列王記記者は王国の歴史を踏まえて、そこに神の意志を見ている。
3.列王記上11章の黙想
・列王記上10章はソロモンの繁栄を、11章はソロモン晩年と死後の衰退を記述する。この両者は、国の繁栄とは何か、個人の生き方はその中でどうあるべきかについての思いを迫る。「国家が栄えなければ国民は幸せになれないのか」と問いかける。少子高齢化で国力が低下しつつある日本の現状を併せ考えると感慨深い。日本のこれからを考えるためのヒントがある新聞記事にあったので紹介したい。
・朝日新聞・経済気象台2019/8/2「経済成長の果て」から
-英国の田舎を旅してきた。無数の羊がのんびり草を食(は)むのどかな丘陵地帯、小さな村の古く美しい家並み、そこに暮らす人々の静かな息づかい、自然と歴史を守ろうとする国民の強い意志。どれも英国の落ち着きと豊かさを感じさせるものだった。他方、英国に関する報道を見ると、EU(欧州連合)離脱をめぐる政治的混乱やそれによって引き起こされる経済の落ち込み、EUと分断される英国の存在感と影響力の低下など、混乱と衰退ばかりが目につく。英国はあたかも「終わった国」になったかのようだ。
-両者のギャップをどう理解したらいいのだろうか。英国史の泰斗である川北稔・大阪大名誉教授は、「成長パラノイア」というキーワードを用いて説明する。「経済が右肩上がりに成長しなければならないと偏執するから、実現できないと衰退したと悲観する。しかし成長が止まり、GDPが他国に抜かれても国民は豊かであり不幸になったわけではない」、と。
-その視座は、これからの日本にとって示唆的である。人口減少、低成長、産業競争力低下、構造改革の遅れが危機感を煽(あお)り、GDP規模が中国の3分の1に過ぎなくなったことが経済衰退のイメージを強めている。しかし、英国のGDP規模が日本の半分強なのに、1人当たりでは大きいのと同じように、日本の1人当たりのGDP(購買力平価)は中国の2・6倍もある。豊かさを見えなくしているのは、成長パラノイアであり、行き過ぎた競争と選別のためではないのか。経済成長がもたらした豊かさを英国民が享受している一方で、日本国民が今なお強迫観念に追い立てられているのだとしたら、それは間違ったビジョンと政策の責任だ。
・「経済成長パラノイア」が日本国民を不幸にしている。同じように、国の繁栄が陰り、やがて大国に飲まれていくイスラエルの歴史も一概に不幸とは言えない。列王記は捕囚時代に書かれた。捕囚の民は、当初は苦難が一日も早く終わり、エルサレムに帰ることを待望していたが、エルサレム滅亡が伝えられると、初めて、厳しい現実を見つめた。国を滅ぼされ、帰還の道を断たれた民は、滅びの意味を求めて、父祖からの伝承を集め、編集していった。創世記や出エジプト記等のモーセ五書や列王記等が最終的に編集されたのは、この捕囚期である。イスラエルの民は捕囚により、ダビデ王家とエルサレム神殿を中心とする民族共同体から、神の言葉、聖書を中心にする信仰共同体に変えられて行った。その歴史は決して不幸ではなく、むしろ幸いではないか。日本人も「経済成長パラノイア」から解放される時が来ていると思える。