2019年8月1日祈祷会(列王記上6章、神殿の建築)
1.神殿建設
・ソロモンは即位後4年目(前962年)に、神殿建設を始め、7年後に完成した。
−列王記上6:1-3「ソロモン王が主の神殿の建築に着手したのは、イスラエル人がエジプトの地を出てから四百八十年目、ソロモンがイスラエルの王になってから四年目のジウの月、すなわち第二の月であった。ソロモン王が主のために築いた神殿は、「奥行きが六十アンマ、間口が二十アンマ、高さが三十アンマ」の壮大な建物だった。
・6章は神殿の建物としての壮観さを述べる。石材はすべてレバノン杉で覆われた。
−列王記6:15-16「彼は神殿の内壁を床から天井の壁面までレバノン杉の板で仕上げ、内部を木材で覆った。神殿の床にも糸杉の板を張り詰めた。また、神殿の奥の部分二十アンマに床から天井の壁面までレバノン杉の板を張って、内部に内陣、すなわち至聖所を造った」。
・スギ材はすべて金で覆われた。
−列王記上6:20-22「この内陣は奥行きが二十アンマ、間口が二十アンマ、高さが二十アンマであり、彼はこれと、その前のレバノン杉の祭壇を純金で覆った。またソロモンは、神殿の奥を純金で覆い、内陣の前には金の鎖を渡し、これを金で覆った。このように、彼は神殿全体をその隅々まで金で覆い、内陣にある祭壇もすべて金で覆った」。
・神殿建築には7年を要した。建築の目的は「神の箱を安置する」ためであった。
−列王記6:19「神殿の奥に設けられた内陣は、主の契約の箱を安置するためのものであった」。
・至聖所(内陣)には二体のケルビムが置かれた。ケルビムは守護神であり主の契約の箱を守るように配置された。ケルビムの名の由来はメソポタミヤからくる。エジプトのスフィンクスもケルビムである。
−列王記上6:23-27「ソロモンはオリーブ材で二体のケルビムを作り、内陣に据えた。その高さは十アンマであった・・・ソロモンはこのケルビムを神殿の奥に置いた。二体のケルビムはそれぞれ翼を広げ、一方のケルビムの翼が一方の壁に触れ、もう一方のケルビムの翼も、もう一方の壁に触れていた。また、それぞれの内側に向かった翼は接し合っていた」。
・壁と扉には精巧な彫り物が彫られた。
−列王記上6:29-32「神殿の周囲の壁面はすべて、内側の部屋も外側の部屋も、ケルビムとなつめやしと花模様の浮き彫りが施されていた。神殿の床には、内側の部屋も外側の部屋も全面に金を張り詰めた。ソロモンは内陣の入り口にオリーブ材の扉を付けた。壁柱と門柱は五角形であった。そのオリーブ材の二枚の扉にもケルビムとなつめやしと花模様を浮き彫りにして、これを金で覆った。ケルビムとなつめやしの上にも金を張った」。
2.神殿建築の神学的意味
・ソロモンが神殿を立てた時、主は彼に言われた「私はあなたが忠実である限り、私は共にいる」。神の祝福は、ソロモンが従う限り与えられるが、従わない時、神殿は何の役にも立たない。
−列王記上6:11-13「あなたが建てている神殿について、もしあなたが私の掟に従って歩み、私の法を実行し、私のどの戒めにも従って歩むなら、私は父ダビデに告げた約束をあなたに対して果たそう。私はイスラエルの人々の中に住み、わが民イスラエルを見捨てることはない」。
・神の臨在の約束はソロモンの従順という一点にかかる。そしてソロモンの従順はやがて揺らぎ始める。
−列王記上11:9-10「ソロモンの心は迷い、イスラエルの神、主から離れたので、主は彼に対してお怒りになった。主は二度も彼に現れ、他の神々に従ってはならないと戒められたが、ソロモンは主の戒めを守らなかった」。
・ソロモンの神殿は決して主の臨在の保証とはならないことを列王記は繰り返し述べる。列王記記者は神殿崩を知っているからだ(列王記はバビロン捕囚後=神殿崩壊後に書かれている)。
−列王記9:6-9「もしあなたたちとその子孫が私に背を向けて離れ去り、私が授けた戒めと掟を守らず、他の神々のもとに行って仕え、それにひれ伏すなら、私は与えた土地からイスラエルを断ち、私の名のために聖別した神殿も私の前から捨て去る。こうしてイスラエルは諸国民の中で物笑いと嘲りの的となる。この神殿は廃虚となり、そのそばを通る人は皆、驚いて口笛を鳴らし、『この地とこの神殿に、主はなぜこのような仕打ちをされたのか』と問うであろう。そのとき人々は、『それは彼らが自分たちの先祖をエジプトの地から導き出した神、主を捨て、他の神々に付き従い、これにひれ伏し、仕えたからだ。それゆえ、主は彼らの上にこのすべての災いをもたらされたのだ』と答えるであろう。」
・時代が移り、人々の関心は主の言葉よりも、神殿そのものの存在に移っていく。エルサレムに神殿がある限り、自分たちは安心だという神話に対して、エレミヤは「あなたがたが従わない限り、神殿は何の保証にもならない」と預言する。
−エレミヤ7:10-15「私の名によって呼ばれるこの神殿に来て私の前に立ち、『救われた』と言うのか。お前たちはあらゆる忌むべきことをしているではないか。私の名によって呼ばれるこの神殿は、お前たちの目に強盗の巣窟と見えるのか。その通り。私にもそう見える・・・言葉に従わず、呼びかけたのに答えなかったから、私の名によって呼ばれ、お前たちが依り頼んでいるこの神殿に、そしてお前たちと先祖に与えたこの所に対して、私はシロにしたようにする。私は、お前たちの兄弟である、エフライムの子孫をすべて投げ捨てたように、お前たちを私の前から投げ捨てる。」
3.神殿とは何か
・この神殿は前587年バビロニア軍によって破壊された。その後、第二、第三神殿が立てられていったが、神殿は人々の信仰を保証しなかった。イエスの宮清めの記事はエレミヤ書の預言を踏まえている。
−マルコ11:15-17「イエスは神殿の境内に入り、そこで売り買いしていた人々を追い出し始め、両替人の台や鳩を売る者の腰掛けをひっくり返された。また、境内を通って物を運ぶこともお許しにならなかった。そして、人々に教えて言われた『こう書いてあるではないか。私の家は、すべての国の人の祈りの家と呼ばれるべきである。ところが、あなたたちはそれを強盗の巣にしてしまった』」。
・新約の人々はイエスの体こそ、真の神殿だと理解した。
−ヨハネ2:19「イエスは答えて言われた『この神殿を壊してみよ。三日で建て直してみせる』。それでユダヤ人たちは、『この神殿は建てるのに四十六年もかかったのに、あなたは三日で建て直すのか』と言った。イエスの言われる神殿とは、御自分の体のことだったのである。イエスが死者の中から復活されたとき、弟子たちは、イエスがこう言われたのを思い出し、聖書とイエスの語られた言葉とを信じた」。
・真の神殿は建物ではない。イエスが臨在される処こそ神殿である。黙示録にはもはや神殿はない。
−ヨハネ黙示録21:22-23「私は、都の中に神殿を見なかった。全能者である神、主と小羊とが都の神殿だからである。この都には、それを照らす太陽も月も、必要でない。神の栄光が都を照らしており、小羊が都の明かりだからである」。