2019年2月14日祈祷会(サムエル記上31章、サウルの死)

投稿日:2019年8月21日 更新日:

2019年2月14日祈祷会(サムエル記上31章、サウルの死)

1.サウルの死

・イスラエル軍はペリシテ軍と戦うが、総崩れとなり、サウルの三人の息子たちも戦死した。
−サムエル記上31:1-2「ペリシテ軍はイスラエルと戦い、イスラエル兵はペリシテ軍の前から逃げ去り、傷ついた兵士たちがギルボア山上で倒れた。ペリシテ軍はサウルとその息子たちに迫り、サウルの息子ヨナタン、アビナダブ、マルキ・シュアを討った」。
・サウル自身も深手を負い、もはやこれまでと覚悟を決め、自刃する。神に油を注がれたイスラエルの最初の王が死んだ。
−サムエル記上31:3-4「サウルに対する攻撃も激しくなり、射手たちがサウルを見つけ、サウルは彼らによって深手を負った。サウルは彼の武器を持つ従卒に命じた『お前の剣を抜き、私を刺し殺してくれ。あの無割礼の者どもに襲われて刺し殺され、なぶりものにされたくない』。だが、従卒は非常に恐れ、そうすることができなかったので、サウルは剣を取り、その上に倒れ伏した」。
・イスラエル軍は総崩れとなり、生き残った兵たちは敗走した。
−サムエル記上31:6-7「この同じ日に、サウルとその三人の息子、従卒、更に彼の兵は皆死んだ。谷の向こう側と、ヨルダンの向こう側のイスラエル人は、イスラエル兵が逃げ、サウルとその息子たちが死んだのを見ると、町をことごとく捨てて逃げ去ったので、ペリシテ軍が来てそこにとどまった」。
・ペリシテ軍はサウルと息子たちの遺体を城壁にかけてさらし者にする。
−サムエル記上31:8-10「翌日、戦死者からはぎ取ろうとやって来たペリシテ軍は、サウルとその三人の息子がギルボア山上に倒れているのを見つけた。彼らはサウルの首を切り落とし、武具を奪った。ペリシテ全土に使者が送られ、彼らの偶像の神殿と民に戦勝が伝えられた。彼らはサウルの武具をアシュトレト神殿に納め、その遺体をベト・シャンの城壁にさらした」。
・かつてサウルに助けられたギレアドの住民は、サウルの遺体が辱められているのを知り、命の危険を冒してベト・シャンに行き、サウルト息子たちの遺体を取り下ろし、手厚く葬った。神はサウルの死を悼まれた。
−サムエル記上31:11-13「ギレアドのヤベシュの住民は、ペリシテ軍のサウルに対する仕打ちを聞いた。戦士たちは皆立って、夜通し歩き、サウルとその息子たちの遺体をベト・シャンの城壁から取り下ろし、ヤベシュに持ち帰って火葬に付し、彼らの骨を拾ってヤベシュのギョリュウの木の下に葬り、七日間、断食した」。

2.何故サウルは主に捨てられたのか

・サウルは主から油を注がれて王になったが、成功するに従い、主を忘れた。終には自分のために勝利の記念碑を立てるようになる。勝利を与えてくださったのが主であること忘れた。
−サムエル記上15:12「朝早く、サムエルが起きて、サウルに会おうとすると『サウルはカルメルに行って自分のために戦勝碑を建て、そこからギルガルに向かって下った』との知らせが届いた」。
・サウルは自分より優れたものがいることに耐えられず、ダビデを憎み、殺そうとした。自分が神の器であり、ダビデもそうであることを認めることが出来なかった。
−サムエル記上18:8-9「サウルはこれを聞いて激怒し、悔しがって言った『ダビデには万、私には千。あとは、王位を与えるだけか』。この日以来、サウルはダビデをねたみの目で見るようになった」。
・サウルは罪を指摘されると悔い改める。しかし、彼が本当に気にしたのは、自分の体面であった。
−サムエル記上15:30「サウルは言った『私は罪を犯しました。しかし、民の長老の手前、イスラエルの手前、どうか私を立てて、私と一緒に帰ってください。そうすれば、あなたの神、主を礼拝します』」。
・サウルは毒麦だったのか。だから神がこれを除かれたのか。聖書は違うという。私たち自身がサウルであり、毒麦なのだ。マタイは毒麦の例えを福音書13章で書く。マタイの教会の現実を反映している記事だ。イエスが種を播かれて、教会が成立したのに、現実の教会に中には良い麦と共に毒麦が混ざっていた。
−マタイ13:37-38「良い種をまく者は、人の子である。畑は世界である。良い種と言うのは御国の子たちで、毒麦は悪い者の子たちである。」
・ユダはイエスを裏切ったが、彼は毒麦だったのか。彼もまたイエスを慕って弟子になった。ペテロはイエスの名の故に殉教したが、十字架の時には裏切っている。ペテロは良い麦なのか、悪い麦なのか。現実の教会の中に、毒麦があるが、人が毒麦を抜こうとする時、人は罪人になる。人を裁くものは、主から裁かれる。
−マタイ13:30「刈り入れまで、両方とも育つままにしておきなさい。刈り入れの時、まず毒麦を集め、焼くために束にし、麦の方は集めて倉に入れなさいと、刈り取る者に言いつけよう。」
・「神は悪をも善用されるほどに、全能であり善なる方だ」とアウグスティヌスは言う。悪を変えて善を成される神に判断を委ね、自分は良い麦を目指して教会生活を続けることが信仰だ。私たちが「彼はサウルだ。ダビデではない」と言い始めた時、教会は教会でなくなる。自分の中に毒麦があることを知るから、他者を裁かないのが教会だ。
−第一コリント12:14-26「体は、一つの部分ではなく、多くの部分から成っています。・・・体の中で他よりも弱く見える部分が、かえって必要なのです。それで、体に分裂が起こらず、各部分が互いに配慮し合っています。一つの部分が苦しめば、全ての部分が共に苦しみ、一つの部分が尊ばれれば、全ての部分が共に喜ぶのです。」

3.サムエル記上31章の黙想

・サウルは主から油を注がれて王になったが、成功するに従い、主を忘れた。終には自分のために勝利の記念碑を立てるようになる。勝利を与えてくださったのが主であること忘れた。そしてサウルは自分より優れたものがいることに耐えられず、ダビデを憎み、殺そうとした。自分が神の器であり、ダビデもそうであることを認めることが出来なかった。サウルは自ら滅んでいった。ダビデが手を下す必要もなかった。悪者は自ら滅ぶ。
−サムエル記上28:16-19「サムエルは言った。『なぜ私に尋ねるのか。主があなたを離れ去り、敵となられたのだ。主は、私を通して告げられた事を実行される。あなたの手から王国を引き裂き、あなたの隣人、ダビデにお与えになる。あなたは主の声を聞かず、アマレク人に対する主の憤りの業を遂行しなかったので、主はこの日、あなたに対してこのようにされるのだ。主はあなたのみならず、イスラエルをもペリシテ人の手に渡される。明日・・・主はイスラエルの軍隊を、ペリシテ人の手に渡される」。
・サウルの首ははねられ、遺体は、晒しものとしてベト・シャンの城壁に吊るされた。武具は、アシュタロテの神殿に、戦勝記念として奉納された。しかし、ヤベシュ・ギルアデの人々は、命の危険を犯し、サウルと彼の息子たちの釘付けにされた遺体を取り外し、ヤベシュへ持ち帰り火葬した。彼らは、かつてアモン人ナハシュに攻撃された際に、サウルに助け出された恩義を忘れていなかった(サムエル記上11章)。
・後にその骨は一族の墓に移されている。サウルの物語は、完全な悲劇で閉じられることはなかった。たとえ、サウルのように不機嫌に満ち、憎悪と嫉妬と暴力を露わにする王であれ、神は、その死を粗末にはされなかった。サウルに恩義を感じた者たちの心を奮い立たせ、サウルの死が弔われるようにさせてくださった。
−サムエル記下21:12-14「ダビデはギレアドのヤベシュの人々のところへ行って、サウルの骨とその子ヨナタンの骨を受け取った。その遺骨はギレアドのヤベシュの人々がベト・シャンの広場から奪い取って来たもので、ペリシテ人がギルボアでサウルを討った日に、そこにさらしたものであった。ダビデはそこからサウルの骨とその子ヨナタンの骨を運び、人々は今回さらされた者たちの骨を集め、サウルとその子ヨナタンの骨と共にベニヤミンの地ツェラにあるサウルの父キシュの墓に葬った」。
・遺体を丁重に葬る。これは神が人間に命じられた大事なことだ。16世紀に日本にキリシタンが伝えられ、短期間のうちに、多くの日本人が改宗してキリスト教徒になった。何が当時の人々の心を捕らえたのか、様々な要因が考えられるが、歴史学者たちは「宣教師やキリシタンたちが、キリストの愛の実践に基づいて、病める者を見舞い、その死を看取り、貧者であっても丁重に葬っていたことに感動した者たちが数多く、キリシタンに改宗した」と理解する。
−1555年イエズス会士日本通信「異教徒等はわが死者を葬る方法を見て大いに感激せり、(中略)キリシタン等が最も貧窮なる者に対しても、富者に対すると同一の敬意を表するを見て、その博愛と友情を認め、(中略)我らの主キリストの教えに勝るものなしと言えり」とある(筒井早苗「キリシタンにおける死の作法」、金城学院大学キリスト教文化研究所紀要13、2010年)。

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