1.サウルの王への即位と承認
・サウルが王に就任してまもなく、ヨルダン川東岸の国境の町ヤベシュにアンモン軍が攻め入った。彼らはヨルダン川東岸の占領を目指し、従属の要件として、全住民の右目をえぐりだすことを求めた。戦士として無力化させると共に、住民を辱めるためであった。
−サムエル記上11:1-2「アンモン人のナハシュが攻め上って来て、ギレアドのヤベシュを包囲した。ヤベシュの全住民はナハシュに言った『我々と契約を結んで下さい。我々はあなたに仕えます』・・・ナハシュは答えた『お前たちと契約を結ぼう。お前たち全員の右の目をえぐり出すのが条件だ。それをもって全イスラエルを侮辱しよう』」。
・ヤベシュの住民はヨルダン川西岸のギブアにいるサウルに救援を求めた。
−サムエル記上11:3-4「ヤベシュの長老たちは彼に言った。『七日間の猶予をください。イスラエルの全土に使者を立てます。救ってくれる者がいなければ、我々はあなたのもとへ出て行きます』。使者はサウルのいるギブアに来て、事の次第を民に報告した。民のだれもが声をあげて泣いた」。
・サウルは王に即位しているが、常備軍を備えるのでもなく、通常の羊飼いの仕事についていた。この段階のサウロは王というよりも士師である。サウルは兵を募り、アンモン軍に立ち向かって行った。
−サムエル記上11:5-8「そこへ、サウルが牛を追って畑から戻って来た。彼は尋ねた。『民が泣いているが、何事か起こったのか』。彼らはヤベシュの人々の言葉を伝えた。それを聞くうちに神の霊がサウルに激しく降った。彼は怒りに燃えて、一軛の牛を捕らえ、それを切り裂き、使者に持たせて、イスラエル全土に送り、次のように言わせた『サウルとサムエルの後について出陣しない者があれば、その者の牛はこのようにされる』。民は主への恐れにかられ、一丸となって出陣した。サウルがベゼクで彼らを点呼すると、イスラエルが三十万、ユダが三万であった」。
・サウルの優れた指導力とカリスマ性により、サウル軍はアンモン軍に勝利した。
−サムエル記上11:11「翌日、サウルは民を三つの組に分け、朝の見張りの時刻にアンモン人の陣営に突入し、日盛りの頃まで彼らを討った。生き残った者はちりぢりになり、二人一緒に生き残った者はいなかった」。
・前に一部の者たちはサウルの王即位に反対したが、この戦いを通してサウルの実力が認められ、サウロの王権はイスラエル全部族の承認を得た。
−サムエル記上11:12-14「民はサムエルに言った『サウルが我々の王になれようかといっていた者はだれであろうと引き渡してください。殺します』・・・サムエルは民に言った『さあ、ギルガルに行こう。そこで王国を興そう』。民は全員でギルガルに向かい、そこでサウルを王として主の御前に立てた。それから、和解の献げ物を主の御前にささげ、サウルもイスラエルの人々もすべて、大いに喜び祝った」。
2.士師サムエルの引退
・12章はサムエルの告別説教である。サウルの王即位と民の承認を見て、サムエルは士師としての自分の役割が終わったとして、民に語りかける。
−サムエル記上12:1-2「サムエルは全イスラエルに向かって言った『私は、あなたたちが私に求めたことについては、すべてあなたたちの声に従い、あなたたちの上に王を立てた。今からは王が、あなたたちを率いて歩む』」。
・サムエルは士師の時代を思い起こせと民に告げる「あなたたちが主に不従順であった時、主は外敵を立て、あなたたちを打たれた。しかし、悔い改めれば士師を立て、救って下さった」。ところがアンモン人が攻めてくるとあなたたちは主でなく、王の統治を求めた。主はそれを許された。あなたたちが主に従うなら、あなたも王も守られる。主にそむくのであれば、王もまた滅ぼされる。
−サムエル記上12:12-15「アンモン人の王ナハシュが攻めて来たのを見ると・・・主があなたたちの王であるにもかかわらず『王が我々の上に君臨すべきだ』と私に要求した。今、見よ、あなたたちが求め、選んだ王がここにいる。主はあなたたちに王をお与えになる。だから、あなたたちが主を畏れ、主に仕え、御声に聞き従い、主の御命令に背かず、あなたたちもあなたたちの上に君臨する王も・・・主に従うならそれでよい。しかし、もし主の御声に聞き従わず、主の御命令に背くなら、主の御手は、あなたたちの先祖に下ったように、あなたたちにも下る」。
・サムエルは王がいるから安心だという民をいさめた後、自分は士師としての働きをやめるが、祭司としてはあなた方に仕え続けると宣言する。そして宣言する「悪を重ねるなら、あなたも王も滅ぼされる」と。
−サムエル記上12:20-23「サムエルは言った『あなたたちはこのような悪を行ったが、今後は、それることなく主に付き従い、心を尽くして主に仕えなさい・・・主はその偉大な御名のゆえに、御自分の民を決しておろそかにはなさらない・・・私もまた、あなたたちのために祈ることをやめ、主に対して罪を犯すようなことは決してしない』」。
3.王制と神の委託
・「王は神の委託を受けて働く者ゆえ、これを尊び、従え」という教えは旧約・新約に共通する。
−ローマ13:1-4「人は皆、上に立つ権威に従うべきです。神に由来しない権威はなく、今ある権威はすべて神によって立てられたものだからです。従って、権威に逆らう者は、神の定めに背くことになり、背く者は自分の身に裁きを招くでしょう・・・権威者は、あなたに善を行わせるために、神に仕える者なのです。しかし、もし悪を行えば、恐れなければなりません。権威者はいたずらに剣を帯びているのではなく、神に仕える者として、悪を行う者に怒りをもって報いるのです」。
・しかし、王がその委託を忘れ、悪を働きはじめた時、主はその王を滅ぼされるとサムエルは預言する。
−サムエル記上12:24-25「主を畏れ、心を尽くし、まことをもって主に仕えなさい。主がいかに偉大なことをあなたたちに示されたかを悟りなさい。悪を重ねるなら、主はあなたたちもあなたたちの王も滅ぼし去られるであろう」。
・国家の指導者が神の委託に従わず、獣となった時、私たちはどうすべきか。国家が命令するのであれば、不法な戦争でも従うべきなのだろうか。ローマ帝国は皇帝礼拝を強要し、従わない者は弾圧するようになった。その時も従うべきなのか、人々は悩んだ。ヨハネ黙示録時代の人々は神の審判を求めた。
−ヨハネ黙示録19:20-21「獣は捕らえられ、また、獣の前でしるしを行った偽預言者も、一緒に捕らえられた。このしるしによって、獣の刻印を受けた者や、獣の像を拝んでいた者どもは、惑わされていたのであった。獣と偽預言者の両者は、生きたまま硫黄の燃えている火の池に投げ込まれた。残りの者どもは、馬に乗っている方の口から出ている剣で殺され、すべての鳥は、彼らの肉を飽きるほど食べた」。
・国家と教会の在り方が大きく問われたのは、1933年にナチスがドイツの政権につき、官憲として服従を要求した時である。多くの教会はヒトラー政権を神の権威の基に成立した合法的政権として受け入れていく。その中で、改革派教会は「国家が神の委託に正しく応えていない場合、キリスト者は良心を持って抵抗すべきである」ことを主張し(バルメン宣言)、ナチスとの武力を含めた戦いを始める。
−バルメン宣言第五テーゼ「教会は、神がそれによって一切のものを支えたもう御言葉の力に信頼し、服従する。国家がその特別の委託をこえて、人間生活の唯一にして全体的な秩序となり、したがって教会の使命をも果たすべきであるとか、そのようなことが可能であるとかいうような誤った教えを、われわれは退ける。教会がその特別の委託をこえて、国家的性格、国家的課題、国家的価値を獲得し、そのことによってみずから国家の一機関となるべきであるとか、そのようなことが可能であるとかいうような誤った教えを、われわれは退ける。」
・教会と政治の問題は難しい。しかし、私たちは、地上の王国は神の国ではないことを銘記すべきであろう。ウェストミンスター神学校教授のマイケル・ホートンは「トランプの誘惑に乗るな」としてコラムを書いた(2018年8月31日)。
−マイケル・ホートン「ホワイトハウスでの福音派キリスト教指導者との会合でトランプ米大統領は、『11月の米議会中間選挙で共和党が負ければ、保守的なクリスチャンは迫害にさらされることになり、一切を失いかねない』と警告した。「政治権力」を、クリスチャンが信仰の対象としてしまうことは、重大な問題だ。福音派クリスチャンが、この世の君主とその国に信仰を置くのか、キリストと神の国に置くのか。これこそ、私たちが一切を失うかどうかを決定する一線だ。イエスは言われた『私の国は、この世には属していない。もし、私の国がこの世に属していれば、私がユダヤ人に引き渡されないように、部下が戦ったことだろう。しかし、実際、私の国はこの世には属していない』(ヨハネ18:36)。「11月の選挙の結果いかんで、福音派クリスチャンは一切を失いかねない」などという嘘を信じる者は、ましてそれを宣べ伝える者は、詩編の作者の警告を忘れている。『君侯に依り頼んではならない。人間には救う力はない』(詩編146:3)」。