江戸川区南篠崎町にあるキリスト教会です

日本バプテスト連盟 篠崎キリスト教会

2018年10月11日祈祷会(サムエル記上13章、サウルの王権剥奪)

投稿日:2019年8月21日 更新日:

1.サウルの背信

・サウルはアンモン人との戦いに勝利し、イスラエルの王となった。サウルがこれから為すべきはイスラエルを脅かすペリシテ人を国土から追放することだった。そのためにサウロは3000名を招集した。
−サムエル記上13:1-2「サウルは王となって一年でイスラエル全体の王となり、二年たったとき、イスラエルから三千人をえりすぐった。そのうちの二千人をミクマスとベテルの山地で自らのもとに、他の千人をベニヤミンのギブアでヨナタンのもとに置き、残りの民はそれぞれの天幕に帰らせた」。
・サウルの息子ヨナタンはゲバに配置されていたペリシテの守備隊を攻撃した。このことを契機にペリシテの大軍がイスラエルを襲う。
−サムエル記上13:3-4「ヨナタンは、ゲバに配置されていたペリシテの守備隊を打ち破った。ペリシテ人はそれを伝え聞いた。他方、サウルも国中に角笛を吹き鳴らして言った。『ヘブライ人よ、聞け』。全イスラエルは、サウルがペリシテの守備隊を打ち破ったこと、イスラエルがペリシテ人の憎しみをかうことになったということを知った。民はギルガルのサウルのもとに呼び集められた」。
・ペリシテ人は常備軍を持ち、戦車3万、騎兵6千、歩兵の数はもっと多かった。他方、イスラエルは常設の軍隊を持たない農業国で手元の兵は3千人しかいない。さらにペリシテ軍の武器は精錬された鋭利な金属であったが、イスラエル軍は誰も剣や槍を所持していなかった(13:22)。イスラエル軍が勝つ要素はなかった。彼らはペリシテ軍を怖れた。
−サムエル記上13:5-7「ペリシテ軍は、イスラエルと戦うために集結した。その戦車は三万、騎兵は六千、兵士は海辺の砂のように多かった・・・イスラエルの人々は、自分たちが苦境に陥り、一人一人に危険が迫っているのを見て、洞窟、岩の裂け目、岩陰、穴蔵、井戸などに身を隠した。ヨルダン川を渡り、ガドやギレアドの地に逃げ延びたヘブライ人もあった。しかし、サウルはギルガルに踏みとどまり、従う兵は皆、サウルの後ろでおののいていた」。
・戦いに勝つためには神の加護を祈るしかない。そのため、サウルは祭司サムエルの到着を待ったが、予定の時刻になってもサムエルは来なかった。兵は動揺し、3000人の兵から逃亡者が続出し、600人まで減った。サウルはあせり、サムエルの到着を待たずに、自分で聖戦開始の生贄を捧げ始めた。
−サムエル記上13:8-9「サウルは、サムエルが命じたように、七日間待った。だが、サムエルはギルガルに来なかった。兵はサウルのもとから散り始めた。サウルは、『焼き尽くす献げ物と和解の献げ物を持って来なさい』と命じて、焼き尽くす献げ物をささげた」。
・サウルが献げ物をささげ終えた時にサムエルが到着した。サムエルは祭司が行うべき聖なる儀式をサウルが自己の判断で行ったことを問い詰める。サウルは自分の誤りを認めず、言い訳をするばかりだった。
−サムエル記上13:10-12「焼き尽くす献げ物をささげ終えたその時、サムエルが到着した。サウルは彼に挨拶しようと迎えに出た。サムエルは言った『あなたは何をしたのか』。サウルは答えた『兵士が私から離れて散って行くのが目に見えているのに、あなたは約束の日に来て下さらない。しかも、ペリシテ軍はミクマスに集結しているのです。ペリシテ軍がギルガルの私に向かって攻め下ろうとしている。それなのに、私はまだ主に嘆願していないと思ったので、私はあえて焼き尽くす献げ物をささげました』」。

2.サウルの王権剥奪

・人間的に見ればサウルの行為は理解できる。目の前の人間の現実(圧倒的な敵軍の前に離散していく兵)を見れば、「今何とかしなければいけない状況」だった。しかしサムエルは神の現実(主が共にいて下されば600人の兵で勝利できる)を見ないサウロを糾弾する。確かにサウルには、32,000人の兵を300人に減らしたギデオンの信仰がなかった。
−士師記7:2-7「主はギデオンに言われた『あなたの率いる民は多すぎるので、ミディアン人をその手に渡すわけにはいかない。渡せば、イスラエルは私に向かって心がおごり、自分の手で救いを勝ち取ったと言うであろう』・・・こうして民の中から二万二千人が帰り、一万人が残った。『民はまだ多すぎる・・・手から水をすすった三百人をもって、私はあなたたちを救い、ミディアン人をあなたの手に渡そう。他の民はそれぞれ自分の所に帰しなさい』」。
・主を信じ切ることの出来なかったサウルにサムエルは言う「主の御心はあなたを去った」と。
−サムエル記上13:13-14「あなたは愚かなことをした。あなたの神、主がお与えになった戒めを守っていれば、主はあなたの王権をイスラエルの上にいつまでも確かなものとしてくださっただろうに。しかし、今となっては、あなたの王権は続かない。主は御心に適う人を求めて、その人を御自分の民の指導者として立てられる。主がお命じになったことをあなたが守らなかったからだ」。
・危機に瀕した戦いの局面を転回させたのは、サウルの息子ヨナタンの信仰であった。彼は従卒と二人で、ペリシテ軍に切り込んで行き、敵を混乱させ、その隙にサウル軍はペリシテ軍に進撃し、敵を打った。
−サムエル記上14:6-15「ヨナタンは従卒に言った『さあ、あの無割礼の者どもの先陣の方へ渡って行こう。主が我々二人のために計らって下さるにちがいない。主が勝利を得られるために、兵の数の多少は問題ではない』・・・恐怖が陣営でも野でも兵士全体に広がり、先陣も遊撃隊も恐怖に襲われた。地は揺れ動き、恐怖はその極に達した」。

3.サムエル記上13章の黙想

・サウルは軍人としては優れていた。その後の戦いでも勝利に勝利を重ねている。
−サムエル記上14:47-48「サウルはイスラエルに対する王権を握ると、周りのすべての敵、モアブ、アンモン人、エドム、ツォバの王たち、更にはペリシテ人と戦わねばならなかったが、向かうところどこでも勝利を収めた。彼は力を振るい、アマレク人を討ち、略奪者の手からイスラエルを救い出した」。
・ただサウルの欠点は、「神ではなく、人に頼りすぎた」ことだ。13章のペリシテ人との戦いにおいても、民が自分から離れていくのを恐れたサウルはサムエルを待つことができずに、人間的な手段で民心をつなぎとめようとした。彼はすべての決断を自分の判断で行ったが、戦いを勝利を導く方は主なる神だとの信頼がなかった。神の期待を裏切るものは神の民の指導者であり続けることはできない。こうしてイスラエルの王権はサウロを離れ、ダビデに移行していく。
−サムエル記上16:1「主はサムエルに言われた。『いつまであなたは、サウルのことを嘆くのか。私は、イスラエルを治める王位から彼を退けた。角に油を満たして出かけなさい。あなたをベツレヘムのエッサイのもとに遣わそう。私はその息子たちの中に、王となるべき者を見いだした』」。
・王は神により委託された職務である。そうである以上、危急の場合には主が助けて下さる。しかしそれを信じ切ることは難しい。イザヤの時代、アッシリアは世界帝国としてパレスチナに勢力を伸ばし、諸国を制圧し始め、シリアと北イスラエルは反アッシリア同盟を結び、同調しないユダを攻めた(前734年)。ユダ王アハズは動揺し、アッシリアの支援を求める。イザヤは王に「信じなければ確かにされない」、あなたが信じるために主は「しるし」を与えられるゆえ、それを求めよと語る。しかし、アハズ王は「求めない」と答える。アハズは主の守りよりもアッシリアの援軍を頼った。
−イザヤ7:10-13「主は更にアハズに向かって言われた『主なるあなたの神に、しるしを求めよ。深く陰府の方に、あるいは高く天の方に』。しかし、アハズは言った『私は求めない。主を試すようなことはしない』。イザヤは言った『ダビデの家よ、聞け。あなたたちは人間にもどかしい思いをさせるだけでは足りず、私の神にも、もどかしい思いをさせるのか』」。
・前701年、アッシリアはエルサレムを包囲し、降伏を迫った。圧倒的武力を誇るアッシリアの将軍たちは、「お前たちは主に頼ると言うが、主が何をしてくれると言うのだ」とイスラエルの神を嘲笑した。ユダ王ヒゼキヤは神殿に行き、主に祈り、イスラエルは救われた。現実の困難の中でヒゼキヤ王のように行為することは難しい。不安が私たちを押しつぶそうとする時に、なお主に祈り求める勇気が信仰なのだろう。
−?列王記19:15-19「イスラエルの神、主よ・・・生ける神をののしるために人を遣わしてきたセンナケリブの言葉を聞いてください。主よ、確かにアッシリアの王たちは諸国とその国土を荒らし、その神々を火に投げ込みましたが、それらは神ではなく、木や石であって、人間が手で造ったものにすぎません・・・ 私たちの神、主よ、どうか今私たちを彼の手から救い、地上のすべての王国が、あなただけが主なる神であることを知るに至らせてください。」

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