江戸川区南篠崎町にあるキリスト教会です

日本バプテスト連盟 篠崎キリスト教会

2017年9月7日祈祷会(民数記30章、誓願の規定)

投稿日:2019年8月21日 更新日:

1.女性の誓願についての教え

・人は自発的誓願を行い、あるいは誓いを行うことによって、神の為に特定の行為を控えたり、感謝の気持ちを表現したりする。誓願をする、しないは自由であるが、誓った以上は守れと民数記は教える。
−民数記30:2-3「モーセはイスラエルの人々の諸部族の長に語った。これは、主の命じられたことである。人が主に誓願を立てるか、物断ちの誓いをするならば、その言葉を破ってはならない。すべて、口にしたとおり、実行しなければならない」。
・民数記30章は誓願の例外規定として、未婚の娘が立てた誓願は、その父が破棄出来ると規定する。
−民数記30:4-6「女性がまだ若くて、父の家にいる時、主に誓願を立てるか、物断ちの誓いをするならば、父がその誓願や物断ちの誓いを聞いても、彼女に何も言わなければ、彼女の誓願も物断ちの誓いもすべて有効となる。しかし、父がそれを聞いた日に、それを禁じる場合、彼女の誓願も物断ちの誓いもすべて無効となる」。
・既婚の婦人の場合は、夫がそれを破棄することも出来ると規定する。
−民数記30:7-9「彼女が結婚することになったとき、依然として誓願中であるか、あるいは軽はずみに物断ちの誓いをしているならば、夫がそれを聞いた日に、彼女に何も言わなければ、彼女の誓願も物断ちの誓いもすべて有効である。しかし、夫がそれを聞いた日に、それを禁じる場合、夫は、彼女が立てている誓願や軽はずみな物断ちの誓いを破棄したのであるから、主は彼女を赦されるであろう」。
・但し、寡婦や離婚した婦人は独立の人格として、誓願を守らなければならない。
−民数記30:10「しかし、寡婦および離婚された女性の誓願、すべての物断ちの誓いは有効である」。
・誓願や物断ちは経済的負担を伴う場合もあるから、個人ではなく家の問題として考えよとの規定である。
−民数記30:14「誓願や苦行による物断ちの誓いは全て、彼女の夫がそれを有効にも、無効にもすることができる」。
・誓うことのできる年齢は男子であれば成人(13歳)に達した時からである。ルカ2章のイエスの神殿での行為もイエスが成人年齢に達せられたことが背景にある。しかし女子は成人に達しても責任能力を与えられなかった。彼女たちの誓いは父や夫が否定すると解かれた。それが民数記30章の規定である。
-ルカ2:42-47「2:42 イエスが十二歳になった時、両親は祭りの慣習に従って都に上った。祭りの期間が終わって帰路についた時、少年イエスはエルサレムに残っておられたが、両親はそれに気づかなかった。イエスが道連れの中にいるものと思い、一日分の道のりを行ってしまい、それから、親類や知人の間を捜し回ったが、見つからなかったので、捜しながらエルサレムに引き返した。三日の後、イエスが神殿の境内で学者たちの真ん中に座り、話を聞いたり質問したりしておられるのを見つけた。聞いている人は皆、イエスの賢い受け答えに驚いていた」。

2.誓願についての旧約聖書の教え

・旧約では誓願の例は多い。典型例は、勝っても戦利品を自分たちの物にしないから勝たせて欲しいとの誓いだ。
−民数記21:1-3「ネゲブに住むカナン人、アラドの王は、イスラエルがアタリムの道を進んで来ると聞き、イスラエルと戦い、捕虜を引いて行った。イスラエルは主に誓いを立てて『この民を私の手に渡してくださるならば、必ず彼らの町を絶滅させます』と言った。主はイスラエルの言葉を聞き入れ、カナン人を渡された」。
・ヤコブは「父の家への帰還させてくれるならば、あなたに従います」と言って誓願を立てた。
−創世記28:20-22「ヤコブはまた、誓願を立てて言った『神が私と共におられ、私が歩むこの旅路を守り、食べ物、着る物を与え、無事に父の家に帰らせてくださり、主が私の神となられるなら、私が記念碑として立てたこの石を神の家とし、すべて、あなたが私に与えられるものの十分の一をささげます』」。
・誓願には取引の要素がある。士師のエフタは戦いの誓願を立て、それに従って娘を殺して捧げた。このような献げ物を神は喜ばれるのだろうか。これでは現世利益そのままではないか。
−士師記11:30-39「エフタは主に誓いを立てて言った『もしあなたがアンモン人を私の手に渡してくださるなら、私がアンモンとの戦いから無事に帰る時、私の家の戸口から私を迎えに出て来る者を主のものといたします。私はその者を、焼き尽くす献げ物といたします』。こうしてエフタは進んで行き、アンモン人と戦った。主は彼らをエフタの手にお渡しになった・・・エフタがミツパにある自分の家に帰った時、自分の娘が鼓を打ち鳴らし、踊りながら迎えに出て来た。彼女は一人娘で、彼にはほかに息子も娘もいなかった。彼はその娘を見ると、衣を引き裂いて言った。『ああ、私の娘よ。お前が私を打ちのめし、お前が私を苦しめる者になるとは。私は主の御前で口を開いてしまった。取り返しがつかない』。彼女は言った。『父上。あなたは主の御前で口を開かれました。どうか、私を、その口でおっしゃったとおりにしてください。主はあなたに、あなたの敵アンモン人に対して復讐させてくださったのですから』・・・二か月が過ぎ、彼女が父のもとに帰って来ると、エフタは立てた誓いどおりに娘をささげた。」。
・「誓った以上は守れ」というのが、旧約聖書の誓願の規定である。
-申命記23:22-24「あなたの神、主に誓願を立てる場合は、遅らせることなく、それを果たしなさい。あなたの神、主は必ずそれをあなたに求め、あなたの罪とされるからである。誓願を中止した場合は、罪を負わない。唇に出したことはそれを守り、口で約束した誓願は、あなたの神、主に誓願したとおりに実行しなさい」。

3.しかし、イエスは誓うなと言われた

・しかし、イエスは「一切誓うな、誓っても守れないではないか」と言われた。
−マタイ5:33-37「昔の人は『偽りの誓いを立てるな。主に対して誓ったことは、必ず果たせ』と命じられている。しかし、私は言っておく。一切誓いを立ててはならない。・・・あなたの頭にかけて誓ってはならない。髪の毛一本すら、あなたは白くも黒くもできないからである。あなたがたは、『然り、然り』『否、否』と言いなさい」。
・イエスは言われる「人は自分の髪の毛さえ、白くも黒くもできない。その人が、自分の非力を顧みず、神のみ名や、自分以上の権威を借りて、出来ないことまで誓うのは悪しきことである」と。人は自分が出来ること。見通しが立つこと、責任を取れることだけについてだけ、「否、否、然り、然り」と言えるのである。出来ないことは、「否、否」とだけ、答えるしかない。それ以上のことを、断言するのは人間の能力を越えたことであり、人の心から出る悪なのである。
・イエスは誓いを守ることが出来ない私たちの弱さを知り、私たちのために救済を用意される。誓願を立てるとは何か、旧約と新約は何故違うのか。私たちはこれを自分の問題として考えよと言われている。
−ルカ22:31-34「『シモン、シモン、サタンはあなたがたを、小麦のようにふるいにかけることを神に願って聞き入れられた。しかし、私はあなたのために、信仰が無くならないように祈った。だから、あなたは立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい』。するとシモンは『主よ、御一緒になら、牢に入っても死んでもよいと覚悟しております』と言った。イエスは言われた『ペトロ、言っておくが、あなたは今日、鶏が鳴くまでに、三度私を知らないと言うだろう』」。

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