江戸川区南篠崎町にあるキリスト教会です

日本バプテスト連盟 篠崎キリスト教会

2016年7月28日祈祷会(出エジプト記1章、エジプトのイスラエル人)

投稿日:2019年8月21日 更新日:

1.エジプトのイスラエル人

・創世記はヤコブと息子たちがエジプトに下ったことで終わり、それを継承して出エジプト記が書かれる。
―出エジプト記1:1-7「ヤコブと共に一家を挙げてエジプトへ下ったイスラエルの子らの名前は次のとおりである。ルベン、シメオン、レビ、ユダ、イサカル、ゼブルン、ベニヤミン、ダン、ナフタリ、ガド、アシェル。ヤコブの腰から出た子、孫の数は全部で七十人であった。ヨセフは既にエジプトにいた。ヨセフもその兄弟たちも、その世代の人々も皆、死んだが、イスラエルの人々は子を産み、おびただしく数を増し、ますます強くなって国中に溢れた。」
・これは、神がアブラハム・イサク・ヤコブに約束された祝福の成就の過程である。
―創世記12:1-2「主はアブラムに言われた。『あなたは生まれ故郷、父の家を離れて、私が示す地に行きなさい。私はあなたを大いなる国民にし、あなたを祝福し、あなたの名を高める。祝福の源となるように。」
・そのイスラエルへの神の祝福がエジプト王の迫害を招く。国内に住む異民族の数が治安上脅威になるほど増えてきたため、エジプト王はイスラエルの人口増大を抑えようとした。
―出エジプト記1:8-10「そのころ、ヨセフのことを知らない新しい王が出てエジプトを支配し、国民に警告した。『イスラエル人という民は、今や、我々にとってあまりに数多く、強力になりすぎた。抜かりなく取り扱い、これ以上の増加を食い止めよう。一度戦争が起これば、敵側に付いて我々と戦い、この国を取るかもしれない。』」。
・ヨセフ物語にあるエジプト移住は、エジプトがヒクソス支配下にあった紀元前18-16世紀の頃と思われる。このヒクソス(「外国の地の支配者」の意)は、エジプト人でないセム系の民族で、ヨセフ一家が厚遇を受けたのも、同じセム族としての民族的な親近感があったからであろう。しかし、前16世紀、エジプト人がヒクソスを追い出して、第18王朝を創始、それに伴って、イスラエルへの扱いも厳しいものになっていった。出エジプト記1章8節「ヨセフのことを知らない新しい王」はラメセス二世(前1290〜1224年)と思われる。この王の時代に、ヨセフの子孫は、奴隷として虐げられた。この王は、国境線の防備のために、ピトムとラメセスの町を建造し(出エジプト記1・11)、そのために多くの外国人を強制労働につかせた。
・信仰の結果は常に単純なハッピーエンドになるわけではない。神の祝福が最終的に成就するまでに、イスラエルは更に長い忍耐の時を必要とした(モーセの誕生から、民のカナンへの定住まで120年を要した)。
―詩篇105:23-44「イスラエルはエジプトに下り、ヤコブはハムの地に宿った。主は御自分の民を大いに増やし、敵よりも強くされた。主が彼らの心を変えられたので、彼らは主の民を憎み主の僕たちを悪だくみをもって扱った。主は僕モーセを遣わしアロンを選んで遣わされた・・・主は、御自分の民を喜びのうちに、選ばれた民を歓呼のうちに導き出された。主は彼らに諸国の土地を授け、多くの民の労苦の実りを継がせられた」。

2.奴隷とされるイスラエル

・国内に一定以上の異民族が増えてくると排斥の動きが出てくる。現代の欧州で移民排斥の動きが強まっているのも同じだ。最初の試みは苦役であった。エジプト人はイスラエルを奴隷として、重い苦役を負わせた。しかし、神の守りの中で、このような苦役をも祝福となっていった。
―出エジプト記1:11-14「エジプト人はそこで、イスラエルの人々の上に強制労働の監督を置き、重労働を課して虐待した。イスラエルの人々はファラオの物資貯蔵の町、ピトムとラメセスを建設した。しかし、虐待されればされるほど彼らは増え広がったので、エジプト人はますますイスラエルの人々を嫌悪し、イスラエルの人々を酷使し、粘土こね、れんが焼き、あらゆる農作業などの重労働によって彼らの生活を脅かした。彼らが従事した労働はいずれも過酷を極めた。」
・二番目の試みは民族の抹殺であった。エジプト王は助産婦に命じてイスラエルの男児を殺そうとしたが、二人の助産婦は、王の命令に逆らって、ヘブル人の赤子を救った。王よりも神を恐れていたからだ。
―出エジプト記1:15-17「エジプト王は二人のヘブライ人の助産婦に命じた。一人はシフラといい、もう一人はプアといった。『お前たちがヘブライ人の女の出産を助ける時には、子供の性別を確かめ、男の子ならば殺し、女の子ならば生かしておけ。』助産婦はいずれも神を畏れていたので、エジプト王が命じた通りにはせず、男の子も生かしておいた。」
・エジプト王は問い詰めるが、助産婦たちは「ヘブライ女はすぐに子供を産んでしまう」と言い逃れる。
-出エジプト記1:18-21「エジプト王は彼女たちを呼びつけて問いただした。『どうしてこのようなことをしたのだ。お前たちは男の子を生かしているではないか。』助産婦はファラオに答えた。『ヘブライ人の女はエジプト人の女性とは違います。彼女たちは丈夫で、助産婦が行く前に産んでしまうのです。』神はこの助産婦たちに恵みを与えられた。民は数を増し、甚だ強くなった。助産婦たちは神を畏れていたので、神は彼女たちにも子宝を恵まれた」。
・ある注解者は面白い議論を展開する「人は偽りを言うことが許されるのかという問題を神学者が議論してきた際、この箇所は「許される」という意見の拠り所になってきた」(H.L.エリクソン「出エジプト記」P29)。人を畏れるのではなく、神を畏れた時に、嘘を言うことも許されると彼は語る。ヒトラー暗殺に関与し、処刑された神学者D.ボンヘッファーも同じ議論を展開する「私たちは自分の良心に従うよりも神の御心に従って行為すべきだ。ナチを逃れてきたユダヤ人をかくまうために、警官に嘘を言うことは許される。神は私たちの悪をも善に変えてくださる」(ボンヘッファー「獄中書簡」より)。キリスト者の倫理は形式的に考えるべきものではなく、「神はどう思われるか」を中心に構築すべきと先人たちは語る。
・次に、エジプト王は、「生まれてくる男の子は全てナイルに投げ込め」との命令を発した。それが次のモーセ誕生の舞台になっていく。
―出エジプト記1:22-2:4「ファラオは全国民に命じた。『生まれた男の子は、一人残らずナイル川にほうり込め。女の子は皆、生かしておけ。』レビの家の出のある男が同じレビ人の娘をめとった。彼女は身ごもり、男の子を産んだが・・・三か月の間隠しておいた。しかし、もはや隠しきれなくなったので、パピルスの籠を用意し、アスファルトとピッチで防水し、その中に男の子を入れ、ナイル河畔の葦の茂みの間に置いた」。
・助産婦を用いての密かな民族抹殺から、目に見えるあからさまな民族絶滅へと政策がエスカレートしていく。ナチス・ドイツがユダヤ人を迫害するだけでは足らず、やがて絶滅収容所を作って民族抹殺(ホロコースト)に向かったのと同じだ。これは「生めよ、増えよ、地に満てよ」という神の創造の業に対立する、地上の権力の反逆だ。この世界は地上の権力者(エジプト王)が支配しているのか、それとも神が支配しておられるのかの戦いだ。神は戦いの器として、一人の男子を出生させられる。その人がモーセだ。

3.苦難の中での救済の始まり

・モーセはレビ人の両親アムラムとヨケベデから生まれた(6:20)。母親はエジプト人に子が殺されるのを待つよりも、後事を神に委ねることを決意し、籠に入れて、子をナイル川に流す。「籠(テーバー)」はヘブル語では「箱舟」と同じ言葉だ。洪水の中でノアの箱舟が護られたように、モーセを入れた籠もまた神の護りの中にあったことを暗示している。籠はエジプト王の娘が水浴びをしていた場所に流れ着き、王女が籠を開けると男の子が泣いていた。その子がヘブライ人であることは着ていた産着でわかった。王女は父王がヘブライ人の男の子はすべて殺せと命じたことに賛成していない。彼女は男の子を不憫に思い、王女は自分の子としてモーセを育てる。
・モーセ誕生の物語は神不在と思える現実の中でも、神の見えざる手が働いていることを示す。エジプト王はナイル川を殺戮の道具とするが、神はその川からモーセを引き上げて、命を救われる。モーセの母親は子の生命を神に委ねることを通して、命を助ける。王の娘は、父の命令に逆らってモーセを救い出す。そしてモーセはエジプト王の宮廷で教育され、この教育がモーセを指導者にふさわしい者にしていく。子を捨てざるを得ないという厳しい選択が、子を指導者にふさわしく教育する場を与えた。
・私たちも、出口の無い苦難に追い込まれ、どうしていいのか、わからない時があるが、その時は、この母親のようにできる最善を尽くせば、後は神が導いてくれる。私たちには目の前の現実しか見えない。イスラエルは強制労働のために苦しめられ、生まれた男子はエジプト人によって殺されている。その中で、一人の男の子の命が救われ、指導者になるための教育が始まっている。神は時が満ちた時にその行動を見えるものとされるが、見えないところで、すでに救済の業は始まっている。

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