1.ユダと嫁タマル
・創世記は37章からヨセフ物語に入るが、直後の38章ではユダ物語が挿入され、ヨセフ物語は中断の後、39章から再開される。編集者はここにユダ物語を挿入して同じヤコブの子の物語を描く。後に南王国の中核となるユダ民族の出自をここに描くことを通して、北王国の中核となったヨセフ族(エフライム族)と対比するためであろう。ここにあるのはヤコブの息子ユダの個人史というよりも、南カナンに定住したユダ族の現地異邦人との交流史であり、放浪時代ではなく出エジプト後の定住時の物語が背景にある。
・物語はユダがアドラムに住み、カナン人の娘と結婚して子をもうけた出来事から始まる。
−創世記38:1-5「そのころ、ユダは兄弟たちと別れて、アドラム人のヒラという人の近くに天幕を張った。ユダはそこで、カナン人のシュアという人の娘を見初めて結婚し、彼女のところに入った。彼女は身ごもり男の子を産んだ。ユダはその子をエルと名付けた。彼女はまた身ごもり男の子を産み、その子をオナンと名付けた。彼女は更にまた男の子を産み、その子をシェラと名付けた。彼女がシェラを産んだ時、ユダはケジブにいた」。
・ユダは長男エルにカナン人のタマルを嫁に迎えたが、エルは早く死に、兄嫁は慣例に従って次兄の嫁になった。
−創世記38:6-8「ユダは長男のエルにタマルという嫁を迎えたが、ユダの長男エルは主の意に反したので、主は彼を殺された。ユダはオナンに言った『兄嫁のところに入り、兄弟の義務を果たし兄のために子孫を残しなさい』」。
・これはレビラート婚(同族婚)と呼ばれ、部族を絶やさない為の古代の慣習であった。
−申命記25:5-7「兄弟が共に暮らしていて、そのうちの一人が子供を残さずに死んだならば・・・亡夫の兄弟が彼女の処に入り、娶って妻として、兄弟の義務を果たし、彼女の産んだ長子に死んだ兄弟の名を継がせ、その名がイスラエルの中から絶えないようにしなければならない。もし、その人が義理の姉妹を娶ろうとしない場合、彼女は町の門に行って長老たちに訴えて、こう言うべきである『私の義理の兄弟は、その兄弟の名をイスラエルの中に残すのを拒んで、私のために兄弟の義務を果たそうとしません』」。
・次兄オナンは兄のために子を残すことを拒否して死んだ。次は三男シラが兄嫁をもらうべきであるが、舅ユダはシラも死ぬことを恐れて、嫁を実家に帰した。
―創世記38:9-11「オナンはその子孫が自分のものとならないのを知っていたので、兄に子孫を与えないように、兄嫁のところに入る度に子種を地面に流した。彼のしたことは主の意に反することであったので、彼もまた殺された。ユダは嫁のタマルに言った『私の息子のシェラが成人するまで、あなたは父上の家で、やもめのまま暮らしていなさい』。それは、シェラもまた兄たちのように死んではいけないと思ったからであった。タマルは自分の父の家に帰って暮らした」。
2.タマルの妊娠
・子を産まないで家に戻されることは当時の婦人にとって恥辱であった。そして年月が経ち、ユダの妻が死んだ。タマルは義父ユダが三男の嫁にも、また彼自身の後妻にも迎えてくれないことを知り、ユダが近隣に来る時を狙って、自ら進んでユダに身を任せ、子を得ようとした。
−創世記38:14-16a「タマルはやもめの着物を脱ぎ、ベールをかぶって身なりを変え、ティムナへ行く途中のエナイムの入り口に座った。シェラが成人したのに、自分がその妻にしてもらえない、と分かったからである。ユダは彼女を見て、顔を隠しているので娼婦だと思った。ユダは、路傍にいる彼女に近寄って、『さあ、あなたの所に入らせてくれ』と言った。彼女が自分の嫁だとは気づかなかったからである」。
・タマルは将来の保証のために、ユダの印章と杖を預かって、ユダに身を任せた。こうしてタマルはユダにより身ごもる。
−創世記38:16b-19「『私の所にお入りになるのなら、何を下さいますか』と彼女が言うと、ユダは『群れの中から子山羊を一匹、送り届けよう』と答えた。しかし彼女は言った『でも、それを送り届けてくださるまで、保証の品を下さい』。『どんな保証がいいのか』と言うと、彼女は答えた『あなたのひもの付いた印章と、持っていらっしゃるその杖です』。ユダはそれを渡し、彼女の所に入った。彼女はこうして、ユダによって身ごもった。彼女はそこを立ち去り、ベールを脱いで、再びやもめの着物を着た」。
・タマルは妊娠し、事情を知らないユダはタマルの姦淫を疑い、彼女の処罰を命じる
−創世記38:24「三か月ほどたって『あなたの嫁タマルは姦淫をし、しかも、姦淫によって身ごもりました』とユダに告げる者があったので、ユダは言った『あの女を引きずり出して、焼き殺してしまえ』」。
・タマルはユダの前に出て、ユダが残した証拠の品を彼の前に提示した。ユダはタマルの行為の意味を知り、悔い改める。
−創世記38:25-26「ところが、引きずり出されようとした時、タマルは舅に使いをやって言った『私は、この品々の持ち主によって身ごもったのです』。彼女は続けて言った『どうか、このひもの付いた印章とこの杖とが、どなたのものか、お調べ下さい』。ユダは調べて言った『私よりも彼女の方が正しい。私が彼女を息子のシェラに与えなかったからだ』。ユダは、再びタマルを知ることはなかった」。
・タマルは双子のペレツとゼラを産んだ。このペレツがユダの後継者になり、子孫からダビデが生まれていく。
−創世記38:27-30「タマルの出産の時が来たが、胎内には双子がいた。出産の時、一人の子が手を出したので・・・真っ赤な糸を取ってその手に結んだ。ところがその子は手を引っ込めてしまい、もう一人の方が出てきたので、助産婦は言った『なんとまあ、この子は人を出し抜いたりして』。そこで、この子はペレツ(出し抜き)と名付けられた。その後から、手に真っ赤な糸を結んだ方の子が出てきたのでこの子はゼラ(真っ赤)と名付けられた」。
3.物語は何を語るのか
・タマルの行為を現代の道徳基準で裁くのは筋違いであろう。共同体において子孫を残すことは至上命題であり、物語の中でタマルへの批判は一切ない。むしろ子を残す為にとった賞賛の行為と考えられた。
−ルツ4:12「どうか、主がこの若い婦人によってあなたに子宝をお与えになり、タマルがユダのために産んだペレツの家のように、御家庭が恵まれるように」。
・そして、このタマルの子ペレツの子孫から、イスラエル王ダビデが出てくる。
―ルツ4:18-22「ペレツの系図は次のとおりである。ペレツにはヘツロンが生まれた。ヘツロンにはラムが生まれ、ラムにはアミナダブが生まれた。アミナダブにはナフションが生まれ、ナフションにはサルマが生まれた。サルマにはボアズが生まれ、ボアズにはオベドが生まれた。オベドにはエッサイが生まれ、エッサイにはダビデが生まれた」。
・ユダの子孫ダビデもまた部下の妻バテシバの美しさに負けて彼女を寝床に引き入れ、夫のウリヤを殺すという罪を犯す。彼は罪を犯したことを指摘されると、それを悔いた。
−サムエル記下12:7-13「ナタンはダビデに向かって言った『その男はあなただ。イスラエルの神、主はこう言われる。あなたに油を注いでイスラエルの王としたのは私である・・・なぜ主の言葉を侮り、私の意に背くことをしたのか。あなたはヘト人ウリヤを剣にかけ、その妻を奪って自分の妻とした。ウリヤをアンモン人の剣で殺したのはあなただ。それゆえ、剣はとこしえにあなたの家から去らないであろう』・・・ダビデはナタンに言った『私は主に罪を犯した』。ナタンはダビデに言った『主があなたの罪を取り除かれる。あなたは死の罰を免れる』」。
・このバテシバからソロモンが生まれ、ダビデの系図を満たして行き、その末にイエスが生まれた。マタイはイエスの系図の中に、タマルとバテシバという二人の女性の名を取り入れることを通して、イエスが人間の罪を贖うためにお生まれになったという彼の信仰を明らかにする。
−マタイ1:1-16「アブラハムの子ダビデの子、イエス・キリストの系図。アブラハムはイサクをもうけ、イサクはヤコブを、ヤコブはユダとその兄弟たちを、ユダはタマルによってペレツとゼラを・・・エッサイはダビデ王をもうけた。ダビデはウリヤの妻によってソロモンをもうけ・・・エレアザルはマタンを、マタンはヤコブを、ヤコブはマリアの夫ヨセフをもうけた。このマリアからメシアと呼ばれるイエスがお生まれになった」。
・ユダ族はイスラエル12部族の中で最後まで生き残った(それゆえ彼らの子孫はユダヤ人と呼ばれた)部族であり、最も尊重される存在である。しかしその始祖がこのような愚かなことをしたことを隠さない。聖書は罪の数々を記憶し、記録する。それは同時に、悔い改めたものを赦す神の愛が記憶され、記録されることを意味する。ここに聖書の誠実さがある。他方、征服者の歴史は始祖を神格化し、その支配を正当化させるために書かれる。天孫降臨を伝える日本の記紀神話はその典型であろう。聖書とは対照的である。