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日本バプテスト連盟 篠崎キリスト教会

2016年10月6日祈祷会(出エジプト記10章、いなごと闇の災い)

投稿日:2019年8月21日 更新日:

1.モーセとファラオの交渉

・モーセはファラオのところに行き、第8のしるしとして、いなごの災いが下されると語る。
―出エジプト記10:3-6a「モーセとアロンはファラオのところに行き、彼に言った。『ヘブライ人の神、主はこう言われた。いつまで、あなたは私の前に身を低くするのを拒むのか。私の民を去らせ、私に仕えさせなさい。もし、あなたが私の民を去らせることを拒み続けるならば、明日、私はあなたの領土にいなごを送り込む。いなごは地表を覆い尽くし、地面を見ることもできなくなる。そして、雹の害を免れた残りのものを食い荒らし、野に生えているすべての木を食い尽くす・・・エジプト中の家にいなごが満ちる。それは、あなたの先祖も、先祖の先祖も、この土地に住み着いたときから今日まで見たことがないものである』と。」
・中近東においていなごは恐怖を呼ぶ名前だった。その恐ろしさをヨエル書は記録する。ヨエル時代(紀元前530年ごろ)にユダを襲ったいなごの害は史上まれに見る悲惨なものだった。数億匹のいなごが大量発生し、地上の穀物や木々を手当たり次第に食べ尽くしたという。
*歴史上、繰り返し、いなごの害が発生している。パール・バック「大地」の中でも、中国でのいなご大量発生に伴う飢饉が描かれている。
―ヨエル1:2-4「老人たちよ、これを聞け。この地に住む者よ、皆耳を傾けよ。あなたたちの時代に、また、先祖の時代にも、このようなことがあっただろうか・・・かみ食らういなごの残したものを、移住するいなごが食らい、移住するいなごの残したものを若いいなごが食らい、若いいなごの残したものを食い荒らすいなごが食らった。」
・王の家臣はいなごの恐ろしさを知るゆえに、王にヘブライの民を去らせることを進言する。エジプトが滅びかかっているからだ。
-出エジプト記10:6b-7「彼が身を翻してファラオのもとから退出すると、ファラオの家臣が王に進言した。『いつまで、この男は私たちを陥れる罠となるのでしょうか。即刻あの者たちを去らせ、彼らの神、主に仕えさせてはいかがでしょう。エジプトが滅びかかっているのが、まだお分かりになりませんか。』」
・ファラオは譲歩するが、まだ「男だけ」という制限をつける。男だけであれば、やがて彼らはエジプトに帰るからだ。
―出エジプト記10:8-11「モーセとアロンがファラオのもとに呼び戻されると、ファラオは二人に言った。『行って、あなたたちの神、主に仕えるがよい。誰と誰が行くのか。』『若い者も年寄りも一緒に参ります。息子も娘も羊も牛も参ります。主の祭りは我々全員のものです』とモーセが答えると、ファラオは二人に言った。『よろしい。私がお前たちを家族ともども去らせる時は、主がお前たちと共におられるように。お前たちの前には災いが待っているのを知るがよい。いや、行くならば、男たちだけで行って、主に仕えるがよい。それがお前たちの求めていたことだ。』」

2.いなごの災い

・かたくななファラオに対していなごの災いが臨む。それは地を徹底的に破壊する災いだ。
―出エジプト記10:12-15「主はモーセに言われた。『手をエジプトの地に差し伸べ、いなごを呼び寄せなさい。いなごはエジプトの国を襲い、地のあらゆる草、雹の害を免れたすべてのものを食い尽くすであろう。』モーセがエジプトの地に杖を差し伸べると、主はまる一昼夜、東風を吹かせられた。朝になると、東風がいなごの大群を運んで来た。いなごは、エジプト全土を襲い、エジプトの領土全体にとどまった。このようにおびただしいいなごの大群は前にも後にもなかった。いなごが地の面をすべて覆ったので、地は暗くなった。いなごは地のあらゆる草、雹の害を免れた木の実をすべて食い尽くしたので、木であれ、野の草であれ、エジプト全土のどこにも緑のものは何一つ残らなかった。」
・災いを見てエジプト王は悔い改めるが、災いが去れば前言を翻す。舞台は最終破局へと進む。
-出エジプト記10:16-20「ファラオは急いでモーセとアロンを呼んで頼んだ。『あなたたちの神、主に対し、またあなたたちに対しても、私は過ちを犯した。どうか、もう一度だけ過ちを赦して、あなたたちの神、主に祈願してもらいたい。こんな死に方だけはしないで済むように。』モーセがファラオのもとを退出して、主に祈願すると、主は風向きを変え、甚だ強い西風とし、いなごを吹き飛ばして、葦の海に追いやられたので、エジプトの領土全体にいなごは一匹も残らなかった。しかし、主がファラオの心をかたくなにされたので、ファラオはイスラエルの人々を去らせなかった。」

3.闇の災い

・9番目に与えられた災いは闇だった。3日の間、何も見えない漆黒の闇がエジプトを覆った。
―出エジプト記10:21-23「主はモーセに言われた。『手を天に向かって差し伸べ、エジプトの地に闇を臨ませ、人がそれを手に感じるほどにしなさい。』モーセが手を天に向かって差し伸べると、三日間エジプト全土に暗闇が臨んだ。人々は、三日間互いに見ることも自分のいる場所から立ち上がることもできなかったが、イスラエルの人々が住んでいる所にはどこでも光があった。」
・この災害はいなごを吹き去った強風によって起こったと考えられる。強風が激しい砂嵐をもたらし、この嵐によって太陽光線がさえぎられて暗黒になり、人々は闇の中に閉じ込められてしまった。それは太陽神の化身とされていたエジプト王の無力をあざ笑うものであった。ファラオは三日目に降伏したが、今回も解放は部分的なものであった。モーセは当然にこれを拒否し、ファラオは最後の災い(全ての長子の死)を迎える。
―出エジプト記10:24-29「ファラオがモーセを呼び寄せて、『行って、主に仕えるがよい。ただし、羊と牛は残しておけ。妻子は連れて行ってもよい』と言うと、モーセは答えた。『いいえ。あなた御自身からも、いけにえと焼き尽くす献げ物をいただいて、我々の神、主にささげたいと思っています。我々の家畜も連れて行き、ひづめ一つ残さないでしょう・・・』しかし、主がまたファラオの心をかたくなにされたので、ファラオは彼らを去らせようとはしなかった。ファラオが、『引き下がれ。二度と私の前に姿を見せないよう気をつけよ。今度会ったら、生かしてはおかない』と言うと、モーセは答えた。『よくぞ仰せになりました。二度とお会いしようとは思いません。』」

4.災いと救い

・災いが与えられるのは、人が神を主と認めないからだ。認めるまで繰り返し災いが与えられる。ファラオに対して、「民を去らせよ」との要求が繰り返されるが、ファラオは聞かない。そのような中で、主がモーセに災いの意味を語られる。
-出エジプト記10:1-2「主はモーセに言われた。『ファラオのもとに行きなさい。彼とその家臣の心を頑迷にしたのは、私自身である。それは、彼らのただ中で私がこれらのしるしを行うためであり、私がエジプト人をどのようにあしらったか、どのようなしるしを行ったかをあなたが子孫に語り伝え、私が主であることをあなたたちが知るためである。』」
・災いは激しくなり、全てが奪い去られる。後には何も残らない。いなごの害はその象徴だ。何故か、神に立ち返るためには、人は徹底的に打ち砕かれなければいけないからだ。
―ヨエル2:12-14「主は言われる。『今こそ、心から私に立ち帰れ、断食し、泣き悲しんで。衣を裂くのではなく、お前たちの心を引き裂け。あなたたちの神、主に立ち帰れ。主は恵みに満ち、憐れみ深く、忍耐強く、慈しみに富み、くだした災いを悔いられるからだ。あるいは、主が思い直され、その後に祝福を残し、あなたたちの神、主にささげる穀物とぶどう酒を残してくださるかもしれない。』」
・ファラオはかたくなだ。危機が去ると同じ過ちを繰り返してしまう。何故ならばヘブライ人の安価な労働力を放棄する経済的な損失を惜しみ、最後の災い(全ての長子の死)を迎えるまで改めない。これは福島原発事故があっても、原発を廃棄できない日本の政治と似ている。現在でも福島原発の廃炉費用は数十兆円を超えると推計され、その費用をだれが負担するかは不明である。営利企業である電力会社が収益向上のために原発再稼働を求めるのは当然であるが、国家としてはすべての国民を利する経済性があるか否かで判断しなければならない。ドイツは、2011年の福島原子力発電所の炉心溶融事故をきっかけに、エネルギー政策を根本的に変え、原発廃棄を決めた。原発再稼働の可否は、信仰的にも議論が必要な課題である。

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