江戸川区南篠崎町にあるキリスト教会です

日本バプテスト連盟 篠崎キリスト教会

2015年11月26日祈祷会(創世記18章、イサク誕生とソドム滅亡の予告)

投稿日:2019年8月21日 更新日:

1.イサク誕生の予告

・三人の旅人がアブラハムの天幕を訪れ、アブラハムはこれを歓待する。過酷な砂漠にすむ遊牧民には、旅人をもてなすのは当然の慣習だった。アブラハムは旅人たちが主の使いであることには気づいていない。
−創世記18:1-5「主はマムレの樫の木の所でアブラハムに現れた。暑い真昼に、アブラハムは天幕の入り口に座っていた。目を上げて見ると、三人の人が彼に向かって立っていた。アブラハムはすぐに天幕の入り口から走り出て迎え、地にひれ伏して、言った『お客様、よろしければ、どうか、僕のもとを通り過ぎないでください。水を少々持って来させますから、足を洗って、木陰でどうぞひと休みなさってください。何か召し上がるものを調えますので、疲れをいやしてから、お出かけください。せっかく、僕の所の近くをお通りになったのですから』。その人たちは言った『では、お言葉どおりにしましょう』」。
・アブラハムは三人にパンを提供し、子牛の料理を用意してもてなした。
−創世記18:6-8「アブラハムは急いで天幕に戻り、サラのところに来て言った『早く、上等の小麦粉を三セアほどこねて、パン菓子をこしらえなさい』。アブラハムは牛の群れのところへ走って行き、柔らかくておいしそうな子牛を選び、召し使いに渡し、急いで料理させた。アブラハムは、凝乳、乳、出来立ての子牛の料理などを運び、彼らの前に並べた。そして、彼らが木陰で食事をしている間、そばに立って給仕をした」。
・やがてサラに子供が生まれるとの予告がなされ、その時アブラハムは彼らが主の使いであることがわかった。
―創世記18:9-10「彼らはアブラハムに尋ねた『あなたの妻のサラはどこにいますか』。『はい、天幕の中におります』とアブラハムが答えると、彼らの一人が言った『私は来年の今ごろ、必ずここにまた来ますが、そのころには、あなたの妻のサラに男の子が生まれているでしょう』。サラは、すぐ後ろの天幕の入り口で聞いていた」。
・サラはこの予告を聞いて冷笑する。彼女は生理もとっくの昔に終わり、今更アブラハムと性的交わりをする年齢ではない。その自分に子が与えられるはずがない。笑うしかないではないか。
―創世記18:10-12「アブラハムもサラも多くの日を重ねて老人になっており、しかもサラは月のものがとうになくなっていた。サラはひそかに笑った。自分は年をとり、もはや楽しみがあるはずもなし、主人も年老いているのに、と思ったのである」。
・主の使いは冷笑するサラを叱咤する「主に不可能なことがあろうか」と。サラは思わず「笑っていません」と弁解する。
―創世記18:13-15「主はアブラハムに言われた『なぜサラは笑ったのか。なぜ年をとった自分に子供が生まれるはずがないと思ったのだ。主に不可能なことがあろうか。来年の今ごろ、私はここに戻ってくる。そのころ、サラには必ず男の子が生まれている』。サラは恐ろしくなり、打ち消して言った『私は笑いませんでした』。主は言われた『いや、あなたは確かに笑った』」。
・ヘブル書の著者は、このときサラは「不可能を可能にする主を信じた」と記述するが正しくない。サラは信じなかったし、アブラハムも信じなかった。「不可能を可能にする」主を信じるためには、私たちはその事実を直接見る必要がある。そして神は私たちに見せて下さる。信仰はそこから始まる。
―ヘブル11:11「信仰によって、サラもまた、年老いていたが、種を宿す力を与えられた。約束をなさったかたは真実であると、信じていたからである。」

2.ソドム滅亡の予告

・主はソドムとゴモラをその罪のゆえに滅ぼす予定であることをアブラハムに告げられる。
―創世記18:16-21「その人たちはそこを立って、ソドムを見下ろす所まで来た。アブラハムも、彼らを見送るために一緒に行った。主は言われた『私が行おうとしていることをアブラハムに隠す必要があろうか。アブラハムは大きな強い国民になり、世界のすべての国民は彼によって祝福に入る。私がアブラハムを選んだのは、彼が息子たちとその子孫に、主の道を守り、主に従って正義を行うよう命じて、主がアブラハムに約束したことを成就するためである』。主は言われた『ソドムとゴモラの罪は非常に重い、と訴える叫びが実に大きい。私は降って行き、彼らの行跡が、果たして、私に届いた叫びのとおりかどうか見て確かめよう』」。
・ソドムとゴモラをその罪のゆえに滅ぼすとの主の言葉は、洪水物語と同じ類の言葉である。洪水物語では「人間の悪を許容する」と言われた主が、何故ここでは滅ぼすと言われるのか。アブラハムは抗議する。
―創世記18:22-25「その人たちは、更にソドムの方へ向かったが、アブラハムはなお、主の御前にいた。アブラハムは進み出て言った『まことにあなたは、正しい者を悪い者と一緒に滅ぼされるのですか。あの町に正しい者が五十人いるとしても、それでも滅ぼし、その五十人の正しい者のために、町をお赦しにはならないのですか。正しい者を悪い者と一緒に殺し、正しい者を悪い者と同じ目に遭わせるようなことを、あなたがなさるはずはございません。全くありえないことです。全世界を裁くお方は、正義を行われるべきではありませんか』」。
・アブラハムがソドムの運命に関心を持つのは、一つはソドムに甥のロトが住んでいた故であろう。しかしそれ以上に、アブラハムは「悪人がその悪ゆえに滅ぼされることを願わず、正しい者の存在ゆえに赦されることを願う』気持ちがあったからであろう。正義とは「人の罪の赦しを神に執り成し、祈る」ことだとある注解者は記した。アブラハムは必死に執り成す。
−創世記18:27-31「アブラハムは答えた『塵あくたにすぎない私ですが、あえて、わが主に申し上げます。もしかすると、五十人の正しい者に五人足りないかもしれません。それでもあなたは、五人足りないために、町のすべてを滅ぼされますか』。主は言われた『もし、四十五人いれば滅ぼさない』。アブラハムは重ねて言った『もしかすると、四十人しかいないかもしれません』。主は言われた『その四十人のために私はそれをしない』。アブラハムは言った『主よ、どうかお怒りにならずに、もう少し言わせてください。もしかすると、そこには三十人しかいないかもしれません』。主は言われた『もし三十人いるなら私はそれをしない』。アブラハムは言った『あえて、わが主に申し上げます。もしかすると、二十人しかいないかもしれません』。主は言われた『その二十人のために私は滅ぼさない』」。
・アブラハムはソドムの町に10人の正しい人がいれば滅ぼさないとの主の確約を取るが、そこで止める。正しい者が一人もいないであろうことを知ったからである。
−創世記18:32-33「アブラハムは言った『主よ、どうかお怒りにならずに、もう一度だけ言わせてください。もしかすると、十人しかいないかもしれません』。主は言われた『その十人のために私は滅ぼさない』。主はアブラハムと語り終えると、去って行かれた。アブラハムも自分の住まいに帰った」。
・後の時代に主はエレミヤに言われた「エルサレムの町に正しい者が一人でもいれば私は滅ぼさない」(エレミヤ5:1)。「正しい者が一人でもいれば滅ぼさない」、それが神の宣言である。しかし、自分は正しいと言う者はいても、神の眼から見て正しい者は誰もいない。パウロの語る通りである。
−ローマ3:9-12「では、どうなのか。私たちには優れた点があるのでしょうか。全くありません。既に指摘したように、ユダヤ人もギリシア人も皆、罪の下にあるのです。次のように書いてあるとおりです。『正しい者はいない。一人もいない。悟る者もなく、神を探し求める者もいない。皆迷い、だれもかれも役に立たない者となった。善を行う者はいない。ただの一人もいない』」。
・ソドムのある死海地域は海抜マイナス418mと地表で最も低い場所で、アスファルトや硫黄等の可燃性鉱物が大量に地下に埋蔵されている。また東アフリカからトルコにかけての大地溝帯に位置している。ソドムの滅亡は地震等により地下の鉱物や気体が発火し、爆発と大火災を起こして、町々が埋没し、遺跡は死海の下に眠ると推測されている。町々の滅亡があまりにも劇的であり、人々は町々が「神の裁きにより滅ぼされた」と理解し、それが伝承となり、滅亡物語を生んだと思われる。ソドム滅亡の話はイエスの説話の中にも現れる。「私たちもまたソドムの住民であり、滅ぼされても仕方のない存在であるのに、神の憐れみにより生存が赦されている」ことを知れと、イエスは言われている。
−マタイ11:23-24「カファルナウム、お前は天にまで上げられるとでも思っているのか。陰府にまで落とされるのだ。お前のところでなされた奇跡が、ソドムで行われていれば、あの町は今日まで無事だったにちがいない。しかし、言っておく。裁きの日にはソドムの地の方が、お前よりまだ軽い罰で済むのである」。

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