1.アブラハムの召命
・創世記1−11章は原初史だが、それは「神の祝福を受けて創造された人間が、罪を犯して神に背き、神から離れていった」歴史である。人は神に背き、離反したが、神は人を見捨てられない。神は新しい救いの業とし て、一人の人を選び、彼に一つの民族を形成させ、その民族を通してすべての人を救うことを計画された。それがアブラハムの召命に始まったと創世記の著者は告白する。アブラハムは主の召命を受けて、どこに行くのかも問い返さず、それに従った。
―創世記12:1-4「主はアブラムに言われた『あなたは生まれ故郷、父の家を離れて、私が示す地に行きなさい。私はあなたを大いなる国民にし、あなたを祝福し、あなたの名を高める。祝福の源となるように。あなたを祝福する人を私は祝福し、あなたを呪う者を私は呪う。地上の氏族はすべてあなたによって祝福に入る』」。
・アブラム、後のアブラハムはメソポタミヤに住む遊牧民だった。アブラハムは父テラの時代に、カルデアのウルからハランまで移住している(創世記11:31)。ウルはユーフラテス川とチグリス川が交差する河口の町、メソポタミヤ文明発祥の地であり、そこでは月神が礼拝されていた。神は創造の回復のために、アブラハムの父テラに偶像崇拝の町を離れ、新たな信仰の場を求めるように命じられ、テラはユーフラテス川に沿って北上し、上流のハラン地方まで移住し、テラはそこで死ぬ。そのテラの息子アブラハムに、「ハランを離れて、私の示す地に行け」との神の召しがあった。
―創世記12:4「アブラムは、主の言葉に従って旅立った。ロトも共に行った。アブラムは、ハランを出発したとき七十五歳であった」。
2.アブラハムの旅立ち
・アブラハムは信仰の決断をした。ヘブル書はアブラハムの信仰をたたえる。
-ヘブル 11:8-10「信仰によって、アブラハムは、自分が財産として受け継ぐことになる土地に出て行くように召し出されると、これに服従し、行き先も知らずに出発したのです。信仰によって、アブラハムは他国に宿るようにして約束の地に住み、同じ約束されたものを共に受け継ぐ者であるイサク、ヤコブと一緒に幕屋に住みました。アブラハムは、神が設計者であり建設者である堅固な土台を持つ都を待望していたからです」。
・アブラハムは約束の地に到着し、「あなたの子孫にこの土地を与える」との約束を受ける。そこには先住民族が住んでいたが、アブラハムはこの約束を信じ、祭壇を築いて主を拝した。
-創世記12:5-7「アブラムは妻のサライ、甥のロトを連れ、蓄えた財産をすべて携え、ハランで加わった人々と共にカナン地方へ向かって出発し、カナン地方に入った。アブラムはその地を通り、シケムの聖所、モレの樫の木まで来た。当時、その地方にはカナン人が住んでいた。主はアブラムに現れて、言われた。『あなたの子孫にこの土地を与える』。アブラムは、彼に現れた主のために、そこに祭壇を築いた」。
・シケムには強力な武器と城砦を持つ先住民がいて土地を獲得することは無理だった。彼はシケムを離れてベテルに南下する。南部では自分も土地を持てるかもしれないと思ったからだ。
-創世記12:8「アブラムは、そこからベテルの東の山へ移り、西にベテル、東にアイを望む所に天幕を張って、そこにも主のために祭壇を築き、主の御名を呼んだ」。
・しかし、ベテルにも居場所はなかった。先住民が住んでいる土地に寄留者一族が入り込む余地はなかった。だから彼は、誰も住まない砂漠のネゲブに居を移す。彼は「あなたの子孫にこの土地を与える」という神の約束を疑い始めている。
-創世記12:9「アブラムは更に旅を続け、ネゲブ地方へ移った」。
3.アブラハムの罪とその赦し
・約束の地に来たアブラハムを、次に迎えたものは飢饉だった。旱魃のため、家畜に食べさせる草も水も手に入れることができない。アブラハムは「私が養う」という主の約束を信頼することができず、食を求めてエジプトに下りる。
-創世記12:10「その地方に飢饉があった。アブラムは、その地方の飢饉がひどかったので、エジプトに下り、そこに滞在することにした」。
・これまでアブラハムは、行く先々で祭壇を築いて主を礼拝している。しかしエジプト下りについては、「主のために祭壇を築いた」という表現はない。おそらくはアブラハムは一族と家畜を守るために、自分の判断でエジプト行きを決めた。この時、アブラハムの中で何かが崩れた。彼はもはや神に頼れないと思い始めている。
・神の庇護を信じられない者は他者を恐れる。アブラハムは妻サラが際立って美貌であることが気になる。妻が美しいことは弱肉強食の世界では危険だ。強い者が力ずくで妻を奪い、夫を殺す可能性があるからだ。そのためアブラハムは妻サラを妹と偽ってエジプトに下る。
-創世記12:11-13「エジプトに入ろうとしたとき、妻サライに言った「あなたが美しいのを、私はよく知っている。エジプト人があなたを見たら、『この女はあの男の妻だ』と言って、私を殺し、あなたを生かしておくにちがいない。どうか、私の妹だ、と言ってください。そうすれば、私はあなたのゆえに幸いになり、あなたのお陰で命も助かるだろう」。
・アブラハムの懸念は現実となった。エジプト王はサラの美貌に目を留め、彼女を側室として迎え入れ、アブラハムはサラの兄として、王から多くの贈り物を与えられ、裕福になる。信仰の父と言われる人が、妻を売って身の安泰を保ち、金持ちになった。アブラハムは妻をエジプト王の側室に売って、身の安全と繁栄を図ろうとした。
-創世記12:14-16「アブラムがエジプトに入ると、エジプト人はサライを見て、大変美しいと思った。ファラオの家臣たちも彼女を見て、ファラオに彼女のことを褒めたので、サライはファラオの宮廷に召し入れられた。アブラムも彼女のゆえに幸いを受け、羊の群れ、牛の群れ、ろば、男女の奴隷、雌ろば、らくだなどを与えられた」。
・しかし、主はサラを救出される「主は、アブラムの妻サライのことで、ファラオと宮廷の人々を恐ろしい病気にかからせた」。エジプト王は原因がサラとアブラハムにあることを知り、彼に問いかける「あなたは私に何ということをしたのか」。
-創世記12:17-20「ところが主は、アブラムの妻サライのことで、ファラオと宮廷の人々を恐ろしい病気にかからせた。ファラオはアブラムを呼び寄せて言った「あなたは私に何ということをしたのか。なぜ、あの婦人は自分の妻だと、言わなかったのか。なぜ、『私の妹です』などと言ったのか。だからこそ、私の妻として召し入れたのだ。さあ、あなたの妻を連れて、立ち去ってもらいたい』。ファラオは家来たちに命じて、アブラムを、その妻とすべての持ち物と共に送り出させた」。
・「あなたは私に何ということをしたのか」、ヘブル語「マー・ゾート・アッシータ」は創世記では先に禁断の木の実を食べたエバに向かって神が「何ということをしたのか」と言われ(3:13)、弟を殺したカインに対しても「何ということをしたのか」と言われた(4:10)のと同じ言葉だ。今また、主はエジプト王の口を通して、「何ということをしたのか」とアブラハムに問われた。
・13章は帰国後のアブラハムを描く。アブラハムはエジプトからカナンに戻ると、最初に主を礼拝した。アブラハムは主を信じきることができずにエジプトに行き、その地で罪を犯し、恥ずかしい思いを抱いて約束の地に帰ってきた。そして最初にしたのは主の前に悔い改めることだった。自分が罪を犯したのに主は見捨てず救って下さった、それを知った時、彼の信仰者としての新しい人生が始まった。
-創世記13:3-4「ネゲブ地方から更に、ベテルに向かって旅を続け、ベテルとアイとの間の、以前に天幕を張った所まで来た。そこは、彼が最初に祭壇を築いて、主の御名を呼んだ場所であった」。
・創世記12章前半は信仰者アブラハムの物語だが、12章後半は罪人アブラハムの物語だ。そしてそのどちらもがアブラハムなのだ。人が動物を殺してその肉を食べて生きるように、私たちは罪を犯さずには生きていけない存在だ。アダムとエバは罪を犯して楽園を追放されたが、主は二人に革の衣を与えて保護された(3:21)。弟を殺してエデンの東に追放されたカインにもしるしが与えられ、敵から守られた(4:16)。アブラハムにもこれから生きて行くのに必要な財産が与えられ、新しい旅立ちが守られた(13:2)。私たちも罪を犯し続ける。それにもかかわらず主は共にいてくださった、そのことを知った時、私たちの回心が生まれ、信仰者となっていく。アブラハムの物語は私たち一人一人が体験する物語なのではないだろうか。