1.正しき人と悪しき人の対比
・箴言は10章から本論に入り、そこには二行からなる警句があふれている。それは道徳に関する断言であり、多くは対立的に並べられる。一見した所、統一性がないように思える。しかし、仔細に見ればそこには編集の業が見える。10章の中心主題は「神に従う者は祝福され、神に逆らう者は呪われる」であろう。「神に従う人」、「神に逆らう者」という言葉で10章を検索すると、多くの箇所がそこに現れる。
−箴言10:6「神に従う人は頭に祝福を受ける。神に逆らう者は口に不法を隠す」。
−箴言10:7 「神に従う人の名は祝福され、神に逆らう者の名は朽ちる」。
−箴言10:11「神に従う人の口は命の源、神に逆らう者の口は不法を隠す」。
−箴言10:16「神に従う人の収入は生活を支えるため、神に逆らう者の稼ぎは罪のため」。
−箴言10:20「神に従う人の舌は精選された銀。神に逆らう者の心は無に等しい」。
−箴言10:21「神に従う人の唇は多くの人を養う。無知な者は意志が弱くて死ぬ」。
−箴言10:24「神に逆らう者は危惧する事に襲われる。神に従う人の願いはかなえられる」。
−箴言10:25「神に逆らう者はつむじ風の過ぎるように消える。神に従う人はとこしえの礎」。
−箴言10:28「神に従う人は待ち望んで喜びを得る。神に逆らう者は期待しても裏切られる」。
−箴言10:30「神に従う人はとこしえに揺らぐことなく、神に逆らう者は地に住まいを得ない」。
−箴言10:31「神に従う人の口は知恵を生み、暴言をはく舌は断たれる」。
−箴言10:32「神に従う人の唇は好意に親しみ、神に逆らう者の口は暴言に親しむ」。
・イスラエルの賢者たちは、自分たちが住んでいる世界は、「知恵のある正しい行いが報われ、愚かで悪い行いが罰せられる」という点で、秩序ある世界だとの強い信念を持っていた。神が支配されている故に、行為と結果は因果で結ばれているというのが彼らの信仰だった。
−箴言1:32-33「浅はかな者は座して死に至り、愚か者は無為の内に滅びる。私に聞き従う人は確かな住まいを得、災難を恐れることなく平穏に暮らす」。
・賢者たちは「この世は正しい者が生きるには良い世界であり、悪しき者にとっては悪い世界である」と信じていた。しかし現実の世界はそうではない。現実は罪なき者たちが無意味に死に、悪しきと思われる者たちが安楽に年を重ねる、不条理に満ちた世界だ。因果律だけでは納得出来ない。イエスも因果応報を否定される。
−ルカ13:1-5「ちょうどそのとき、何人かの人が来て、ピラトがガリラヤ人の血を彼らのいけにえに混ぜたことをイエスに告げた。イエスはお答えになった『そのガリラヤ人たちがそのような災難に遭ったのは、ほかのどのガリラヤ人よりも罪深い者だったからだと思うのか。決してそうではない。言っておくが、あなたがたも悔い改めなければ、皆同じように滅びる。また、シロアムの塔が倒れて死んだあの十八人は、エルサレムに住んでいたほかのどの人々よりも、罪深い者だったと思うのか。決してそうではない。言っておくが、あなたがたも悔い改めなければ、皆同じように滅びる』」。
・しかし箴言の賢者たちは語る「正しい者が災難を被っても絶望してはならない。彼らはもう一度立ち上がることができる。悪しき者が栄えても彼らを羨むべきではない。遅かれ早かれ、彼らの灯火は消える」。それもまた真理である。神が支配されるとはそういうことなのだろう。
−箴言24:16-22「神に従う人は七度倒れても起き上がる。神に逆らう者は災難に遭えばつまずく・・・悪事を働く者に怒りを覚え、主に逆らう者のことに心を燃やすことはない。悪者には未来はない。主に逆らう者の灯は消える・・・突然、彼らの不幸は始まる。この両者が下す災難を誰が知りえよう」。
2.言葉の重要性
・10章におけるもう一つの主題は「言葉」である。人は言葉を持って相手と交わるが、その言葉がある時には他者を傷つけ、別の時には他者を慰める。言葉、唇、口という単語が10章には繰り返し出てくる
−箴言10:6「神に従う人は頭に祝福を受ける。神に逆らう者は口に不法を隠す」。
−箴言10:10「嘲りのまなざしは人を苦しめる。無知な唇は滅びに落とされる」。
−箴言10:11「神に従う人の口は命の源、神に逆らう者の口は不法を隠す」。
−箴言10:13「聡明な唇には知恵がある。意志の弱い者の背には杖」。
−箴言10:14「知恵ある人は知識を隠す。無知な者の口には破滅が近い」。
−箴言10:18「うそを言う唇は憎しみを隠している。愚か者は悪口を言う」。
−箴言10:19「口数が多ければ罪は避けえない。唇を制すれば成功する」。
−箴言10:20「神に従う人の舌は精選された銀。神に逆らう者の心は無に等しい」。
−箴言10:31「神に従う人の口は知恵を生み、暴言をはく舌は断たれる」。
−箴言10:32「神に従う人の唇は好意に親しみ、神に逆らう者の口は暴言に親しむ」。
・人はその舌を制御出来ないとヤコブは語る。私たちも日常生活においてそれが真実であることを知る。
−ヤコブ3:6-10「舌は火です。舌は『不義の世界』です。私たちの体の器官の一つで、全身を汚し、移り変わる人生を焼き尽くし、自らも地獄の火によって燃やされます。あらゆる種類の獣や鳥、また這うものや海の生き物は、人間によって制御されていますし、これまでも制御されてきました。しかし、舌を制御できる人は一人もいません。舌は、疲れを知らない悪で、死をもたらす毒に満ちています。私たちは舌で、父である主を賛美し、また、舌で、神にかたどって造られた人間を呪います。同じ口から賛美と呪いが出て来るのです。私の兄弟たち、このようなことがあってはなりません」。
・言葉がなぜ人の心を傷つけるのか、それはその人の内心の思いが言葉として出るからだ。
−マルコ7:20-23「更に、次のように言われた『人から出て来るものこそ、人を汚す。中から、つまり人間の心から、悪い思いが出て来るからである。みだらな行い、盗み、殺意、姦淫、貪欲、悪意、詐欺、好色、ねたみ、悪口、傲慢、無分別など、これらの悪はみな中から出て来て、人を汚すのである』」。
・舌を制御出来ない人々に箴言は語る「憎しみはいさかいを引き起こす。愛は全ての罪を覆う」(箴言10:12)。舌を制御できない人間も愛によって変わりうる。これこそパウロもまた繰り返し語る真理だ。この愛はLoveではなく、Respectだ。相手を大切にする、相手を敬う、そこから真の人間関係が生まれる。
-1コリント12:31-13:3「そこで、私はあなたがたに最高の道を教えます。たとえ、人々の異言、天使たちの異言を語ろうとも、愛がなければ、私は騒がしいどら、やかましいシンバル。たとえ、預言する賜物を持ち、あらゆる神秘とあらゆる知識に通じていようとも、たとえ、山を動かすほどの完全な信仰を持っていようとも、愛がなければ、無に等しい。全財産を貧しい人々のために使い尽くそうとも、誇ろうとしてわが身を死に引き渡そうとも、愛がなければ、私に何の益もない」。