1.不倫をするなと若者に説く知恵の教師
・箴言5章は若者たちに、「誘惑する女性に惑わされるな、彼女たちはうわべは魅力的であるが、その内実は苦よもぎのように苦く、両刃の剣のように危険である」と忠告する。
−箴言5:1-6「わが子よ、私の知恵に耳を傾け、私の英知に耳を向けよ。そうすれば、あなたは唇に慎みを守り、知識を保つことができる。よその女の唇は蜜を滴らせ、その口は油よりも滑らかだ。だがやがて、苦よもぎよりも苦くなり、両刃の剣のように鋭くなる。彼女の足は死へ下って行き、一歩一歩と、陰府に達する。人生の道のりを計ろうともせず、自分の道から外れても、知ることもない」。
・ここでの女性は遊女ではなく、人妻だろう。人妻との密通は十戒に反する行為だ(他方、遊女を買うことは許されていた/創世記38章他)。人妻に誘惑されるなという戒めは箴言に繰り返し出てくる。性の誘惑はそれだけ大きいのである。
−箴言6:25-26「彼女の美しさを心に慕うな。そのまなざしのとりこになるな。遊女への支払いは一塊のパン程度だが、人妻は貴い命を要求する」。
・不倫の代償はあまりにも大きい。一時の快楽がやがてあなたを地獄に突き落とすことになる。「果たして不倫にそれほどの価値があるだろうか」と著者は問いかける。
−箴言5:8-14「あなたの道を彼女から遠ざけよ。その門口に近寄るな。あなたの栄えを他人に、長寿を残酷なものに渡してはならない。よその者があなたの力に飽き足りることを許すな。異邦人の家をあなたが労した実りで満たしてはならない。さもなければ後になって、肉も筋も消耗し、あなたは呻き、言わなければならない『どうして、私の心は諭しを憎み、懲らしめをないがしろにしたのだろうか。教えてくれる人の声に聞き従わず、導いてくれる人の声に耳を向けなかった。会衆の中でも、共同体の中でも、私は最悪の者になりそうだ』」。
・この悔い改めの背景には、その女性に夫から、公衆の面前で非難され、代償を請求されていることが想定されているようだ。このような争いが当時多かったことが推測される。
−箴言6:32-35「人妻と密通する者は意志力のない男。身の破滅を求める者。疫病と軽蔑に遭い、恥は決してそそがれない。夫は嫉妬と怒りにかられ、ある日、彼に報復して容赦せず、どのような償いをも受け入れず、どれほど贈り物を積んでも受け取りはすまい」。
2.若い時に娶った妻を喜べと年長者に語る知恵の教師
・既婚男性の不倫は妻以外の女性を求める性的貪りから生じる。「貪るな」と知恵の教師は勧告する。
-箴言5:15-20「あなた自身の井戸から水を汲み、あなた自身の泉から湧く水を飲め。その源は溢れ出て、広場に幾筋もの流れができるであろう。その水をあなただけのものにせよ。あなたのもとにいるよその者に渡すな。あなたの水の源は祝福されよ。若い時からの妻に喜びを抱け。彼女は愛情深い雌鹿、優雅なかもしか。いつまでもその乳房によって満ち足り、常にその愛に酔うがよい。わが子よ、どうしてよその女に酔うことがあろう、異邦の女の胸を抱くことがあろう」。
・現代日本の離婚原因のトップは「性格の不一致」(45.4%)であるが、その半数以上は本人または相手側の「異性関係」があると言われている。原因2位の「異性関係」(28.5%)と合わせれば、離婚の過半数は「婚姻外の性的関係」(不倫)となる。不倫により、築き上げた家庭を壊すのはあまりにも愚かではないかと著者は語る。
-箴言5:21-23「人の歩む道は主の御目の前にある。その道を主はすべて計っておられる。主に逆らう者は自分の悪の罠にかかり、自分の罪の綱が彼を捕える。諭しを受け入れることもなく、重なる愚行に狂ったまま、死ぬであろう」。
3.不倫を現代アメリカ人はどう考えているのか〜クリントン大統領不倫疑惑についての報道から
・アメリカのクリントン大統領がホワイトハウス研修生のモニカ・ルインスキーとの「不適切な関係」を行い、これを認めた事件があった(1998.8.18)。事件はセクハラではなく、両者合意の上での性交渉である。大統領夫人ヒラリーは、クリントン大統領を許すと言明し、アメリカ国民の多くはクリントンの辞職を求めなかった(大統領は任期までつづけるべきだと考える人67%、これ以上不倫疑惑を追及するべきでないと考える人56%、1998年10月、CBSの世論調査より)。
・アメリカやイギリスでは、政治家のセックス・スキャンダルがしばしば大衆紙の見出しを飾り、大きな問題に発展する。逆に、フランスでは、政治とは直接の関係がない政治家のプライベートな出来事はほとんど報道されない。フランスのミッテラン前大統領に愛人がいることは、彼が大統領だった1980年代から公然の秘密で、ミッテランの友人はもちろん、政治記者たちも知っていたが、問題になるどころか、報道されることもなかった。
・1998年9月11日、クリントンはホワイトハウス朝食祈祷会で次のように祈った。
「今、私は悲嘆にくれるよりも、許しを請うべきだと思います。そして少なくとも、そのためには二つのことが必要なのです。第一は、心底から悔い改めることです。それは、私自身の在り方を変え、犯した過ちを正そうという強い覚悟です。そして、私は悔い改めました。第二は、聖書が言う「打ち砕かれた魂」(詩篇51:19)です。自分が願うような新しい存在になるためには、どうしても神の助けが必要だと認めることです。そして、その願いに応えて赦してくださろうという、神の御心です。それはまた、私が傲慢さや怒りを捨てることでもあります。奢った態度や怒りは裁きを曇らせ、人々に私と同じような行為をする口実を与えるか、あるいは一層の批判と誹謗をまねくでしょうから」。
4.教会は離婚をどのように考えてきたのか(Pastor聖書一日一生、玉川キリスト教会・福井誠から)
・カトリック教会では、どのような時にも離婚は認めない。それは結婚が、バプテスマ、聖餐式に並ぶ七つの秘蹟の一つであり、神が聖定した特別な機会、という理解があるからだろう。一方プロテスタントは、神が聖定した特別な聖礼典は、バプテスマと聖餐式二つのみであると考える。結婚関係は神が結び合わせてくださったものという理解はあるが、結婚を聖礼典とは同列には考えない。そして、場合によっては離婚も認める。
・ルターは、?不貞、?十年以上の遺棄、?不信者が離れていく場合、?以前に約束された結婚を知らなかった場合、?夫の性的不能、?妻が結婚の義務を拒んだ場合、の六つを離婚の条件として認める。カルヴァンは?不信者の離れていく場合、?不貞、?遺棄、?夫のいやしがたい放浪、?妻の不貞についての強い憶測の五つを認めている。
・おそらく全プロテスタントが認めている離婚の条件は、?不貞、?遺棄の二つだろう。例外はあるが、別れてはいけない。特に承知している場合は、というのが聖書の考えであろう。結婚というのは、そもそも身体的な関係であるから、結婚の関係を破るものは、身体的な関係以外にはありえない。つまり、姦淫と死、もしくは遺棄、この二つの理由が結婚関係を解消する(39節)。