江戸川区南篠崎町にあるキリスト教会です

日本バプテスト連盟 篠崎キリスト教会

2013年7月3日祈祷会(雅歌4:1−16、恋人よあなたは美しい)

投稿日:2019年8月21日 更新日:

・「雅歌」を聖書の中の愛の詩集として、受け入れることに抵抗を感じる人は今でもいる。しかし、「雅歌」が愛の詩集であることはまちがいない。愛の感動はあらゆる時代のあらゆる社会の言語で歌われてきた。その愛の詩集が聖書に含まれていたとしても不思議ではない。「雅歌」は寓話か、劇か、それとも愛の詩集か。この4章を読めば、どんな回り道をしても結局「雅歌」は愛の詩集である、と肯定して読むことになる、と誰でも気付くだろう。
−若者の歌−
−雅歌4:1「恋人よ、あなたは美しい。あなたは美しく、その目は鳩のよう。べ−ルの奥にひそんでいる。髪はギレアドの山を駆け下る山羊の群れ。」
・おとめの美しさをたとえをつかってほめている。べ−ルの奥のおとめの目は、まるで鳩の目のよう、黒く輝くつぶらな瞳、髪はギレアドの山を駆け降る黒山羊の群れのように豊かで美しいとほめる。「雅歌」4章は愛のほめ歌でもある。
−雅歌4:2「歯は雌羊の群れ。毛を刈られ、洗い場から上って来る雌羊の群れ。対になってそろい、連れあいを失ったものはない。」
・歯は毛を刈られ洗われた雌羊の群れに見え、その歯は欠けがなくよく揃って美しい。
−雅歌4:3「唇は紅の糸。言葉がこぼれるときにはとりわけ愛らしい。べ−ルの陰のこめかみはざくろの花。」
・黒髪と白い歯に続いて第三の色として紅色の唇でおとめの魅力を強調される。その唇から出る言葉は音に聞こえるのではなく、こぼれ落ちる宝玉のように見えるのである。
−雅歌4:4−6「首はみごとに積み上げられたダビデの塔。千の盾、勇士の小盾が掛けられている。乳房は二匹の小鹿。ゆりに囲まれ草をはむ双子のかもしか。夕べの風が騒ぎ、影が闇にまぎれる前に、ミルラの山にわたしは登ろう」
・おとめが首に巻いた、幾重にも積み重ねられた、様々な色のビ−ズの首飾りは、様々な色の煉瓦を積み上げた、ダビデの塔のように見える。両の乳房は草を食むニ頭の小鹿、百合の中にいるかもしかのよう、わたしは夕暮れになる前におとめのミルラの山に登りたい。
−雅歌4:7−8「恋人よ、あなたはなにもかも美しく、傷は一つもない。花嫁よ、レバノンからおいで、おいで、レバノンから出ておいで。アマナの頂から、セニル、ヘルモンの頂から、獅子の隠れが、豹の住む山から下りておいで。」
・詞の調子は一段と高まり、若者はおとめのすべてを誉めちぎり誉めまくる、アマナ、セニル、ヘルモンとはるか北の地名をあげ、そこから出ておいでと言っている。おとめはそんな遠くにいるのだろうか。そうではなく、この詩は逆に若者がおとめを、俗世界を離れた恋人たちの地上の楽園に誘っているのだ。アマナはダマスカスを流れる川、セニルとヘルモンは高い山の象徴であり、獅子や豹の住む山は俗世間からの遠さを強調しているのだ。
−雅歌4:9「わたしの妹、花嫁よ、あなたはわたしの心をときめかす。あなたのひと目も、首飾りのひとつの玉も、すれだけでわたしの心をときめかす。」
・愛する人を詩でわが妹よ、花嫁よと呼びかけるのは洋の東西を問わない。大友旅人も万葉集で妻を妹と詠んでいる。「妹としてふたり作りしわが山斉は古高く繁くなりにけるかも」
−雅歌4:10−15「わたしの妹、花嫁よ、あなたの愛は美しく、ぶどう酒よりもあなたの愛は快い。あなたの香油は、どんな香り草よりもかぐわしい。花嫁よ、あなたの唇は蜜を滴らせ、舌には蜂蜜と乳がひそむ。あなたの衣はレバノンの香り。わたしの妹、花嫁は閉ざされた園。閉ざされた園。封じられた泉。ほとりには、みごとな彌を結ぶざくろの森。ナルドやコフエルの花房、ナルドやサフラン、菖蒲やシナモン、乳香の木、ミルラやアロエ、さまざまな、すばらしい香り草。園の泉は命の水を汲むところ、レバノンの山から流れて来る水を。」
・「雅歌」4章は若者のおとめへの誘いの歌で占められ、おとめの歌はわずか1節である。
−おとめの歌−
−雅歌4:16「北風よ、目覚めよ。南風よ、吹け。わたしの園を吹き抜けて、香りを振りまいておくれ。恋しい人がこの園をわがものとして、この見事な実を食べてくださるように。」
・まだ若者は来ていないのか。おとめは待ち切れず風に呼びかけ、どうかおとめの園の香りを若者のところまで運んでほしいと風に思いを託す。若者が自分の園に自由に入って、その一番良い果実を味わってほしいと招く。わたしはあなたのもの、どうぞ遠慮なく存分に味わってほしい、そして自分の恋のすべてを解放してほしいと願い若者を招く。
・美しさゆえにおとめを愛する、若者の愛は当然であり、その愛の詩の美しさゆえに愛の詩集として「雅歌」に収録されたのである。しかし、それらは所詮表面の愛にすぎず、見えるもの、触れられるものへの愛には限りがあり、肉体的愛はいずれは衰えてしまうものと、人は悟るべきである。コリント人への手紙13章でパウロは滅びることのない最高の愛を教えている。一緒に読みましょう。

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