1. アモスの見た幻
・アモス書にはアモスの見た5つの幻が記され、そのうち3つは7章にある。第一の幻はイスラエルを懲らしめるためのイナゴの害であったが、アモスの執り成しの祈りにより、主は思い留まられたとアモス書は記す。
-アモス7:1-3「主なる神はこのように私に示された。見よ、主は二番草の生え始めるころ、いなごを造られた。それは、王が刈り取った後に生える二番草であった。いなごが大地の青草を食べ尽くそうとしたので、私は言った『主なる神よ、どうぞ赦してください。ヤコブはどうして立つことができるでしょう。彼は小さいものです』。主はこれを思い直され、『このことは起こらない』と言われた」。
・当時の農作にとってイナゴの害は悲惨なものであった。出エジプト記にも神の下した刑罰としてのイナゴの害が記されている。またヨエル書にもイナゴの害の凄まじさが記されている(ヨエル1:4)。
-出エジプト記10:15「いなごが地の面をすべて覆ったので、地は暗くなった。いなごは地のあらゆる草や木の実をすべて食い尽くしたので、木であれ、野の草であれ、エジプト全土のどこにも緑のものは何一つ残らなかった」。
・第二の幻は火の幻である。夏の猛暑の中で大気が揺らぎ、陽光の中に火が見えた。日照りによる飢饉の発生を意味しているのであろうか。アモスは執り成し、主は日照りの害を与えることを断念される。
-アモス7:4-6「主なる神はこのように私に示された。見よ、主なる神は審判の火を呼ばれた。火が大いなる淵をなめ尽くし、畑も焼き尽くそうとしたので、私は言った『主なる神よ、どうぞやめてください。ヤコブはどうして立つことができるでしょう。彼は小さいものです』。主はこれを思い直され、『このことも起こらない』と主なる神は言われた」。
・イナゴの害も日照りの害も回避された。しかし、イスラエルは神の裁きを知らず、気にも留めない。災いによる痛みが無かったからだ。悔い改めるためには痛みが必要だ。主はアモスに測り縄(下げ振り)を示された。測り縄は壁が真っ直ぐであるかを調べるための建築用具であり、歪んだ城壁は危険であり、安全のために取り壊される。同じように神の民イスラエルの歪みも危険故に取り壊すと神は言われ、このたびはアモスも反対しない。
-アモス7:7-9「主はこのように私に示された。見よ、主は手に下げ振りを持って、下げ振りで点検された城壁の上に立っておられる。主は私に言われた『アモスよ、何が見えるか』。私は答えた『下げ振りです』。主は言われた『見よ、私はわが民イスラエルの真ん中に下げ振りを下ろす。もはや、見過ごしにすることはできない。イサクの塚は荒らされ、イスラエルの聖なる高台は廃虚になる。私は剣をもって、ヤロブアムの家に立ち向かう』」。
2.国外追放されるアモス
・アモスは派遣される前にこのような幻を見て、イスラエルに来た。そして、「イスラエルの城壁がアッシリアにより破壊され、国は滅びる。だから悔い改めよ」と預言した。前750年頃であろう。しかし、目先的には国は繁栄しており、滅亡の兆しはない。ベテルの祭司長アマツヤは王の命を受けて、アモスに国外退去を命じる。
-アモス7:10-13「ベテルの祭司アマツヤは、イスラエルの王ヤロブアムに人を遣わして言った『イスラエルの家の真ん中で、アモスがあなたに背きました。この国は彼のすべての言葉に耐えられません。アモスはこう言っています。ヤロブアムは剣で殺される。イスラエルは、必ず捕らえられて、その土地から連れ去られる』。アマツヤはアモスに言った『先見者よ、行け。ユダの国へ逃れ、そこで糧を得よ。そこで預言するがよい。だが、ベテルでは二度と預言するな。ここは王の聖所、王国の神殿だから』」。
・アモスは繰り返しイスラエルの滅亡を預言した(6:7,6:14他)。これは為政者にとっては我慢のならない預言であったろう。滅びるという危機意識などなかったからだ。それは矢内原忠雄の国政批判と似ている。日本は1931年満州を占領し、1937年には盧溝橋事件・南京事件を起こして中国本土の侵略を本格化した。矢内原は中国への侵略をやめない日本軍国主義を批判して、1937年に「国家の理想」としてまとめて、中央公論に発表した。
-矢内原忠雄・国家の理想から「国家の理想は正義と平和にある、戦争という方法で弱者をしいたげることではない。理想にしたがって歩まないと国は栄えない、一時栄えるように見えても滅びる」。
・矢内原忠雄の論文が掲載された雑誌は発行禁止となり、矢内原は東大教授の職を追われた。戦時下の日本で戦争批判をすることは命がけの行為であった。アモスの預言も命がけであった。アモスは、自分は職業預言者ではなく(預言で生計を立てていない)、神に迫られて預言していると反論する。
-アモス7:14-15「アモスは答えてアマツヤに言った『私は預言者ではない。預言者の弟子でもない。私は家畜を飼い、いちじく桑を栽培する者だ。主は家畜の群れを追っているところから、私を取り、行って、わが民イスラエルに預言せよと言われた』」。
・アモスは神の言葉を聞こうとしないアマツヤの未来を預言する「アマツヤは捕囚となって敵地で死に、彼の妻は生計の手段を奪われて遊女となり、彼の息子、娘は敵の剣にかかって殺されるだろう」と。
-アモス7:16-17「今、主の言葉を聞け。あなたはイスラエルに向かって預言するな、イサクの家に向かってたわごとを言うなと言う。それゆえ、主はこう言われる。お前の妻は町の中で遊女となり、息子、娘らは剣に倒れ、土地は測り縄で分けられ、お前は汚れた土地で死ぬ。イスラエルは、必ず捕らえられて、その土地から連れ去られる」。
・アモスはこうしてイスラエルを追われ、彼の公的活動は終了する。その後のアモスの動向もアマツヤの未来も歴史は記さない。アモスの預言が真正であったことは30年後にならないとわからない(アモスの預言は前750年頃、イスラエルの滅亡は前722年、預言の30年後である)。これは人間にとっては耐え難い時間の長さであろう。現代の私たちも「成果を出せ、結果を示せ」と迫られる。「結果は30年後にならないとわからない」と私たちが答えてもこの世では通用しない。この世で通用しない神の言葉に従っていけるかどうか、私たちも試されている。
*アモス7章参考資料:赤坂憲雄「東北は負けない戦を知っている」(2013年2月18日、日本記者クラブでの発言要旨)
・東日本大震災復興構想会議委員も務めた、赤坂憲雄・学習院大学教授が、現在の復旧・復興は長期ビジョンに基づいたものでない。東北から人と自然の新たなパラダイムをつくっていく必要があると訴えた。「本当に言いたいことは声低く語れ」。赤坂さんの一語一語かみしめるように話す姿から、作家トルストイの言葉が思い浮かびました。「赤坂節」は、テレビなどで我先勝ちに言い募る当世流とは対極にあります。それだけに説得力があります。東日本大震災からまもなく2年。遅々として復興が進まないのはなぜか、復興の現実から何が見えてくるのか。ひたすら被災地を歩いて被災者の声を吸い上げている赤坂さんから是非聞きたいと思いました。
・大震災以来、赤坂さんにとって最も心に残った言葉は、自らも委員だった東日本大震災復興構想会議での建築家・安藤忠雄さんの発言だったといいます。「われわれは30年後、50年後を頭に描きながら議論しよう」。それが欠落しているというのです。50年後には日本の人口は8000万人台にまで減少します。その時漁民にとって海が見えない巨大な防潮堤が必要ですか、というのです。福島を自然エネルギーの特区にしようと提言したが、「農地だから難しい」と反対論がまかり通っている。原発への対応で「小さな正義」が跋扈し、現地では深刻な「対立と分断」の状況が生まれている。イノブタが大量発生、汚れた「野生の大国」が生まれている。深刻な負の現実が進行しているというのです。
・その一方で赤坂さんには希望もありました。自然エネルギーへの転換を求めて草の根の動きが広がっていることです。会津では「これって自由民権運動よね」という声が聞かれたといいます。赤坂さんは何度も強調しました。「東北は、勝てないが負けない戦を知っている」。原発への対応についてはさまざまな意見があるでしょう。私も東北・秋田の出身ですから、よくわかるのですが、復興3年目を迎えるにあたって「負けない戦」が私たちに求められていることを実感しました。