江戸川区南篠崎町にあるキリスト教会です

日本バプテスト連盟 篠崎キリスト教会

2013年3月27日祈祷会(コヘレトの言葉2:1−25、快楽も冨も空しい)

投稿日:2019年8月21日 更新日:

−コヘレト2:1−3「わたしはこうつぶやいた。快楽を追ってみよう。愉悦に浸ってみよう。見よ、それすらも空しかった。笑いに対しては、狂気だと言い、快楽に対しては、何になろうと言った。わたしの心は何事も知恵に聞こうとする。しかしなお、この天の下に生きる短い、一生の間、何をすれば人の子らは幸福になるかを見極めるまで、酒で肉体を刺激し、愚行に身をまかせようと心に定めた。」
・人生は短い、その短い人生に人は何をなすべきか、なすべきでないか、コヘレトは知恵に聞き極めようとした。彼はまず手始めに飲酒と愚行を極めて、自らを試そうとした。
−コヘレト2:4−8「大規模にことを起こし、多くの屋敷を構え、畑にぶどうを植えさせた。庭園や果樹園を数々造らせ、さまざまの果樹を植えさせた。池をいくつも掘らせ、木の茂る林に水を引かせた。買い入れた男女の奴隷に加えて、わたしの家で生れる奴隷もあり、かつてエルサレムに住んだ者のだれよりも多く、牛や羊と共に財産として所有した。金銀を蓄え、国々の王侯が秘蔵する宝を手に入れた。男女の歌い手をそろえ、人の子らの喜びとする多くの側女を置いた。」
・コヘレトは多くの宮殿を建設、果樹を植え、池を掘り、水路を開くなど大事業を起こし、男女の奴隷と家畜、金銀、宝物を入手、男女の歌手と側女を置き、快楽で自分を試みた。
−コヘレト2:9−11「かつてエルサレムに住んだだれにもまさって、わたしは大いなる者となり、栄えたが、なお、知恵はわたしのもとにとどまっていた。目に望ましく映るものは何一つ拒まず手に入れ、どのような快楽をも余さず試みた。どのような労苦をもわたしの心は楽しんだ。それが、労苦からわたしが得た分であった。しかし、私は顧みた。この手の業、労苦の結果のひとつひとつを。見よ、どれも空しく、風を追うようなことであった。太陽の下に、益となるものは何もない。」
・コヘレトは高位と繁栄を得、快楽と労苦の両方を試みた。快楽を斥けなかったのは、労苦をも楽しむ余裕があったからだ。その結果、彼が得たのは空しさだけであった。
−コヘレト2:12−16「また、わたしは顧みて、知恵を、狂気と愚かさを見極めようとした。王の後を継いだ人が、既になされた事を繰り返すのみなら何になろうか。わたしの見たところでは、光が闇にまさるように、知恵は愚かさにまさる。賢者の目はその頭に、愚者の歩みは闇に。しかしわたしは知っている、両者に同じことが起こるのだということを。わたしはこうつぶやいた。『愚者に起こることは、わたしにも起こる。より賢くなろうとするのは無駄だ。』これまた空しい、とわたしは思った。賢者も愚者も、永遠に記憶されることもない。やがて来る日には、すべて忘れられてしまう。賢者も愚者も等しく死ぬとは何ということか。わたしは生きることをいとう。太陽の下に起こることは、何もかもわたしを苦しめる。どれもみな空しく、風を追うようなことだ。」
・コヘレトの結論。わたしは知恵と愚かさの両極を試みて、悟ったことは愚か者に起こることは自分にも起こるということだった。より賢くなろうというのは無駄なことだった。
−コヘレト2:18−21「太陽の下でしたこの労苦の結果を、わたしはすべていとう。後を継ぐ者に残すだけなのだから。その者が賢者であるか愚者であるか、誰が知ろう。いずれにせよ、太陽の下でわたしが知力を尽し、労苦した結果を支配するのは彼なのだ。これまた、空しい、太陽の下、労苦してきたことのすべてに、わたしの心は絶望していった。知恵と知識と才能を尽して労苦した結果を、まったく労苦しなかった者に遺産として与えなければならないのか。これまた、空しく大いに不幸なことだ。」
・人が労苦して財産を築いても、死ねば財産は相続人のものとなり、彼の労苦を知らぬ相続人が自由に消費するだけだ。築財も彼の空しさを満たすことはない。
−コヘレト2:22−26「まことに、人間が太陽の下で心の苦しみに耐え、労苦してみても何になろう。一生、人の努めは痛みと悩み、夜も心は休まらない。これまた、実に空しいことだ。人間にとって最も良いのは、飲み食いし、自分の魂を満足させること。しかし、それも、わたしの見たところでは、神の手からいただくもの。自分で食べて自分で味わえ。神は善人と認めた人に知恵と知識と楽しみを与えられる。だが悪人には、ひたすら集め積むことを彼の努めとし、それを善人と認めた人に与えられる。これまた、空しく風を追うようなことだ。」
・人はその生涯で、夜も心が休まらぬほどの労苦を重ねたとしても、たいした報いはなく、空しいだけだ。空しさを紛らわせるため、人が飲食にふけったとしても、その飲みもの、食べものは神が与えたもの、神は神が義人と認めた者には、知恵と知識とそれらを用いる喜びをもたらされる。神は悪人が不正で得たものを取り上げ義人に分け与えられる、それもまた空しいことである。2章は「快楽と冨の空しさ」を強調した結論で閉じられる。

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