・箴言26:1−2「夏の雪、刈り入れ時の雨のように、愚か者に名誉はふさわしくない。鳥は渡って行くもの、つばめは飛び去るもの。理由がない呪いが襲うことはない。」
−名誉は道徳的尊厳、言い変えれば人格の高さと自覚、それに伴う他人からの承認・賞賛・尊敬で成り立ちます。また愚かさとは一般に知能の低さを指すようですが、知能の高い人が愚かな行為に走る場合があります。ここでの呪いの解釈は因果応報的になっています。
・箴言26:3−7「馬に鞭、ろばにくつわ、愚か者の背には杖。愚か者にはその無知にふさわしい答えをするな、あなたが彼に似た者とならぬために。愚か者にはその無知にふさわしい答えをせよ。彼が自分を賢者と思い込まぬために。愚か者に物事を託して送る者は、足を切られ、不法を飲み込まされる。愚か者の口にすることわざは、歩けない人の弱い足。」
−愚か者は動物並みに調教せよ、愚か者をまともに相手にするな、愚か者には何を教えても無駄、愚か者はものの役に立たない、愚か者へ頼みごとをすると裏切られる、愚か者の言う諺は使いものにならない、と愚か者を徹底的に切り捨てています。
・箴言26:8−12「愚か者に名誉を与えるのは、石投げ紐に石を袋ごとつがえるようなものだ。愚か者が口にすることわざは、酔っぱらいの手に刺さるとげ。愚か者や、通りすがりの人を雇うのは、射手が何でもかまわず射抜くようなものだ。犬が自分の吐いたものに戻るように、愚か者は自分の愚かさを繰り返す。自分を賢者と思い込んでいる者を見たか。彼よりは愚か者の方がまだ希望が持てる。」
−愚か者に名誉を与えても無駄、酔っぱらいは手にとげが刺さっても痛みを感じないように、自分が口にした諺の意味も分かっていない。犬は自分が一度吐いた物をまた食べるように愚か者も過ちをただ繰り返すだけ。しかし、自分を知恵者だと思いこんで慢心している者より、愚か者の方がまだ望みをもてると言い、最後に少し愚か者を見直しています。
・箴言26:13−16「怠け者は言う。『道に獅子が、広場に雄獅子が』と。扉はちょうつがいに乗って回転する。怠け者は寝床の上で寝返りを打つ。怠けものは鉢に手を突っこむが、口にその手を返すことをおっくうがる。怠け者は自分を賢者だと思い込む。聡明な答えのできる人七人にもまさって。」
−怠け者は有らぬものを見たと騒ぎたてる。蝶つがいの動く範囲だけ扉が動くように怠け者も寝床の上で寝返りを打つだけである。怠け者は鉢に入れた手で食べ物を掴んで、口に運び食べるのさえ臆怯がる。怠け者は七人の賢者より自分が利口だと錯覚している。
・箴言26:17−19「通行人が自分に関係ない争いに興奮するのは、犬の耳をつかむようなものだ。分別を失った者が、火矢を、死の矢を射る。友人を欺く者はそれに等しい。しかも、『ふざけただけではないか』と言う。」
−通行人が喧嘩に出会い興奮して騒ぎたてるのは、犬の耳をつかんで咬みつかれるのと変わらない。分別を失った者は、友を裏切り、窮地に陥れ、死に追いやったあげく、「本気ではなかった」と言い訳し悔いる様子もない。
・箴言26:20−22「木がなければ火は消える。陰口を言う者が消えればいさかいの火は鎮まる。炎には炭、火には木、争いを燃え上らせるのはいさかい好きな者。陰口は食べ物のように飲み込まれ、腹の隅々にまで下って行く。」
−燃える木がなければ火が消えるように、陰口を言う者がいなければ争いは治まる。争い好きな者がいる所に争いは起る。陰口を言えば言うほど、言う者の腹の中に陰口は溜まる。
・箴言26:23−25「唇は燃えていても心に悪意を抱いている者は、混じりもののある銀で覆った土器のようだ。唇をよそおっていても憎悪を抱いている者は、腹に欺きを蔵している。上品な声を出すからといって信用するな。心には七つの忌むべきことを持っている。」
−偽善は見せかけの善事であり、憎悪を隠した親切であり、正義にみせかけた不義である。心の中に七つの呪いを持っているのだから、上品な声に騙されてはならない。
・箴言26:26−28「憎しみをごまかし隠しても、その悪は会衆の中で露見する。穴を掘る者は自分がそこに落ち、石を転がせばその石は自分に返ってくる。うそをつく舌は憎んで人を砕き、滑らかな舌はつまずきを作る。」
−20−28は偽善を追及しています。マタイ23:25−28を参照します。「律法学者たちとファリサイ派の人々、あなたたち偽善者は不幸だ。杯や皿の外側はきれいにするが、内側は強欲と放縦で満ちているからだ。ものの見えないファリサイ派の人々、まず、杯の内側をきれいにせよ。そうすれば、外側もきれいになる。律法学者とファリサイ派の人々、あなたたち偽善者は不幸だ。白く塗った墓に似ているからだ。外側は美しく見えるが、内側は死者の骨やあらゆる汚れで満ちている。このようにあなたたちも、外側は人に正しいように見えながら、内側は偽善と不法で満ちている。」
2013年2月6日祈祷会(箴言26:1−28、ソロモンの箴言補遺2)
投稿日:2019年8月21日 更新日: