江戸川区南篠崎町にあるキリスト教会です

日本バプテスト連盟 篠崎キリスト教会

2013年5月30日祈祷会(ヨエル4章、主の日をどう理解するか)

投稿日:2019年8月21日 更新日:

1. ヨエル書に見る主の日

・ヨエル4章は「主の日が来ると裁きが行われる」と述べる。主の日は総決算の日、ヨエルは「主の日こそ、ユダとエルサレムが繁栄を回復し、ユダに対して暴虐を振るった異邦の民が裁かれる日」だと理解した。
−ヨエル4:1-3「見よ、ユダとエルサレムの繁栄を回復するその日、その時。私は諸国の民を皆集め、ヨシャファト(主の裁き)の谷に連れて行き、そこで、私は彼らを裁く。私の民、私の所有であるイスラエルを、彼らは諸国の民の中に散らし、私の土地を自分たちの間に分配したからだ。彼らは私の民の運命をくじで定め、遊女を買うために少年を売り渡し、酒を買うために少女を売った」。
・ヨエル書は捕囚から帰還した人々を襲った困難の中で語られている。亡国を体験した民族にとって、自分たちに害を加えた諸民族への裁きを願うのは、民族的感情としては理解出来る。特に国土を略奪し、住民を奴隷としてギリシア人たちに売り渡したティルス(ツロ)とシドンの人々への恨みは深かった。
−ヨエル4:4-8「ティルスとシドンよ、ペリシテの全土よ、お前たちは私にとって何であろうか。私に復讐しようというのか・・・お前たちは、私の銀と金を奪い、貴重な宝をお前たちの神殿に運び去った。ユダとエルサレムの人々をギリシア人に売り、自分の国から遠く引き離した。見よ、お前たちが彼らを売ったその所から、私は彼らを呼び戻し、お前たちの頭上に復讐を返す。私は、お前たちの息子、娘を、ユダの人々の手に渡す。ユダの人々は、彼らを遠くシェバ人に売ると主が語られた」。
・捕囚地の預言者エゼキエルもティルスへの審判預言を行なっている(エゼキエル28:17-19)。ティルスやシドンはフェニキアの都市で、地中海交易により栄え、バビロニアがユダを攻めた時これを商売仇の消滅として喜び、略奪された物資や捕虜を買取り、商品として売って利益を得たとされる。信義より利を重んじた民族だ。ティルスは前332年、アレキサンダー王に攻撃されて滅んだ。

2.人の思いと神の思い

・人は与えられた害に対する報復を願う。ヨエルの主の日の記述も、民族的な報復感情を抑えられない。ヨエルは「最後の裁きの日に諸国の民は主の軍隊によって滅ぼされる。この聖戦の時にあたって、私たちも鋤を剣に、鎌を槍に打ち直して参加しよう」と民に語りかける。「鋤を剣に、鎌を槍に」とは、イザヤの平和預言「主は国々の争いを裁き、多くの民を戒められる。彼らは剣を打ち直して鋤とし、槍を打ち直して鎌とする。国は国に向かって剣を上げず、もはや戦うことを学ばない」(イザヤ2:4)の反語だ。聖書にも双方の考え方がある。
−ヨエル4:9-15「諸国の民にこう呼ばわり、戦いを布告せよ。勇士を奮い立たせ、兵士をことごとく集めて上らせよ。お前たちの鋤を剣に、鎌を槍に打ち直せ。弱い者も私は勇士だと言え。諸国の民は皆、周囲から集まり、急いで来るがよい・・・諸国の民が奮い立ち、ヨシャファトの谷に上って来ると、私はそこに座を設け、周囲のすべての民を裁く。鎌を入れよ、刈り入れの時は熟した。来て踏みつぶせ、酒ぶねは満ち、搾り場は溢れている。彼らの悪は大きい・・・主の日が裁きの谷に近づく。太陽も月も暗くなり、星もその光を失う」。
・ヨエルの預言はバプテスマのヨハネを彷彿させる。ヨハネが説いたのも、「裁きの日は近い故に悔い改めよ。悔い改めないものは切り倒されて、火に投げ込まれる」というものだった。
-ルカ3:7-9「ヨハネは、洗礼を授けてもらおうとして出て来た群衆に言った『蝮の子らよ、差し迫った神の怒りを免れると、だれが教えたのか。悔い改めにふさわしい実を結べ。我々の父はアブラハムだなどという考えを起こすな。言っておくが、神はこんな石ころからでも、アブラハムの子たちを造り出すことがおできになる。斧は既に木の根元に置かれている。良い実を結ばない木はみな、切り倒されて火に投げ込まれる』」。
・イエスはヨハネから洗礼を受けられたが、ヨハネの考え方に限界を感じられ、ヨハネから離れて、ご自分の宣教を始められた。私たちもヨエル-ヨハネ的限界から解放される必要がある。
-マタイ4:12-17「イエスは、ヨハネが捕らえられたと聞き、ガリラヤに退かれた・・・その時から、イエスは、『悔い改めよ。天の国は近づいた』と言って、宣べ伝え始められた」。
-マタイ11:11-13「およそ女から生まれた者のうち、洗礼者ヨハネより偉大な者は現れなかった。しかし、天の国で最も小さな者でも、彼よりは偉大である・・・すべての預言者と律法が預言したのは、ヨハネの時までである」。
-マタイ12:15-20「イエスはそれを知って、そこを立ち去られた。大勢の群衆が従った。イエスは皆の病気をいやして、御自分のことを言いふらさないようにと戒められた。それは、預言者イザヤを通して言われていたことが実現するためであった『見よ、私の選んだ僕・・・彼は争わず、叫ばず、その声を聞く者は大通りにはいない。正義を勝利に導くまで、彼は傷ついた葦を折らず、くすぶる灯心を消さない』」。

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