江戸川区南篠崎町にあるキリスト教会です

日本バプテスト連盟 篠崎キリスト教会

2013年5月1日祈祷会(コヘレトの言葉7:1−29、コヘレトの死生観)

投稿日:2019年8月21日 更新日:

・コヘレトの死生観は世人の逆である。その理由を彼はこう言う。人の労苦は誕生した日から始まる、だから、労苦から解放される死ぬ日のほうが人にとって幸いなのだと。
-コヘレト7:1−6「名声は香油にまさる。死ぬ日は生れる日にまさる。弔いの家に行くのは、酒宴の家に行くのにまさる。そこには人皆の終わりがある。命あるものよ、心せよ。悩みは笑いにまさる。顔が曇るにつれて心は安らぐ。賢者の心は弔いの家に、愚者の心は快楽の家に。賢者の叱責を聞くのは、愚者の賛美を聞くのにまさる。愚者の笑いは鍋の下にはぜる柴の音。これまた空しい。」
・弔いの家へ行き、人には避けられない死があることを悟れ、悩みから学べ、宴席で愚か者と笑い興じるのは、炉にかけた鍋の下ではぜる柴の音のように空しいのだ。
-コヘレト7:7−9「賢者でさえも虐げられれば狂い、賄賂をもらえば理性を失う。事の終わりは始めにまさる。気位が高いよりも気が長いのがよい。気短かに怒るな。怒りは愚者の胸に宿るもの。昔の方が良かったと言うな。それは賢い問いではない。」
・賢者でも弾圧されれば、権力に屈しで節を曲げる。贈賄に馴れれば腐敗する。事を成し終えた日の喜びは、始める日の不安を補って余りある。気位が高く人を見下す者は嫌われる。腰が低くおおらかな人は好かれる。短気で怒りやすければ人を傷つけ、自分も傷つく。過去を懐かしがっているだけでは、現在が見えず、未来も築けない。
-コヘレト7:11−14「知恵は遺産に劣らず良いもの。日の光を見る者の役に立つ。知恵の陰に宿れば銀の陰に宿る、というが知っておくがよい、知恵はその持ち主に命を与えると。神の御業を見よ。神が曲げたものを、誰が直しえようか。順境には楽しめ、逆境にはこう考えよ、人が未来について無知であるようにと、神はこの両者を併せ造られたと」。
・知恵は遺産に劣らず人の役に立つ。知恵は財産のように人を守る。人はその未来を知り得ないよう神に造られている。知り得ないものがあるから、人の能力には限界がある。
-コヘレト7:15−17「この空しい人生の日々に、わたしはすべてを見極めた。善人がその善のゆえに滅びることもあり、悪人がその悪のゆえに長らえることもある。悪事をすごすな。愚かすぎるな、どうして時が来ないのに死んでよかろう。」
・「善のみ行って罪を犯さないような人間は、この世にはいない。」とコヘレト自身が(7:20)言っている。彼は悪人悪果、善人善果の因果応報説を否定している。
-コヘレト7:18−20「一つのことをつかむのはよいが、ほかのことからも手を放してはいけない。神を畏れ敬えば、どちらも成し遂げることができる。知恵は賢者を力づけて、町にいる十人の権力者よりも強くする。」
・一つのことに気を奪われると大局が見えない。神を畏れ敬う者ば神に導かれ、大きな業も成し遂げられる。賢者には町の十人の権力者を束ねたより強い力が与えられている。
-コヘレト7:21−23「善のみ行って罪を犯さないような人間は、この地上にはいない。人の言うことをいちいち気にするな。そうすれば、僕があなたを呪っても、聞き流していられる。あなた自身も何度となく他人を呪ったことを、あなたの心はよく知っているはずだ。わたしはこういうことをすべて。知恵を尽して試してみた。」
・他人の言を真に受けるな。聞いた事は自分で吟味し咀嚼し、取捨選択して受け入れよ。そうすれば僕の陰口も聞き流せる。人の行為に大差はない。あなたも他人の悪口を言ったおぼえがあるはずだ。わたしはこれらのことを知恵を尽して試したうえで言っているのだ。
-コヘレト7:24−25「賢者でありたいと思ったが、それはわたしから遠いことであった。存在したことは、はるかに遠く、その深いところを誰が見いだせようか。わたしは熱心に知識を求め、結論を追及、悪は愚行、愚行は狂気であることを、悟ろうとした。」
・わたしは賢者でありたいと努力したが及ばなかった。悪は愚行、愚行は狂気である。
-コヘレト7:26−29「わたしの見いだしたところでは、死よりも、罠よりも、苦い女がある。その心は網、その手は枷。神に善と認められた人は彼女を免れるが、一歩誤れば、そのとりことなる。見よ、これがわたしの見いだしたところ―コヘレトの言葉−ひとつひとつ調べて見いだした結論。わたしの魂はなお尋ね求めて見いださなかった。千人に一人という男はいたが、千人に一人として良い女は見いださなかった。ただし、見よ、見いだしたことがある。神は人間をまっすぐに造られたが、人間は複雑な考え方をしたがる、ということ。」
・26節でコヘレトが死よりも苦いものとした女性は、特定の女性ではなく女性一般をさしている。自ら「人の子らの喜びとする多くの側女をおいた。」(2:8)と言っているので、したたかな女性経験が考えられるが、具体例はあげられていないから何も分からない。しかし、その主張は反女性的なので、続く叙述も現代女性の反発を受けると考えられる。

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