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日本バプテスト連盟 篠崎キリスト教会

2013年12月19日祈祷会(ゼカリヤ5章、悪の蔓延についての警告と決意)

投稿日:2019年8月21日 更新日:

1.第六の幻〜悪の蔓延についての警告

・ゼカリヤはエルサレム神殿再建のために働く預言者であるが、国内には悪が蔓延していた。ゼカリヤが見た第六の幻はその悪の蔓延に対する警告である。彼は長さ20アンマ(10m)、幅10アンマ(5m)の巨大な巻物が空を飛んでいる幻を見た。古代において巻物は文章を書き留めるものだった(聖書も巻物に記されていた)。
−ゼカリヤ5:1-2「私が再び目を留めて見ると、一つの巻物が飛んでいた。御使いが私に『何を見ているのか』と尋ねたので、私は答えた。『巻物が飛んでいるのが見えます。その長さは二十アンマ、幅は十アンマです』。
・巨大な巻物には神の呪いが記されていた。そこには「盗人や偽証人の家に入り、家の中のものを滅ぼし尽くす」と書かれていた。
−ゼカリヤ5:3-4「彼は私に言った。『これは全地に向かって出て行く呪いである。すべての盗人はその一方の面に記されている呪いに従って一掃される。また偽って誓う者も、他の面の呪いに従って一掃される』。私がこれを送り出す、と万軍の主は言われる。それは盗人の家に、わが名によって偽りの誓いをする者の家に入り、その家の中に宿り、梁も石ももろともに滅ぼし尽くす」。
・「盗人や偽証人」とは具体的には、不在の捕囚民の土地や財産を横領し、捕囚民が帰還してもそれを返還しない者を指しているのであろう。だから「家の梁も石ももろともに滅ぼし尽くす」と警告されている。同時に、不正や犯罪がはびこる状況を放置して神殿建設を進めて良いのかというゼカリヤの疑問にも答えるものだった。エルサレムは、かつては神の都と呼ばれたが、今では城壁もない、瓦礫に埋もれた、小さな町に過ぎず、民は誇りを失い、治安は悪化していた。現在の世界を見る時、デトロイトがそういう状況になっているように思える。
-デトロイト市の状況「かつては自動車の町として栄え、人口180万人を超えたが、自動車産業の衰退と共に人口が減少(現在68万人)、市財政は破綻、公共サービースの低下と共に治安が悪化、裕福白人層は郊外に移住し、市内人口の8割は貧困黒人層が占め、中心部はゴーストタウン化している。年間13万件の犯罪が発生し、検挙率は8.7%、街灯の40%は故障、警官の到着時間は58分(全米平均11分)という」。
・ゼカリヤ時代のエルサレムは、現在のデトロイトほどの治安の悪化はなかったであろう。しかしゼカリヤは、例え治安が悪化し、裁判の不正がはびこったとしても、神は見ておられることを民に伝えたくて、この巻物の幻を見たのであろう。

2.悪を取り除くとの神の決意

・悪がはびこるのは、サタンの故だ、だからサタンをエルサレムから追放すれば、エルサレムの悪は無くなるのではないかと、ゼカリヤは考えた。その思いが次のエファ升の幻である。エファとは穀物を量る単位(23L)、同時にその容器を指した。ここでは大きな壺と考えてよいであろう。
-ゼカリヤ5:5-8「私に語りかけた御使いが現れ、私に言った『目を留めて、そこに出て来るものが何であるか、よく見るがよい』。私が・・・と尋ねると、彼は『そこに出て来たのはエファ升である』と答え、『それは全地を見る彼らの目である』と言った。鉛の円盤が取り除かれると、エファ升の中に一人の女が座っていた。彼は『それは邪悪そのものである』と言って、彼女をエファ升の中に投げ返し、エファ升の口に鉛の重しを置いた」。
・女は悪の象徴、サタン的な存在であろう。彼女がいるゆえにエルサレムに悪が満ちている。だから女は壺のなかに押し込められ、蓋が為され、天使が来て、その壺をバビロンに運ぼうとする夢をゼカリヤは見た。
-ゼカリヤ5:9-11「私が目を留めて見ると、二人の女が翼に風を受けて出て来た。かの女たちはコウノトリの翼のような翼を持ち、地と天の間でエファ升を運び去ろうとしていた。私に語りかけた御使いに『かの女たちはどこにエファ升を持って行こうとしているのですか』と尋ねると、彼は私に答えた。『彼女のため、シンアルの地に神殿を築こうとしているのだ。神殿が整えられると、その地に備えられた場所に置かれるはずだ』」。
・シンアルの地=バビロンは聖書では悪を意味する。古代ローマはヨハネから大バビロンと呼ばれ、その崩壊が待望されていた(ヨハネ黙示録18:2「倒れた。大バビロンが倒れた。そして、そこは悪霊どもの住みか、あらゆる汚れた霊の巣窟、あらゆる汚れた鳥の巣窟、あらゆる汚れた忌まわしい獣の巣窟となった」)。ゼカリヤは悪の根源を汚れた地に移せば、エルサレムは清められると思ったのであろう。預言者にとって神殿再建こそエルサレム復興の鍵であった。だからこそ、悪を取り除く必要があった。
−ハガイ1:8-9「山に登り、木を切り出して、神殿を建てよ。私はそれを喜び、栄光を受けると主は言われる。お前たちは多くの収穫を期待したがそれはわずかであった・・・それはなぜか、と万軍の主は言われる。それは、私の神殿が廃虚のままであるのに、お前たちが、それぞれ自分の家のために走り回っているからだ」。
・ゼカリヤは神殿再建こそ、エルサレム復興の中核だと考え、尽力した。今日の私たちにとって、神殿とは何なのか。2011年の東日本大震災において神社や寺院、教会等8千を超える宗教施設が全壊・半壊等の被害を受けたが、その修復が遅れているという。それは政教分離を建前にして(憲法20条、89条において宗教団体への公金支出が禁じられている)、宗教施設再建の公的補助が全く出ないためである。例えば公共墓地の修復は進んでいるが、寺院墓地の修復は寺院任せで進んでいないという。これで良いのだろうか。神社や寺院等の宗教施設は地域に不要な存在なのだろうか。この問題を私たちは「ゼカリヤ書を今、どう読むか」の視点から考える必要がある。
-全日本仏教会からの支援要請についての2012年8月復興庁回答「一般的に、宗教そのものの観点から復興施策を講ずることについては、憲法第20条の規定を踏まえ、慎重な対応が必要と考えています。なお、地域の歴史的、伝統的な宗教施設等が、地域の文化、観光等の再生の観点から、復旧・復興の対象となることもありますが、これらは、あくまで文化、観光等の再生の観点から結果的に対象となっているものです」。

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