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日本バプテスト連盟 篠崎キリスト教会

2013年11月28日祈祷会(ゼカリヤ2章、エルサレム復興の幻)

投稿日:2019年8月21日 更新日:

1. ゼカリヤの見た第二の幻

・前538年ユダはバビロニア捕囚から解放され、第一陣の人々が帰国するが、再生の象徴である神殿の再建工事は頓挫した。最初の帰国から20年、預言者ハガイが立って神殿再建のために人々を励まし、工事が始まった。ゼカリヤも同じ時期に預言を始めている。そのゼカリヤは一晩の内に八つの幻を見た。第一の幻は人々が気づかない内に、エルサレムが主に護られているとの幻だ。
-ゼカリヤ1:7-11「その夜、私は見た。一人の人が赤毛の馬に乗って、谷底のミルトスの林の中に立っているではないか。その後ろには、赤毛の馬、栗毛の馬、白い馬がいた。私が“わが主よ、これは何ですか”と尋ねると・・・ミルトスの林の中に立っている人が答えて“これらは地上を巡回させるため、主がお遣わしになったものだ”と言った。彼らはミルトスの林の中に立っている主の御使いに向かって答えた“私たちは地上を巡回して来ました。地上の人々はすべて安らかに暮らしています”』」。
・次にゼカリヤが見たのは、四本の角と四人の鉄工の幻だった。ゼカリヤが御使いにその意味を尋ねると、イスラエルを苦しめた国々の角が破られるとの幻だった。「主が報復される」、私たちはそれに委ねれば良い(参照ロ-マ12:19-21)。イエスの言われた「右の頬を打たれたら左の頬を出せ」という言葉も同じだ。
-ゼカリヤ2:1-4「私が目を留めて見ると、四本の角があるではないか。私に語りかけた御使いに『これは何ですか』と尋ねると、彼は『それはユダ、イスラエル、エルサレムをちりぢりにした角である』と答えた。更に主は私に四人の鉄工を示された。『彼らは何をするために来るのですか』と尋ねると、『これらの角は、だれも頭を上げる者がないほどに、ユダをちりぢりにしたものである。また、これらの人々は、ユダをちりぢりにするために、ユダの地に角を振り上げ、彼らを震え上がらせた国々の角を切り倒すために来るのだ』と言われた」。

2. ゼカリヤの見た第三の幻

・第三の幻は測り縄を手にした人の幻である。例え、地上は廃墟でも、天ではエルサレム城壁建設の計画が進んでいることを暗示している。古代パレスチナにおいては国の安全は城壁なしには考えられなかった。
-ゼカリヤ2:5-9「私が目を留めて見ると、一人の人が測り縄を手にしているではないか『あなたはどこに行かれるのですか』と尋ねると、彼は私に、『エルサレムを測り、その幅と長さを調べるためです』と答えた。私に語りかけた御使いが出て行くと、別の御使いが出て来て迎え、彼に言った。『あの若者のもとに走り寄って告げよ。エルサレムは人と家畜に溢れ、城壁のない開かれた所となる。私自身が町を囲む火の城壁となると主は言われる。私はその中にあって栄光となる』」。
・城壁が完成するまで、主が「町を囲む火の城壁となられる」とゼカリヤは預言した。ルターは「神こそわがやぐら」と歌った。この信仰である。
-新生讃美歌538番「神はわがやぐら、わが強き盾。苦しめる時の、近き助けぞ。おのが力、おのが知恵を、頼みとせる、陰府(よみ)の長(おさ)も、など恐るべき」。
・前538年の帰国令に従って故国に帰った人々はごく一部で、多くはまだバビロニアにいた。帰れない人、帰らない人がいた。国家を再建するには彼らの力が必要だった。ゼカリヤは彼らを帰国させるとの主の預言を聞く。
-ゼカリヤ2:10-13「急いで、北の国から逃れよと主は言われる。天の四方の風のように、かつて、私はお前たちを吹き散らしたと主は言われる。シオンよ、逃げ去れ、バビロンの娘となって住み着いた者よ。栄光によって私を遣わされた、万軍の主が、あなたたちを略奪した国々にこう言われる。あなたたちに触れる者は私の目の瞳に触れる者だ。私は彼らに向かって手を振り上げ、彼らが自分自身の僕に奪われるようにする。こうして、あなたたちは万軍の主が私を遣わされたことを知るようになる」。
・その主の声を聞き、ゼカリヤはエルサレムの民に「喜べ、仲間たちが帰ってくる」と告げる。
-ゼカリヤ2:14-17「娘シオンよ、声をあげて喜べ。私は来て、あなたのただ中に住まう、と主は言われる。その日、多くの国々は主に帰依して、私の民となり、私はあなたのただ中に住まう。こうして、あなたは万軍の主が私をあなたに遣わされたことを知るようになる。主は聖なる地の領地として、ユダを譲り受け、エルサレムを再び選ばれる。すべて肉なる者よ、主の御前に黙せ。主はその聖なる住まいから立ち上がられる」。
・神殿は前515年に完成した。しかしエルサレム城壁が完成したのはそれから70年後、エズラ・ネヘミヤの時代だった(前445年)。エルサレムは城壁無しで70年間も護られた。それは主が護られたからだとゼカリヤは言う。
-ゼカリヤ2:8-9「エルサレムは人と家畜に溢れ、城壁のない開かれた所となる。私自身が町を囲む火の城壁となると主は言われる。私はその中にあって栄光となる」。
・国を護るのは軍事力と城壁なのだろうか。エルサレムは堅固な城壁があった時代にバビロニアに侵略され、滅んだ(前589年)。また城壁再建後もローマにも滅ぼされた(後70年)。本当に国を護るのは城壁ではない。国民の信仰あるいは信義ではないだろうか。日本国憲法前文は歌う「日本国民は・・・平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」。これで良いのではないだろうか。今、日本は現代の城壁である日米安保の強化のために機密保護法案の制定を急いでいるが、本当に必要なことなのだろうか。
-イザヤ37:33-36「主はアッシリアの王についてこう言われる『彼がこの都に入城することはない。またそこに矢を射ることも、盾を持って向かって来ることも、都に対して土塁を築くこともない。彼は来た道を引き返し、この都に入城することはない、と主は言われる。私はこの都を守り抜いて救う。私自らのために、わが僕ダビデのために』。主の御使いが現れ、アッシリアの陣営で十八万五千人を撃った。朝早く起きてみると、彼らは皆死体となっていた」。

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