1.ゴグとマゴグ
・エゼキエル書38−39章にはゴグとマゴグの記述があるが、このゴグが何者であり、マゴグがどこを指すのか、不明である。この箇所はエゼキエル黙示録と呼ばれ、悪の枢軸と神との戦いを記したものと言われている。
−エゼキエル38:2-6「マゴグの地のゴグ、すなわちメシェクとトバルの総首長に対して顔を向け、彼に預言して、言いなさい・・・彼らは皆完全に武装した大集団で、大盾と小盾を持ち、皆剣を持っている。ペルシア、クシュ、プトが彼らと共におり、皆、盾を持ち、兜をかぶっている。ゴメルとそのすべての軍隊、北の果てのベト・トガルマとそのすべての軍隊、それに多くの国民がお前と共にいる」。
・エゼキエルは、イスラエルは、今はバビロン帝国の捕囚下にあるが、やがて帰還し、平和の王国を築くと預言している(37:26-28)。その平和の王国において城壁は築かれず、そのため悪の諸勢力は攻めこんで略奪する好機と捉える。
−エゼキエル38:10-12「その日、お前の心に言葉が浮かぶ。お前は悪い計画を立て、そして言う『私は囲いのない国へ攻め上る。城壁もかんぬきも門もなく安らかに生活している静かな国を襲う』と。お前はかつて廃虚であったが、今は人の住んでいる国、諸国民のもとから集められ、国の中心の山々に住み、家畜や財産を持っている民に対して手を上げ、戦利品を奪い、ほしいままに略奪しようとしている」。
・しかし「私は許さない、私がイスラエルの城壁となってお前たちに立ち向かう」と主なる神は宣言される。
−エゼキエル38:18-22「ゴグがイスラエルの地を襲う日、まさにその日に・・・私の憤りは激しく燃え上がる。私は熱情と怒りの火をもって語る。必ずその日に、イスラエルの地には大地震が起こる・・・山々は裂け、崖は崩れ、すべての城壁は地に倒れる。私は・・・ゴグに向かって剣を呼び寄せる・・・人はおのおの、剣をその兄弟に向ける。私は疫病と流血によって彼を裁く。私は彼とその軍勢、また、彼と共にいる多くの民の上に、大雨と雹と火と硫黄を注ぐ」。
・エルサレムは捕囚帰還後もネヘミヤ時代までは城壁を持たなかった。しかしゼカリヤは主が護られる故に何の危険もないと預言した。日本は憲法上国防軍を持たないが、実際は自衛隊という形で国防を担う。そして今、隣国中国の空母保持に対して、潜水艦部隊の増強で対処しようとしている。城壁を保持しない形での国家形成は絵空事なのだろうか。
−ゼカリヤ2:5-9「私が目を留めて見ると、一人の人が測り縄を手にしているではないか。あなたはどこに行かれるのですかと尋ねると、彼は私に、エルサレムを測り、その幅と長さを調べるためですと答えた。私に語りかけた御使いが出て行くと、別の御使いが出て来て迎え、彼に言った。あの若者のもとに走り寄って告げよ。エルサレムは人と家畜に溢れ、城壁のない開かれた所となる。私自身が町を囲む火の城壁となると主は言われる。私はその中にあって栄光となる」。
2.終末をどうとらえるか
・エゼキエル39章は、38章の繰り返しであり詳述である。神はゴグの軍隊を武装解除し、討ち滅ぼされる。その武装解除に7年、死体を葬り去るのに7ヶ月かかったというのは、ゴグの軍隊が非常に強大で圧倒的な力を持っていることを意味しているのだろう。それは大変な犠牲者を産み出す戦いである。
-エゼキエル39:4-17「お前とそのすべての軍隊も、共にいる民も、イスラエルの山の上で倒れる。私はお前をあらゆる種類の猛禽と野の獣の餌食として与える・・・イスラエルの町々に住む者は出て来て、もろもろの武器、すなわち盾と大盾、弓矢、棍棒、槍を火で燃やす。彼らはそれで七年間火を燃やし続ける。・・・その日、私はゴグのために、イスラエルの中のよく知られている場所を墓地として与える・・・人々はそこにゴグとすべての軍勢を埋め、そこをゴグの軍勢の谷と呼ぶようになる」。
・後代のヨハネはこのゴグとマゴグを、終末時に主によって壊滅させられる悪の軍勢と理解して引用する(ヨハネ黙示録はローマ帝国の迫害下に書かれており、サタンをローマ帝国、ゴグとマゴグをその配下にある諸国と捉えている)。
−ヨハネ黙示録20:7-10「この千年が終わると、サタンはその牢から解放され、地上の四方にいる諸国の民、ゴグとマゴグを惑わそうとして出て行き、彼らを集めて戦わせようとする。その数は海の砂のように多い。彼らは地上の広い場所に攻め上って行って、聖なる者たちの陣営と、愛された都とを囲んだ。すると、天から火が下って来て、彼らを焼き尽くした。そして彼らを惑わした悪魔は、火と硫黄の池に投げ込まれた」。
・中世の人々は欧州を制圧したイスラム軍やモンゴル人との戦いを「ゴグとマゴクへの戦い」と呼び、現代人はスターリンやヒットラーがそれではないかと名付けた。イスラム原理主義の指導者ザワヒリは母国エジプトがイスラエルと和解したことを神への反逆としてサダト大統領の暗殺を実行し、アルカイダのビン・ラディンは祖国サウジアラビアが湾岸戦争においてアメリカ軍の駐留を許したことを神への冒涜としてアメリカへのテロ攻撃を始めた。更にアメリカ大統領ブッシュは無意味なイラクへの侵攻を「聖戦=十字軍」と呼んだ。ゴグやマゴグは私たちの心のなかの暗部にいるのではないだろうか。
*エゼキエル38−39章参考資料:黙示文学をどう理解するか
2004年11月21日説教(ヨハネ黙示録19:11−16、最後の審判)から
・ヨハネ黙示録は、ローマ帝国の迫害下にある諸教会に、ヨハネが送った励ましの書簡である。ヨハネ自身も捕らえられ、地中海の孤島パトモス島に幽閉されている。そのパトモス島でヨハネは神からの啓示を受けた「このような不義の世界はいつまでも続かない。悪は滅ぼされ、世界は再創造され、人々の涙はことごとく拭い去られる。そのような日が来る」。ヨハネは権勢を誇るローマ帝国の滅亡の幻を見る。それが黙示録18章のバビロン(ローマ)滅亡の記事だ。その後、キリストが再臨され、悪を滅ぼされる様を見る。それが黙示録19章の幻だ。
・ヨハネは天が開かれ、白い馬に乗った騎士が地上に降りてくるのを見た(19:11)。その名は「誠実」及び「真実」と呼ばれ、正義をもって裁き、戦われる。馬は軍馬、白は勝利だ。白い軍馬に乗ったキリストが裁き主として来られる様をヨハネは見た「その目は燃え盛る炎のようで、頭には多くの王冠があった」。そして「血に染まった衣を身にまとっており、その名は神の言葉と呼ばれる」(19:13)とヨハネは書く。再臨のキリストの衣は血に染まっている。
・キリストは最後の審判の時、軍馬に乗って来られ、悪に満ちた人々を剣で裁かれると考えるのが、今アメリカの多くの人々を捕らえている「栄光のキリスト」像だ。アメリカ大統領のG.ブッシュはキリストを裁き主と理解し、アメリカはキリストのために異教徒と戦う使命を与えられていると信じている。彼がアフガンに侵攻し、今またイラクに攻め入った理由は、テロに対する戦いであると同時に、反キリストの異教徒を神に代わって裁くという信仰があると言われている。彼は演説の中で言う「テロリズムとの戦いは神の戦いだ。神はこの戦争を支持される」。しかし、黙示録を詳しく読む時、聖書の示す神はそのような方ではないことがわかる。
・15節「この方の口からは鋭い剣が出ている。諸国の民をそれで打ち倒す」。一読すると、キリストが剣で敵を倒されるように読めるが、剣を取って立ち上がったペテロに対して「剣をさやに納めなさい。剣を取る者は皆、剣で滅びる」(マタイ26:52)と言われたキリストがそのようなことをされるとは思えない。黙示録19:13には「その名は神の言葉」とある。キリストは剣ではなく、神の言葉という武器で敵と戦われるのだ。従う天の軍勢は、鉄のよろいではなく「白い麻の布」(19:14)を着てキリストに従う。キリストの名のために殺されていった殉教者の群である。キリストの衣を染めている血は、敵の返り血ではなく、御自身の十字架で流された血と後に従う殉教者の血だ。「敵を愛し、迫害するもののために祈れ」と言われた地上のキリストは、悪を御言葉によって裁かれる天上のキリストと同じ方である。
・著者ヨハネも神の言葉を通してローマと戦っている。彼が迫害に苦しむ諸教会に送ったものは、武器ではなく、神の啓示を記した書簡だった。その書簡に書かれた幻を通して「ローマと戦え、体は殺しても、魂を殺すことのできない者どもを恐れるな。むしろ、魂も体も地獄で滅ぼすことのできる方を恐れなさい」(マタイ 10:28)と彼は諸教会に呼びかけている。「信仰を持って殺されよ」と彼は呼びかけているのだ。「神の言葉は生きており、力を発揮し、どんな両刃の剣よりも鋭く、精神と霊、関節と骨髄とを切り離すほどに刺し通して、心の思いや考えを見分けることができる」(ヘブル4:12)。この神の言葉に信頼し続けよとヨハネは述べている。
・この世には悪が満ちているとしか思えない現実がある。人間の歴史は殺し合いの歴史であり、力の強い者が弱い者を殺して栄華を競ってきた。黙示録の書かれた時代にはローマ皇帝を礼拝しないという理由で、キリスト教徒が殺され、ヨハネ自身も流刑にされた。そのヨハネに神は天上の幻を見せ、神がいつまでも悪の存在を許される方ではないことを示された。ヨハネは、与えられた啓示を文字にして、諸教会に送った。それから200年後、ローマはキリストの前に跪く。キリストを殺し、キリストに従う者たちを殺し続けたローマ帝国が紀元310年にはキリスト教を公認し、380年には国教とした。正に黙示録の預言が成就し、「神の言葉は生きている」ことを示した。
・ヨハネ黙示録の世界を単なる幻想にすぎないと思う時、それは何の力も持たない。しかし「イエスは生きておられ、勝利される」という現実の出来事がヨハネの時代に起こり、現代でも起こり続けていることを私たちが信じる時、天上の勝利が地上の勝利に変わる。この世には、闇の力が支配しているしか思えないような現実がある。その時、「神には出来ないことはない。イエスは勝利者だ」と本気で信じて行為していった時、現実が変えられていく。信仰とは、日曜日に教会に来て個人的な慰めを受ける、ただそれだけではない広がりを持つ。私たちが毎日の生活の中で生きて働かれる神を証し続ける時、私たちを取り巻く現実が変わり始める出来事であることを今日確認したい。