1.ティルス(ツロ)への審判預言
・エゼキエル書26-28章はティルス(ツロ)への審判預言だ。ティルス(現代のレバノンの地)はフェニキアの有力都市で、地中海交易により栄え、かつてはアシュドトやカルタゴも植民地としていた。ティルスはユダと反バビロニア同盟を結んでいたが、バビロニアがユダを攻めた時、これを傍観したのみならず、ユダの滅亡を商売上の競争相手の消滅としてこれを喜んだゆえに、主はティルスを罰せられるとエゼキエルは預言した。
−エゼキエル26:1-2「第十一年、その月の第一日に、主の言葉が私に臨んだ『人の子よ、ティルスがエルサレムを嘲る。ああ、諸国民の門であったお前は打ち破られ、私のものになった。私は富み、お前は廃れる』」。
・ゼデキヤ王の11年(前586年)、エルサレムを落としたバビロニア軍は矛先をティルスに向け、町を包囲した。エゼキエルがティルスに対する預言を三章にもわたって記すのは、預言当時、ティルスはバビロニア軍の包囲下にあり、捕囚民も出来事の推移を注視して見守っていた故であろう。ティルスの町は海岸から離れた島と陸地部分からなり、間は細い通路で結ばれていた。陸地部分は簡単にバビロニア軍に征服された。
−エゼキエル26:7-12「私は、王の王であるバビロンの王、ネブカドレツァルを北からティルスに来させる。彼は馬と戦車と騎兵と多くの軍勢を引き連れてくる。彼は陸にある周囲の町々を剣で滅ぼし、お前に向かって堡塁を築き、塁を積み、大盾を立てる。彼は破城槌で城壁を突き崩し、鉄の棒で塔を打ち壊す。軍馬が怒濤のように襲い、土煙がお前を覆う・・・彼らは財宝を奪い、商品を略奪し、城壁を破壊し、華やかな宮殿を壊し、石や木や土くれまで海に投げ込む」。
・前半の預言は成就した。しかしティルスはツロ(岩、要塞)と呼ばれたように、海上部分は陸からの攻撃に耐え、ネブカドネザルは13年の包囲の後、その攻略を諦めている。エゼキエル自身も後の預言(ゼデキヤ第27年、先の預言の16年後、前570年)で先の預言の未成就を認めている。
−エゼキエル29:17-18「第二十七年の一月一日に、主の言葉が私に臨んだ『人の子よ、バビロンの王ネブカドレツァルはティルスに対し、軍隊を差し向けて労苦の多い戦いを行わせた。すべての戦士の頭ははげ、肩は擦りむけてしまった。しかし、王もその軍隊も、ティルスに対して費やした労苦の報酬を何も得なかった』」。
・ティルスが滅びたのは前332年、アレキサンダー王の攻撃の時であった。その時にはエゼキエルの預言のように「世界に冠たる交易都市ティルスが裸の岩になってしまった」。ティルスはその後繁栄を取り戻すことなく、今日は寒村で、ただ遺跡と歴史から世界遺産に指定されている。
−エゼキエル26:13-14「私はお前の騒がしい歌声をやめさせ、竪琴の音が再び聞かれることはない。私はお前を裸の岩にする。お前は網干し場となり、再び建て直されることはない。これは主なる私が語ったことだ」。
2.歴史に働かれる主を思う
・ティルス滅亡の原因は傲慢さにあった。彼は「自分は美しい」(27:3)と誇り、「私は神だ。私は海の真ん中にある神々の住処に住もう」(28:2)と奢り高ぶった。その驕りがエルサレム滅亡を競争相手の脱落として喜び、滅亡の意味を考えようとしなかった。エゼキエルはティルスの商業都市としての打算的、功利的な性格に嫌悪感を持っていたのだろう。彼は交易相手である地中海の島々がティルスの滅亡を傷む哀歌まで詠んでいる。
−エゼキエル26:17-18「ああ、あなたは滅びてしまった。海のかなたから来て住み着き、誉れある町となったのに。この町とそこに住む民は海のつわものとなり、海に住むすべての者を震え上がらせたのに。今や、その島々はあなたの倒れた日におののき、海の島々はあなたの終わりを見て恐れる」。
・エゼキエルはティルス滅亡に、神の摂理的な裁きを見ている。歴史は神の支配下にあり、栄華を誇ったベネチアも交易港としては廃れ、シンガポールや香港もやがては廃れていくであろう。歴史は人間の支配下にはない。
−エゼキエル26:19-20「私は、お前を住む者のない町のように荒れ果てた町とし、淵から水を湧き上がらせ、大水で覆う・・・お前をいにしえの民の中に落とす。また、お前を穴に下る者たちと共に、永遠の昔からの廃虚のような深い地に住まわせ、お前が生ける者の地で栄誉をもって住むことができないようにする」。
・歴史が神の摂理下にあるのであれば、東日本大震災もまた神の摂理下にある。だから私たちは神の前に恐れおののき、震災の意味を神に問い求めなければいけない。
−エレミヤ4:23-26「私は見た。見よ、大地は混沌とし、空には光がなかった。私は見た。見よ、山は揺れ動き、すべての丘は震えていた。私は見た。見よ、人はうせ、空の鳥はことごとく逃げ去っていた。私は見た。見よ、実り豊かな地は荒れ野に変わり、町々はことごとく、主の御前に、主の激しい怒りによって打ち倒されていた」。
*エゼキエル26章参考資料:東日本震災についての一つの考察
2011年06月12日クリスチャン新聞「神の領域に手を付けたのでは…」土居隆一議員、原発問題に危機感
・都内で国政報告会が行われ、東北の被災地を4回訪問した土肥隆一衆議院議員(日本キリスト教団の現役牧師)が報告。原発事故については放射能汚染に危機感を覚え、「今、日本は国家的な危機の中にある。この問題の解決には、10〜20年という長期的な戦になる」と語った。土肥氏は「地震、津波による自然災害は一歩ずつではあるものの解決に向かっているが、原発問題は手こずっている」と表情を曇らした。「原子炉を廃炉にしても炉自体に放射性物質が残り、各物質の半減期を超えて隔離しなければならず、その間施設に近づくこともできない。核燃料は水でしか制御できないという喜劇にも似た話だ。世界でも最高の溶接技術で造った圧力容器に穴が空き、水が漏れているというのだ」 また、「放射能汚染は、福島だけでなく、関東一円にも広がりつつある。最悪日本が全国的な汚染列島にならないことを願う」と危機感を表した。
・このような原発を、国策として54基も造ってきたことに対し、政治家、政府の責任は免れないと指摘。「原発に関しては世界第3位の原子力発電大国。政府は電源三法(電源開発促進税法、電源開発促進対策特別会計法、発電用施設周辺地域整備法)によって電気事業者を奨励し、電気料金に税金を組み込み、立地自治体に雇用をはじめとして、原発建設地域に道路、学校、福祉施設を建設するなどを講じ、原発による電源開発を推進してきた。現在は、発電所事故の収束に向け全力を尽くしているものの、確たる展望もないまま、現場は危機感で満ちている。これは政治家である私自身にも責任がある。政治家はこの福島の現実から目をそらすことはゆるされない」
・この事故は、私たちの生き方を根源から突き崩すものとなったと語る。「経済の発展には電力が必ず必要だが、政治はベストミックスといって、その3分の1を原発でまかなっている(後は石炭等化石燃料、水力それぞれ3分の1)。だが、太陽光や風力発電にも乗り越えなければならない課題があり、本格的技術までは到達していない」 どうしたらいいか、まだ私たちにはその確たる解答がないところに最大の問題があるとし、「今、『想定外』のことに直面している私たちキリスト者はどう生きたらいいか。信仰を賭けた生き方が問われてくる」。そう語った上で、「神のなさることはみな想定外」と強調。「触ったりいじってはいけない神の領域に手をつけてしまったのではないか。だが、私たちは神の想定外の働きを信じ、期待しつつ生きていくべきだ」と結んだ。