江戸川区南篠崎町にあるキリスト教会です

日本バプテスト連盟 篠崎キリスト教会

2011年5月25日祈祷会(詩編98篇、主は来られる)

投稿日:2019年8月21日 更新日:

1.主の驚くべき業を見よ

・詩編98編は96編と同じく、バビロン捕囚からの帰還という主の驚くべき業を体験した詩人が「共に見よ、共に主を賛美せよ」と呼びかける詩である。歴史上なかった亡国の民の帰還という驚くべき出来事が起こったのだ。だから新しい時代に即した新しい歌を歌うと詩人は賛美する。
−詩編98:1-3「新しい歌を主に向かって歌え。主は驚くべき御業を成し遂げられた。右の御手、聖なる御腕によって、主は救いの御業を果たされた。主は救いを示し、恵みの御業を諸国の民の目に現し、イスラエルの家に対する慈しみとまことを御心に留められた。地の果てまですべての人は、私たちの神の救いの御業を見た」。
・神の救いの業は「どうして良いのかわからない」人々の心の闇の中を切り裂くように為される。国を滅ぼされ、希望をなくした民に、「立ち上がれ、帰還の時が来た」という救いの宣言が為される。
−イザヤ40:1-2「慰めよ、私の民を慰めよとあなたたちの神は言われる。エルサレムの心に語りかけ、彼女に呼びかけよ。苦役の時は今や満ち、彼女の咎は償われた、と。罪のすべてに倍する報いを、主の御手から受けた、と」。
・詩編90:1-3はルカ1:47-55のマリアの賛歌と並行関係にあると聖書学者パーネスは指摘する。マリアの賛歌は、思いがけない婚外妊娠に苦しむマリアを救うために、神がヨセフに働きかけ、彼がマリアの子を「聖霊によって身ごもった子」として受け入れるようにしてくださった、主の驚くべき御業に対する感謝の歌だ。
−ルカ1:47-54「私の魂は主をあがめ、私の霊は救い主である神を喜びたたえます。身分の低い、この主のはしためにも、目を留めてくださったからです・・・力ある方が、私に偉大なことをなさいましたから・・・主はその腕で力を振るい、思い上がる者を打ち散らし、権力ある者をその座から引き降ろし、身分の低い者を高く上げ、飢えた人を良い物で満たし、富める者を空腹のまま追い返されます。その僕イスラエルを受け入れて、憐れみをお忘れになりません」。
・詩人は「この驚くべき業を見た全地の人々は共に歌え」と呼びかける。詩人はイスラエルという枠から自由だ。捕囚の体験が詩人の視野を広くしている。
−詩編98:4-6「全地よ、主に向かって喜びの叫びをあげよ。歓声をあげ、喜び歌い、ほめ歌え。琴に合わせてほめ歌え、琴に合わせ、楽の音に合わせて。ラッパを吹き、角笛を響かせて、王なる主の御前に喜びの叫びをあげよ」。

2.主は再び来られる

・しかし、捕囚からの帰還は実際にはつらいものだった。人々は廃墟のエルサレムに帰ったが、先住民からは歓迎されず、飢饉に追い込まれ、神殿建設も基礎のみで中断に追い込まれる。生活が大変で神殿どころではなかったのだ。
−ハガイ1:9「お前たちは多くの収穫を期待したが、それはわずかであった。しかも、お前たちが家へ持ち帰るとき、私は、それを吹き飛ばした。それはなぜか、と万軍の主は言われる。それは、私の神殿が廃虚のままであるのに、お前たちが、それぞれ自分の家のために、走り回っているからだ」。
・神殿建設は20年間中断したが、前520年にバビロンからゼルバベルが帰還して、総督となり、神殿再建事業を指導した。彼はエホヤキン王の孫に当たり、ダビデ家の家系としてメシア的期待が持たれた。ゼルバベルは、大祭司ヨシュアと協力して再建事業を指揮し、また預言者ハガイとゼカリヤが彼らを支持し、前516年についに第二神殿が完成した。
−ゼカリヤ4:9-10「ゼルバベルの手がこの家の基を据えた。彼自身の手がそれを完成するであろう。こうしてあなたは万軍の主が私を、あなたたちに遣わされたことを知るようになる。誰が初めのささやかな日をさげすむのか。ゼルバベルの手にある選び抜かれた石を見て、喜び祝うべきである。その七つのものは、地上をくまなく見回る主の御目である」。
・完成後、民はゼルバベルを王に望んだが、ペルシャ当局はゼルバベルを捕らえ、抹殺した。事態がユダヤ独立運動に発展することを恐れたからだ。この度重なる挫折にも関わらず、人々は「主は再び来られる」とメシアを待望した。エッサイの株=ダビデ王朝はなくなり、切り株だけになっても、主はそこから新しい芽を送ってくださるとの信仰だ。
−イザヤ11:1-5「エッサイの株から一つの芽が萌えいで、その根から一つの若枝が育ち、その上に主の霊がとどまる。知恵と識別の霊、思慮と勇気の霊、主を知り、畏れ敬う霊。彼は主を畏れ敬う霊に満たされる。目に見えるところによって裁きを行わず、耳にするところによって弁護することはない。弱い人のために正当な裁きを行い、この地の貧しい人を公平に弁護する・・・正義をその腰の帯とし、真実をその身に帯びる」。
・そのメシア待望が詩編98編を書かせた。そこにはイザヤ11章と同じ信仰が脈打っている。
−詩編98:7-9「とどろけ、海とそこに満ちるもの、世界とそこに住むものよ。潮よ、手を打ち鳴らし、山々よ、共に喜び歌え。主を迎えて。主は来られる、地を裁くために。主は世界を正しく裁き、諸国の民を公平に裁かれる」。
・この信仰がある限り、人々はいつでも再起することができる。私たちはこの「主の驚くべき業」に本当に信頼しているのだろうか。イスラエルは挫折の連続の中で、主の来臨を待望し続けた。私たちにその信仰があるだろうか。
−事業が行き詰まり、破産しかない時、私たちはどう祈るのだろうか「主よ、来たりたまえ」
−精神が破壊され、回復の見込みが無い家族を見守る時、私たちはどう祈るだろうか「主よ、来たりたまえ」

*詩編98編参考資料:主の驚くべき業(記事の紹介)

1.「水の洗礼を受けた聖書」
−2011年5月4日朝日新聞大阪版朝刊から「岩手県大船渡市にある小さな出版社が東日本大震災の津波で流され、在庫の本の多くも水没した。それでも「地域文化のともしびを消したくない」と再建を誓う姿に北海道の文学館が共鳴、水をかぶった本を定価で販売する支援を近く始める。「イー・ピックス」は、新約聖書の四つの福音書を地元・気仙の言葉に訳した「ケセン語訳新約聖書」で知られるが、3月11日の大津波で事務所が流され、8千冊の在庫が水をかぶった。出版社の熊谷さんは、3人の社員と4月1日から営業を再開。これを聞いた三浦綾子記念文学館(旭川市)が「大津波の洗礼を受けながら残った貴重な本」として、館内で聖書を定価(5880円〜6090円)で売りたいと申し出た。熊谷さんは「津波をくぐった聖書」と呼び、 個人からの注文にも応じるという」。

2.「ケセン語訳新約聖書」著した医師・山浦玄嗣さんの信仰
−2011年05月16日朝日新聞夕刊から
「岩手県大船渡市の医師山浦玄嗣(はるつぐ)さん(71)は、新約聖書の四つの福音書を地元・気仙地方の言葉に翻訳した「ケセン語訳新約聖書」の著者としても知られています。地元のカトリック教会に通う山浦さんは、東日本大震災の大津波が襲った三陸の診療室で何を見たのでしょうか。
3月11日午後2時46分。私が理事長の山浦医院の午後の診察が始まる時間でした。自宅のすぐ隣にある医院に入ると間もなく、大きな横揺れを感じました。揺れはいつまでも収まらず、船酔いみたいに吐き気がしてきたころ、ようやく静まりました。幸い自宅も医院も床上に浸水しただけで済みました。でも、津波でたくさんの友だちが死に、ふるさとは根こそぎ流された。黒い津波が押し寄せるのを見て、イエスが十字架で叫んだ「わたしの神よ、わたしの神よ、なぜわたしをお見捨てになるのか」を思い出しました。この一節は当時よく知られた詩の冒頭で「あなたに依り頼んで、裏切られたことはない」と締めくくられます。イエスは力尽きて、最後まで口にできなかったとされています。苦悩のなかで毒づきながら、それでも神への信頼は揺るがない。私も同じです。
 重油と下水と魚の死骸が混じった真っ黒で粘っこい泥をなんとか片づけ、14日の月曜日から医院を開けました。津波の後には寒い日が続きました。患者さんは停電し暗い待合室で、私が用意した毛布にくるまっていました。60人はいたでしょうか。患者さんには薬が必要なのです。不通になった鉄道の線路伝いに、家族のため雪で真っ白になり2時間かけ歩いてきたおじさんがいました。「遠いところ悪いが、5日分しか出せないよ」と言うと、ひとこと「ありがたい」。2時間かけて帰っていきました。もっと欲しいと言った患者さんもいます。でも「薬はこれだけしかない」と諭すと、はっとした顔になり「おれの分を減らして、ほかの人に」と譲りあってくれました。 「ががぁ(妻を)、死なせた」。目を真っ赤にしながらも涙をこらえた人。「助かってよかったなあ」と声をかけると、「おれよりも立派な人がたくさん死んだ。申し訳ない」と頭を下げた人。気をつけて聞いていましたが、だれひとり「なんで、こんな目に遭わないといけねえんだ」と言った人はいません。そんな問いかけは、この人たちには意味がありません。答えなんかないのです。この人たちが罪深いから被災したのでもありません。災難を因果応報ととらえる考えに、イエスは反対しています。
 人はみんな死にます。しかも、死はどれも理不尽なのです。でも、無駄な死はひとつもありません。死には必ず意味があります。診療室の人たちは不遇を嘆くのではなく、多くの死者が出た今回の出来事から何かを聞き取ろうとしていたのかもしれません。必要以上に持ち上げるつもりはありません。しかし、あのつらいなか、意味のない問いかけをすることなく、人のために何ができるか、本当に生き生きとした喜びを感じるには何をすればいいのかと、懸命に生きていました。あっぱれな人たちに、私は出会えたのです」。

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