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日本バプテスト連盟 篠崎キリスト教会

2010年6月24日祈祷会(エレミヤ30章、慰めの書)

投稿日:2019年8月21日 更新日:

1.慰めの書

・エレミヤ30〜31章は慰めの書と呼ばれる。エレミヤは自らの預言を弟子バルクに口述筆記させ、それをバビロンの捕囚民に送った。捕囚地の人々はそれを編集して回覧した。国を滅ぼされた民族は通常は消滅する。しかし、ユダヤ民族は生き残った。エレミヤやエゼキエル等の預言者を通して、回復の希望を持ったからである。
−エレミヤ30:1-3「主からエレミヤに臨んだ言葉。『イスラエルの神、主はこう言われる。私があなたに語った言葉をひとつ残らず巻物に書き記しなさい。見よ、私の民、イスラエルとユダの繁栄を回復する日が来る、と主は言われる。主は言われる。私は、彼らを先祖に与えた国土に連れ戻し、これを所有させる』」。
・慰めは審判の苦しみを通して与えられる。エレミヤは主の言葉を伝える「おまえたちはこれから終わりの日の出来事を見るであろう。しかしそれで終わりではない。その破壊の後には苦しみからの解放を見るであろう」。
−エレミヤ30:5-7「主はこう言われる。戦慄の声を我々は聞いた。恐怖のみ。平和はない。尋ねて、見よ、男が子を産むことは決してない。どうして、私は見るのか、男が皆、子を産む女のように腰に手を当てているのを。だれの顔も土色に変わっている。災いだ、その日は大いなる日、このような日はほかにはない。ヤコブの苦しみの時だ。しかし、ヤコブはここから救い出される」。
・救いの前には苦難があり、人は真に生きるためには一度死ななければいけない。「審判があって救いが来る」、「十字架の苦しみなしには復活の喜びはない」。私たちもまた主の怒りの杯を飲まなければ救いの日は来ない。
−マタイ26:39「(イエスは)少し進んで行って、うつ伏せになり、祈って言われた。『父よ、できることなら、この杯を私から過ぎ去らせてください。しかし、私の願いどおりではなく、御心のままに』」。
・怒りの盃を受けた者は、主から解放の宣言を受ける。首から軛が砕かれ、縄目は取り去られる。
−エレミヤ30:8-9「その日にはこうなる、と万軍の主は言われる。お前の首から軛を砕き、縄目を解く。再び敵がヤコブを奴隷にすることはない。彼らは、神である主と、私が立てる王ダビデとに仕えるようになる」。
・王宮が焼かれ、神殿も破壊された民に、回復の預言が響く。イスラエルの歴史家たちは前562年に捕囚の王エホヤキンが牢から出され、バビロン王の食卓に連なるものになった事の中に、ダビデ王家の回復の印を見た。
−列王記下25:27-30「ユダの王ヨヤキンが捕囚となって三十七年目の第十二の月の二十七日に、バビロンの王エビル・メロダクは、即位の年にユダの王ヨヤキンに情けをかけ、彼を出獄させた。バビロンの王は彼を手厚くもてなし、バビロンで共にいた王たちの中で彼に最も高い位を与えた。ヨヤキンは獄中の衣を脱ぎ、生きている間、毎日欠かさず王と食事を共にすることとなった。彼は生きている間、毎日、日々の糧を常に王から支給された」。

2. 回復の預言

・30:12-15は前587年のエルサレム壊滅時の預言であろう。愛人(エジプト軍)がエルサレムを包囲するバビロン軍と戦うために来たが、敵(バビロン軍)に打ち破られ、エジプト軍は退却し、やがて城壁は破られ、バビロン軍はエルサレムに侵攻し、男を殺し、女を陵辱し、家を焼き、人々は剣の傷と病と飢えに苦しんだ。
−エレミヤ30:12-15「主はこう言われる。お前の切り傷はいえず、打ち傷は痛む。お前の訴えは聞かれず、傷口につける薬はなく、いえることもない。愛人たちは皆、お前を忘れ、相手にもしない。お前の悪が甚だしく、罪がおびただしいので、私が敵の攻撃をもってお前を撃ち、過酷に懲らしめたからだ。なぜ傷口を見て叫ぶのか。お前の痛みはいやされない。お前の悪が甚だしく、罪がおびただしいので、私がお前にこうしたのだ」。
・呆然とたたずむ人々に言葉が臨む「私がお前の打ち傷をいやす。都は廃墟の上に回復され城壁も再建される」。
−エレミヤ30:17-18「さあ、私がお前の傷を治し、打ち傷をいやそう、と主は言われる。人々はお前を、『追い出された者』と呼び、『相手にされないシオン』と言っているが。主はこう言われる。見よ、私はヤコブの天幕の繁栄を回復し、その住む所を憐れむ。都は廃虚の丘の上に建てられ、城郭はあるべき姿に再建される」。
・「都は廃墟の丘の上に建てられる」、イスラエルの地は戦乱や飢饉でなんども見捨てられ、廃墟と化すが、人はその廃墟の上に土を盛り、新しい町を建て、次第に土砂が堆積し、丘(テル)ができていく。イスラエルにはテルという地名が多くある(テル-アビブ他)。イスラエルはその苦難の中で主を呼び求め、主はそれに応えてメシアを遣わされる。30:21はエレミヤのメシア預言である。
−エレミヤ30:20-22「ヤコブの子らは、昔のようになり、その集いは、私の前に固く立てられる。彼らを苦しめるものに私は報いる。一人の指導者が彼らの間から、治める者が彼らの中から出る。私が彼を近づけるので、彼は私のもとに来る。彼のほか、誰が命をかけて、私に近づくであろうか、と主は言われる。こうして、あなたたちは私の民となり、私はあなたたちの神となる」。

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