1.エレミヤの神殿説教
・エレミヤ書は26章から第二部に入る。エレミヤ受難記と呼ばれる。前609年ヨシヤ王はメギドの会戦でエジプト王に敗れ、以降ユダはエジプト王の支配下に入り、新しく王となったエホアハズはエジプトの干渉で廃位とされ、エホヤキムが王位についた。エレミヤはこのエホヤキムを批判して、神殿で説教を行う。
−エレミヤ26:1-3「ユダの王、ヨシヤの子ヨヤキムの治世の初めに、主からこの言葉がエレミヤに臨んだ。『主はこう言われる。主の神殿の庭に立って語れ。ユダの町々から礼拝のために主の神殿に来るすべての者に向かって語るように、私が命じるこれらの言葉をすべて語れ。ひと言も減らしてはならない。彼らが聞いて、それぞれ悪の道から立ち帰るかもしれない。そうすれば、私は彼らの悪のゆえにくだそうと考えている災いを思い直す』」。
・具体的な神殿説教の内容はエレミヤ7:2−15に詳しい。エレミヤが語ったのは「主の神殿がエルサレムにあるから、何があっても大丈夫だとあなた方は思っているが、主はその神殿を捨てようとされている。今こそ悔い改めよ、そうすれば主は裁きを思いとどまってくださるだろう」ということだった。
−エレミヤ7:2-15「お前たちの道と行いを正せ。そうすれば、私はお前たちをこの所に住まわせる。主の神殿、主の神殿、主の神殿という、むなしい言葉に依り頼んではならない・・・私の名によって呼ばれるこの神殿は、お前たちの目に強盗の巣窟と見えるのか。そのとおり。私にもそう見える、と主は言われる・・・私が先に繰り返し語ったのに、その言葉に従わず、呼びかけたのに答えなかったから、私の名によって呼ばれ、お前たちが依り頼んでいるこの神殿に、そしてお前たちと先祖に与えたこの所に対して、私はシロにしたようにする。私は、お前たちの兄弟である、エフライムの子孫をすべて投げ捨てたように、お前たちを私の前から投げ捨てる」。
・第二大戦中に牧師が靖国神社に行き「この戦争は不正であり、この社には神はいない。偶像礼拝から解放されよ」と叫べば、彼は捕らえられ、死刑に処せられるだろう。神殿祭司たちもエレミヤを捕え、裁判にかけ、死刑を求めた。
−エレミヤ26:7-9「祭司と預言者たちとすべての民は、エレミヤが主の神殿でこれらの言葉を語るのを聞いた。エレミヤが、民のすべての者に語るように主に命じられたことを語り終えると、祭司と預言者たちと民のすべては、彼を捕らえて言った『あなたは死刑に処せられねばならない。なぜ、あなたは主の名によって預言し、この神殿はシロのようになり、この都は荒れ果てて、住む者もなくなると言ったのか』と」。
2.エレミヤの命を救われる主
・エレミヤは裁判の席上で弁明する「主が私を遣わし、あなた方が聞いた預言を語るように命じられた。私はあなた方の手中にある。殺したければ殺すが良い。だが私を殺せば、あなた方は主に逆らう者となることを覚えよ」と。
−エレミヤ26:12-15「主が私を遣わされ、お前たちが聞いたすべての言葉をこの神殿とこの都に対して預言させられたのだ。今こそ、お前たちは自分の道と行いを正し、お前たちの神、主の声に聞き従わねばならない。主はこのように告げられた災いを思い直されるかもしれない。私はお前たちの手中にある。お前たちの目に正しく、善いと思われることをするがよい。ただ、よく覚えておくがよい、私を殺せば、お前たち自身と、この都とその住民の上に、無実の者の血を流した罪を招くということを」
・人々はエレミヤの言葉を聞いてためらい、何人かの長老が立ち上がり、エレミヤの弁護を始めた「預言者ミカが神殿崩壊を預言した時、ヒゼキヤ王は言葉を聞き、悔い改めたではないか。我々は主の預言者を殺してはいけない」と。
−エレミヤ26:16-19「この人には死に当たる罪はない。彼は我々の神、主の名によって語ったのだ・・・モレシェトの人ミカはユダの王ヒゼキヤの時代に、ユダのすべての民に預言して言った。『万軍の主はこう言われる。シオンは耕されて畑となり、エルサレムは石塚に変わり、神殿の山は木の生い茂る丘となる』と。ユダの王ヒゼキヤとユダのすべての人々は、彼を殺したであろうか。主を畏れ、その恵みを祈り求めたので、主は彼らに告げた災いを思い直されたではないか。我々は自分の上に大きな災いをもたらそうとしている」。
・すべての人がエレミヤの敵になったのではなかった。イエスの裁判においてもニコデモはイエスを擁護し、使徒たちの裁判でも議員ガマリエルが弁護に立った。体制側にも常に良心的な人は残されている。
−使徒5:38-39「あの者たちから手を引きなさい・・・あの計画や行動が人間から出たものなら、自滅するだろうし、神から出たものであれば、彼らを滅ぼすことはできない。もしかしたら諸君は神に逆らう者となるかもしれないのだ」。
・その一方で預言者ウリヤは殺される。彼は王が命を狙っていることを知ると、「怖れて逃げた」(26:20-23)。恐れたゆえに殺されたのだろうか。1521年ルターは教皇批判をしたためにヴォルムスに引き出され、裁判の席上で批判を取り消すように求められたが拒否した。有名な言葉が残されている。しかしヤン・フスは1411年に処刑されている。
−ルターの答弁「Hier stehe ich, ich kann nicht anders. Gott helfe mir. Amen(私はここに立っている。それ以上のことはできない。神よ、助けたまえ)」