1.病苦に喘ぐ詩人の嘆き
・本詩の作者は重い疫病(おそらくはらい病)に冒されている。彼は肉にも骨にも安らぎがなく、傷は膿んで悪臭を放ち,腰はただれに覆われていると嘆く。そして病を神からの刑罰だと感じている。
-詩編38:2-5「主よ、怒って私を責めないでください。憤って懲らしめないでください。あなたの矢は私を射抜き、御手は私を押さえつけています。私の肉にはまともなところもありません、あなたが激しく憤られたからです。骨にも安らぎがありません、私が過ちを犯したからです。私の罪悪は頭を越えるほどになり、耐え難い重荷となっています」。
・らい病、ヘブル語ツァラアトは「汚れ」、「しみ」を意味するが、同時に宗教的な「穢れ」をも意味した。それは罪を犯したために神に呪われた病として嫌われ、病者は隔離され、日常生活から排除された。
-レビ記13:45-46「重い皮膚病にかかっている患者は、衣服を裂き、髪をほどき、口ひげを覆い、『私は汚れた者です。汚れた者です』と呼ばわらねばならない・・・その人は独りで宿営の外に住まねばならない」。
・日本でもらい病患者は「らい予防法」により強制隔離され、現在でも各地に国立ハンセン病療養所がある。「らい予防法」が廃止されたのは1996年であり,患者は病以上に社会的な排除に悩まされた。詩人も絶望の中で喘ぐような祈りを行う。
-詩編38:6-9「負わされた傷は膿んで悪臭を放ちます。私が愚かな行いをしたからです。私は身を屈め、深くうなだれ、一日中、嘆きつつ歩きます。腰はただれに覆われています。私の肉にはまともなところもありません。もう立てないほど打ち砕かれ、心は呻き、うなり声をあげるだけです」。
・患者は近親者からも見放され、孤独の中で苦しめられる。神からも人からも見放される、これ以上の苦痛はない。
-詩編38:10-12「私の主よ、私の願いはすべて御前にあり、嘆きもあなたには隠されていません。心は動転し、力は私を見捨て、目の光もまた、去りました。疫病にかかった私を、愛する者も友も避けて立ち、私に近い者も、遠く離れて立ちます」。
・彼ができることはただ沈黙を守り、周りの声に耳をふさぐだけだ。
-詩編38:14-15「私の耳は聞こえないかのように、聞こうとしません。口は話せないかのように、開こうとしません。私は聞くことのできない者、口に抗議する力もない者となりました」。
2.それでも絶望しない
・詩人の希望はひたすらに主に祈ることしかない。彼は人に絶望するが神には絶望していない。しかし救いは見えない。
-詩編38:16-18「主よ、私はなお、あなたを待ち望みます。私の主よ、私の神よ、御自身で私に答えてください。私は願いました・・・私は今や、倒れそうになっています」。
・詩人は最後まで「主を賛美する」ことも、「主に信仰を告白する」こともしない。彼の苦悩はそれほど深いのだ。
-詩編38:22-23「主よ、私を見捨てないでください。私の神よ、遠く離れないでください。私の救い、私の主よ、すぐに私を助けてください」。
・イエスもこの苦しみを体験された。彼は人に捨てられ、神に見捨てられて、十字架で死んでいかれた。イエスは十字架で自分を捨てられた神の名を呼びながら死んでいかれた。
-マルコ15:33-34「昼の十二時になると、全地は暗くなり、それが三時まで続いた。三時にイエスは大声で叫ばれた『エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ』。これは『わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか』という意味である」。
・イエスが私たちの苦しみを知っておられるゆえに、イエスは私たちを救うことがおできになる。彼はらい病を患う人を憐れみ、彼に触れ、そして癒された。「らい病者にふれてはいけない」という戒めを愛のゆえに破られる。
-マルコ1:40-42「重い皮膚病を患っている人が、イエスのところに来てひざまずいて願い『御心ならば、私を清くすることがおできになります』と言った。イエスが深く憐れんで、手を差し伸べてその人に触れ、『よろしい。清くなれ』と言われると、たちまち重い皮膚病は去り、その人は清くなった」。
・イエスはまた、病や障害は罪のせいではないとして、その因果関係を否定された。
-ヨハネ9:1-3「イエスは通りすがりに、生まれつき目の見えない人を見かけられた。弟子たちがイエスに尋ねた『ラビ、この人が生まれつき目が見えないのは、だれが罪を犯したからですか。本人ですか。それとも、両親ですか』。イエスはお答えになった『本人が罪を犯したからでも、両親が罪を犯したからでもない。神の業がこの人に現れるためである』」。
・「神の業がこの人に現れるために」、26歳でらい病に罹り、37歳で死んでいった歌人の明石海人はらい病を「天刑病」であると初めは思ったが、最後には「天啓病」として受け入れていった。
-明石海人・歌集白描から「癩は天刑である。加はる笞の一つ一つに、嗚咽し慟哭しあるいは呷吟しながら、私は苦患の闇をかき捜って一縷の光を渇き求めた・・・齢三十を超えて短歌を学び、あらためて己れを見、人を見、山川草木を見るに及んで、己が棲む大地の如何に美しく、また厳しいかを身をもって感じ、積年の苦渋をその一首一首に放射して時には流涕し時には抃舞しながら、肉身に生きる己れを祝福した。人の世を脱れて人の世を知り、骨肉と離れて愛を信じ、明を失っては内にひらく青山白雲をも見た。癩はまた天啓でもあった」。