1.エゼキエルに与えられた言葉
・前593年、捕囚地バビロンでは、エゼキエルが召されて言葉を語るように命じられた。エゼキエルが語る相手は、バビロンにいる異国人ではなく、同胞イスラエルだ。言葉の障壁はない、しかし心は通じないだろうと言われる。人々は一日も早く帰還することだけを希望し、審判の言葉を聞こうとしないからだ。
-エゼキエル3:4-7「人の子よ、イスラエルの家に行き、私の言葉を彼らに語りなさい。まことに、あなたは、不可解な言語や難しい言葉を語る民にではなく、イスラエルの家に遣わされる。あなたは聞き取ることができない不可解な言語や難しい言葉を語る多くの民に遣わされるのではない。もし私があなたをそれらの民に遣わすのなら、彼らはあなたに聞き従うであろう。しかし、イスラエルの家は、あなたに聞こうとはしない。まことに、彼らは私に聞こうとしない者だ」。
・捕囚民は「一刻も早くバビロンから解放される」ことを願っていた。事実、本国ではエジプトの支援を受けた「反バビロン同盟」が結ばれようとしている。その民に「捕囚は民族の罪の故であり、罪の問題が解決しない限り帰国できない」という審判預言は歓迎されない。預言者は無関心と敵対の中で語るために硬くなる、動揺しない強さ、無情さが必要だ。
-エゼキエル3:8-9「イスラエルの家はすべて、額も硬く心も硬い。今や私は、あなたの顔を彼らの顔のように硬くし、あなたの額を彼らの額のように硬くする。あなたの額を岩よりも硬いダイヤモンドのようにする。彼らが反逆の家だからといって、彼らを恐れ、彼らの前にたじろいではならない」。
・主は去られ、エゼキエルは居留地に戻される。彼は自分の見た幻の意味を考え、捕囚の現実を思い、茫然となる。彼が語る「かたくなな民」は、彼の友であり、隣人でもある。その彼らに、預言者として「硬くなって」いかなければいけない。なお、イスラエルは1948年の建国時に建てた首都の名をテル・アビブと名付けた。捕囚の記憶が今も生きている。
-エゼキエル3:12-15「その時、霊が私を引き上げた。私は背後に、大きなとどろく音を聞いた。主の栄光が、その御座から上るときの音である。あの生き物の翼が互いに触れ合う音、生き物の傍らの車輪の音、かの大きなとどろく音を聞いた。霊は私を引き上げて連れ去った・・・こうして私は、ケバル川の河畔のテル・アビブに住む捕囚民のもとに来たが、彼らの住んでいるそのところに座り、ぼう然として七日間、彼らの間にとどまっていた」。
2.見張り人としての預言者の務め
・7日後、主の言葉がエゼキエルに臨む「イスラエルの見張人として生きよ」と。見張人は城壁の上に立ち、敵の接近を住民に警告し、警告を怠った時にはその責任を問われる。召命を受けることは責任を伴う。彼はもう自分のためだけに生きることは許されない。その責任は「聞かれない預言であり、歓迎されない言葉」だ。人間的に考えれば苦痛だ。しかしエゼキエルの食べた巻物は甘かった(3:3)。使命を与えられた者は神と連帯して働くからだ。
-エゼキエル3:17-21「人の子よ、私はあなたを、イスラエルの家の見張りとする。私の口から言葉を聞くなら、あなたは私に代わって彼らに警告せねばならない。私が悪人に向かって、『お前は必ず死ぬ』と言う時、もしあなたがその悪人に警告して、悪人が悪の道から離れて命を得るように諭さないなら、悪人は自分の罪のゆえに死ぬが、彼の死の責任をあなたに問う。しかし、あなたが悪人に警告したのに、悪人が自分の悪と悪の道から立ち帰らなかった場合には、彼は自分の罪のゆえに死に、あなたは自分の命を救う・・・あなたが正しい人に過ちを犯さないように警告し、彼が過ちを犯さなければ、彼は警告を受け入れたのだから命を得、あなたも自分の命を救う」。
・エゼキエルは捕囚地で言葉を語り始めた。しかしエルサム帰還を希望する人々は、エルサレム滅亡の預言に怒り、彼を家に閉じ込めた。しばらくの間エゼキエルの口は封じられる。3章22節以下が語るのはそういうことかもしれない。
-エゼキエル3:24-27「あなたは自分の家に入って閉じこもりなさい。人の子よ、あなたは縄をかけられ、縛られ、彼らの所へ出て行けないようにされる。また、私はあなたの舌を上顎につかせ、ものが言えないようにする。こうして彼らを責める者としてのあなたの役割は終わる。・・・しかし、私が語りかける時、あなたの口を開く。そこであなたは彼らに言わねばならない。主なる神はこう言われる。聞き入れようとする者は聞き入れよ。拒もうとする者は拒むがよい」。
・「聞き入れようとする者は聞き入れよ。拒もうとする者は拒むがよい」との神の言葉を実践することは難しいことだ。昭和16年日本は米国太平洋艦隊を撃滅し、南方では英領シンガポールを占領した。人々は米英に勝ったと興奮していた。その時、米英との国力格差を考えれば一時的な勝利はあっても最終的には負けると誰かが預言すれば、彼は迫害されるだろう。現に矢内原忠雄も戦争批判発言により公職を追われ、今は自宅集会でエゼキエル書の講義をしている(1943年〜45年)。語るべき時が来るまで、親しい人にしか語れない。エゼキエルもその辛さを味わったのではないだろうか。
・人々がどういう応答をしようと、それは人々の自由である。しかしその自由は「救いか滅亡かのいずれかを受け取る自由」であることを預言者は伝え、神が引きこもれと言われれば引きこもる。それが預言者の役割であろう。しかし引きこもることは無意味ではない。矢内原忠雄が戦時中に行った「エゼキエル書講義」はその後出版され、今でも多くの注解者が用いている。