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日本バプテスト連盟 篠崎キリスト教会

2010年3月3日祈祷会(詩編37編、悪を行う者に苛立つな)

投稿日:2019年8月21日 更新日:

1.単なる因果論ではなく、現実を見つめる詩人

・詩篇37編は、この世に悪があり、正しい者が苦しめられている現実があることを見据えながら、「悪を行う者に苛立つな」と教える。「主が悪を糺されるのであるから、それに信頼せよ」と。
-詩篇37:1-4「悪事を謀る者のことでいら立つな。不正を行う者をうらやむな。彼らは草のように瞬く間に枯れる。青草のようにすぐにしおれる。主に信頼し、善を行え。この地に住み着き、信仰を糧とせよ。主に自らをゆだねよ、主はあなたの心の願いをかなえてくださる」。
・詩人は単純な因果論(正しい人は栄え、悪人は滅びる)を教えているのではない。悪人が「繁栄の道を行く」(37:7)、「野生の木のように勢いよくはびこる」(37:35)現実があり、他方、貧しい人が「虐げられ」(37:14)、「打ち捨てられる」(37:24)現実がある。現実は単なる因果論では説明できないのだ。
-エレミヤ12:1「正しいのは、主よ、あなたです。それでも、私はあなたと争い、裁きについて論じたい。なぜ、神に逆らう者の道は栄え、欺く者は皆、安穏に過ごしているのですか」。
・詩人はその現実を承知したうえで、「悪に対して怒り、憤りを持つな。自分は善人であるとして彼らを裁くな」、「静まって、耐え忍べ」と歌う。自らの手で悪を裁くとき、あなたもまた悪の手に陥るのだと。
-詩篇37:7-9「沈黙して主に向かい、主を待ち焦がれよ。繁栄の道を行く者や、悪だくみをする者のことでいら立つな。怒りを解き、憤りを捨てよ。自分も悪事を謀ろうと、いら立ってはならない。悪事を謀る者は断たれ、主に望みをおく人は、地を継ぐ」。
・私たちの罪は、「自分で悪を滅ぼそう」とする点にある。絶対的な正しさは人にはない。アメリカはイスラム原理主義者を「テロリスト」と呼び、「テロとの戦い」を始めた。その結果、イラクやアフガンで多くの無辜の民衆が殺されていった。彼らが、善もまた相対的であり、悪への報復は主に委ねるとの信仰があれば、惨劇は避けられたであろう。
-ローマ12:17-19「だれに対しても悪に悪を返さず、すべての人の前で善を行うように心がけなさい。・・・あなたがたは、すべての人と平和に暮らしなさい。愛する人たち、自分で復讐せず、神の怒りに任せなさい。『復讐は私のすること、私が報復すると主は言われる』と書いてあります」。
・それはこの世の悪を甘受せよとの教えではない。主に信頼してあなたは善を行えとの教えである。「人間の手の内に置かれていない出来事は主に任せよ、しかし委ねられていることは為せ」、ラインホルド・ニーバーの祈りと同じ精神がある。
-R・ニーバーの祈り「神よ、変えることのできるものについて、それを変えるだけの勇気をわれらに与えたまえ。変えることのできないものについては、それを受けいれるだけの冷静さを与えたまえ。そして、変えることのできるものと、変えることのできないものとを、識別する知恵を与えたまえ」。

2.悪に苛立つな、善を絶対視するな

・悪が一時的に栄えることがあっても、やがて彼らは滅びる。「地を受け継ぐのは、貧しい人、抑圧されている人、あなた方である」と詩人は力説する。「歴史は神の支配下にある、そのことを私たちは知っているではないか」と。
-詩篇37:14-22「主に逆らう者は剣を抜き、弓を引き絞り、貧しい人、乏しい人を倒そうとし、まっすぐに歩む人を屠ろうとするが、その剣はかえって自分の胸を貫き、弓は折れるであろう。主に従う人が持っている物は僅かでも、主に逆らう者、権力ある者の富にまさる。主は御自分に逆らう者の腕を折り、従う人を支えてくださる。無垢な人の生涯を、主は知っていてくださる。彼らはとこしえに嗣業を持つであろう・・・神の祝福を受けた人は地を継ぐ。神の呪いを受けた者は断たれる」。
・「良い麦も毒麦もある。毒麦も必要ゆえにこの世に置かれている。だから自分の手で毒麦を抜くな」。多くの革命が最終的には「血で血を拭う」結果に終わるのも、教会が分裂するのも、すべて自分の正しさを信じて、自分の手で毒麦を抜こうとするからだ。「悪に対して心を悩ますのは、悪をも支配される神を信じていないからではないか」と詩人は問いかける。
-詩篇37:30-34「主に従う人は、口に知恵の言葉があり、その舌は正義を語る。神の教えを心に抱き、よろめくことなく歩む。主に逆らう者は待ち構えて、主に従う人を殺そうとする。主は御自分に従う人がその手中に陥って裁かれ、罪に定められることをお許しにならない。主に望みをおき、主の道を守れ。主はあなたを高く上げて、地を継がせてくださる。あなたは逆らう者が断たれるのを見るであろう」。
・本詩においては繰り返し、「正しい者は地を受け継ぐ」と記される。「地を受け継ぐ」という言葉は申命記やヨシュア記に50回以上使われるように、出エジプトの民への土地取得の約束である。本詩においては「約束の地=神の国」を受け継ぐものとして、「地を受け継ぐ」という言葉が用いられている。「主に望みを置く人、貧しい人は地を受け継ぐであろう」、イエスが説かれた山上の説教の原型がここにある。
−マタイ5:3-5「心の貧しい人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである。悲しむ人々は、幸いである、その人たちは慰められる。柔和な人々は、幸いである、その人たちは地を受け継ぐ」。

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