江戸川区南篠崎町にあるキリスト教会です

日本バプテスト連盟 篠崎キリスト教会

2009年9月3日祈祷会(イザヤ56:9-57:21 神が見えない中で)

投稿日:2019年8月21日 更新日:

1.平和の中の宗教危機

・バビロンから故国再建を夢見て帰国した人々を襲ったのは、飢饉による経済的貧困と自己利益に奔走する指導者たちだった。第三イザヤは指導者としての役割を放棄した祭司(見張り役)や政治家(羊飼い)を激しく批判する。
-イザヤ56:9-11「野のすべての獣よ、森のすべての獣よ、食べに来るがよい。見張りはだれも見る力がなく、何も知らない。口を閉ざされた犬で、ほえることができない。伏してうたたねし、眠ることを愛する。この犬どもは強欲で飽くことを知らない。彼らは羊飼いでありながらそれを自覚せず、それぞれ自分の好む道に向かい、自分の利益を追い求める者ばかりだ」。
・第二イザヤは自らの命を投じて人々の帰国を贖った。しかし彼に従う者たちはペルシャ・エルサレム新体制の下で迫害され、死んでいった。人々は建国の理想を忘れ、支配者ペルシャにへつらい、自分たちの損得だけを考えている。私たちは何のために帰国したのか、捕囚とは何だったのか、第三イザヤは不信に囚われる。
-イザヤ57:1-2「神に従ったあの人は失われたが、だれひとり心にかけなかった。神の慈しみに生きる人々が取り去られても気づく者はない。神に従ったあの人は、さいなまれて取り去られた。しかし、平和が訪れる。真実に歩む人は横たわって憩う」。
・人々は神への背信のために国を滅ぼされ、異国の地で悔い改めたはずなのに、帰国すると主を忘れ、偶像礼拝にふける。偶像礼拝は必ず性的放縦を伴う。偶像礼拝とは人間の欲望の宗教化なのだ。
-イザヤ57:3-4「お前たち・・・姦淫する男と淫行の女との子孫よ、ここに近づくがよい。お前たちは誰を快楽の相手とするのか。誰に向かって大口を開き、舌を出すのか。お前たちは背きの罪が産んだ子ら、偽りの子孫ではないか」。
・平和時の緊張感のなくなった人間の宗教的危機、私たち日本も敗戦後に経験したことだ。
-イザヤ57:7-8「高い山の上に、お前は床を設け、そこにも上っていけにえをささげた。お前は扉と門柱の後ろにお前の像を置き、私に背いて裸になり、床を広くしてそこに上り、彼らと契約を交わし、床を共にすることを愛し、そのしるしを見た」。
・主はそのようなお前たちを再び裁かれるだろうと第三イザヤは警告する。
-イザヤ57:11-13「お前は私を心に留めず、心にかけることもしなかった。私がとこしえに沈黙していると思って、私を畏れないのか。私が述べてみよう、お前の言い分、お前の造ったものどもを。お前にとって、それらは何の役にも立たない。助けを求めて叫んでも、お前の偶像の一群はお前を救いはしない。風がそれらすべてを巻き上げ、ひと息でそれらを吹き去るであろう。私に身を寄せる者がこの地を嗣業とし、私の聖なる山を継ぐであろう」。

2.それでも神はおられるとの信仰

・人々を叱責した預言者は一転して励ましの言葉を語る。主は不義を怒り、不正を憎まれるが、悔い改めた者には憐れみを下さるから、悔い改めよと。
-イザヤ57:14-15「主は言われる。盛り上げよ、土を盛り上げて道を備えよ。私の民の道からつまずきとなる物を除け。高く、あがめられて、永遠にいまし、その名を聖と唱えられる方がこう言われる。私は、高く、聖なる所に住み、打ち砕かれて、へりくだる霊の人と共にあり、へりくだる霊の人に命を得させ、打ち砕かれた心の人に命を得させる」。
・主はへりくだる者と共におられる。主の怒りはいつまでも続かない。主は愛される故に怒られるのだ。
-イザヤ57:16「私は、とこしえに責めるものではない。永遠に怒りを燃やすものでもない。霊が私の前で弱り果てることがないように、私の造った命ある者が」。
・主は「造った故に滅ぼさない」といわれる。一時的に撃たれることはあってもそれは滅ぼしではない。エレミヤはバビロンの捕囚民に「捕囚は恵みなのだ。あなたたちが新しく生まれるための産みの苦しみなのだ」と書き送った。
-エレミヤ29:10-11「主はこう言われる。バビロンに七十年の時が満ちたなら、私はあなたたちを顧みる。私は恵みの約束を果たし、あなたたちをこの地に連れ戻す。私は、あなたたちのために立てた計画をよく心に留めている、と主は言われる。それは平和の計画であって、災いの計画ではない。将来と希望を与えるものである」。
・しかしあなたたちがそれをわきまえなければ、あなたたちは更なる試練を与えられるだろうと預言者は語る。
-イザヤ57:20-21「神に逆らう者は巻き上がる海のようで、静めることはできない。その水は泥や土を巻き上げる。神に逆らう者に平和はないと私の神は言われる」。
・エリ・ヴィーゼルはアウシュビッツでの処刑体験を報告する「ある日、三人が絞首刑で処刑されることになった。二人は大人で一人は子供だった・・・二人の大人はすぐに息絶えたが、子供は体重が軽くて臨終の苦しみを続けた。それを見ていたある者が叫ぶ『神はどこにおられるのだ』。その時ヴィーゼルは、心の中で叫ぶ『ここにおられる、この絞首台に吊るされておられる』」。戦時に人は主を求めるが、平和時には忘れる。だから平和は破れ戦争を繰り返す。

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