1.エジプトとの同盟に走るユダヤ
・イザヤ書は28章から再びイザヤの預言に戻る。28-31章の背景は前705年から701年にかけての反アッシリア戦争だ。アッシリア王サルゴン二世が死んだ時、支配下にあった諸国はアッシリアの衰退を見越して反乱を起こす。中心になったのはユダ王ヒゼキヤ王で、彼はエジプトとの支援を後ろ盾にしていた。それに対してイザヤは「アッシリアは主がイスラエルに与えられた鞭だ。前721年に滅んだ北イスラエルを見よ」と言う。「北イスラエル(エフライム、サマリアとも称せられる)の滅亡は支配階級の堕落によって生じたではないか」と。
-イザヤ28:1-4「災いだ、エフライムの酔いどれの誇る冠は。その麗しい輝きは、肥沃な谷にある丘を飾っているが、しぼんでゆく花にすぎない。酒の酔いによろめく者よ。見よ、主は強く激しい力を持っておられる。主は、激しく降る雹、破壊をもたらす大風、激しく押し流す洪水のように、御手をもって地に投げ倒し、エフライムの酔いどれの誇る冠を御足で踏みにじられる。肥沃な谷にある丘を飾っているその麗しい輝きは、しぼんでゆく花だ。夏に先がける初なりのいちじくのように、それを見る者は、見るやいなや手に取って呑み込んでしまう」。
・ユダの指導者たちも同じだ。彼らも酒に酔って、民の窮状を見ようともしない。「主はお前たちもサマリアのように滅ぼされることがわからないのか、エジプトに頼っても無駄だ」とイザヤは批判する。
-イザヤ28:7-8「彼らもまた、ぶどう酒を飲んでよろめき濃い酒のゆえに迷う。祭司も預言者も濃い酒を飲んでよろめき、ぶどう酒に飲まれてしまう。濃い酒のゆえに迷い、幻を見るとき、よろめき、裁きを下すとき、つまずく。どの食卓にも吐いた物が溢れ、至るところに汚物がある」。
・指導者たちは、イザヤを「命令だ、規則だ」とうるさく批判するばかりで、我々は子供扱いにすると反論した。
-イザヤ28:9-10「誰に知るべきことを教え、お告げを説き明かそうというのか。乳離れした子にか、乳房を離れた幼子にか。『ツァウ・ラ・ツァウ、ツァウ・ラ・ツァウ(命令に命令、命令に命令)、カウ・ラ・カウ、カウ・ラ・カウ(規則に規則、規則に規則)、しばらくはここ、しばらくはあそこ』と彼らは言う」。
・それに対してイザヤは答える「主の言葉を聞こうとしない者に、主はアッシリアを用いて、耳慣れない異国の言葉を強制的に彼らに聞かせられるだろう」。過酷なアッシリアの侵略と支配が始まることをイザヤは警告する。
-イザヤ28:11-13「確かに、主はどもる唇と異国の言葉でこの民に語られる。主が彼らに言っておかれたことはこうだ『これこそが安息である。疲れた者に安息を与えよ。これこそ憩いの場だ』と。しかし、彼らは聞こうとはしなかった。それゆえ、主の言葉は、彼らにとってこうなる『ツァウ・ラ・ツァウ、ツァウ・ラ・ツァウ、カウ・ラ・カウ、カウ・ラ・カウ』。彼らは歩むとき、つまずいて倒れ、打ち砕かれ、罠にかかって、捕らえられる」。
2.神ではなくエジプトに頼る愚かさ
・人々は言う『我々はエジプトと同盟を結んだ。何故アッシリアに負けると言うのか』。イザヤは答える「エジプトとの同盟は死の同盟だ。それはユダを滅亡に導く」。何故ならばエジプトは神ではなく人に過ぎないのだからと。
-イザヤ28:14-15「嘲る者らよ、主の言葉を聞け、エルサレムでこの民を治める者らよ。お前たちは言った『我々は死と契約を結び、陰府と協定している。洪水がみなぎり溢れても、我々には及ばない。我々は欺きを避け所とし、偽りを隠れがとする』」。
・民も指導者もイザヤの伝える主の言葉に聞こうとしない。ここでイザヤは有名な「隅の石」の預言を行う。主は聞こうとしない者どもを滅ぼされるが、「隅の石」は残され、やがてそれが新しい建物の土台石になるであろうと。
-イザヤ28:16-18「それゆえ、主なる神はこう言われる『私は一つの石をシオンに据える。これは試みを経た石、堅く据えられた礎の、貴い隅の石だ。信ずる者は慌てることはない。私は正義を測り縄とし、恵みの業を分銅とする。雹は欺きという避け所を滅ぼし、水は隠れがを押し流す。お前たちが死と結んだ契約は取り消され、陰府と定めた協定は実行されない。洪水がみなぎり、溢れるとき、お前たちは、それに踏みにじられる』」。
・新約記者たちは、十字架で死なれたイエスの上に教会が立てられたことを、「隅の石」と受け止めた。
−?ペテロ2:4-8「主は、人々からは見捨てられたのですが、神にとっては選ばれた、尊い、生きた石なのです・・・聖書にこう書いてあるからです『見よ、私は、選ばれた尊いかなめ石を、シオンに置く。これを信じる者は、決して失望することはない』。この石は、信じているあなたがたには掛けがえのないものですが、信じない者たちにとっては『家を建てる者の捨てた石、これが隅の親石となった』のであり、また『つまずきの石、妨げの岩』なのです」。
・主は再び歴史に介入される。かつてイスラエルのために働かれた主が、今度はイスラエルに敵対して働かれる。パレスチナの圧制者となっている現在のイスラエルは、この言葉をどのように聞くのだろうか。
−イザヤ28:21「主はペラツィム山の時のように立ち上がり、ギブオンの谷の時のように憤られる。それは御業を果たされるため。しかし、その御業は未知のもの。また、働きをされるため。しかし、その働きは敵意あるもの」。
*ペラツィムの山 (〈ヘ〉har perasim)イザヤが,神が偉大な業を行われた所として例にあげている場所(イザ28:21).神の業とは,ダビデがペリシテ人を完全に撃破し,その偶像を処置した事件を指す(?サム5:17‐21).
*ギブオン (〈ヘ〉gibon) 「丘」という意味.ベニヤミン族の町で,エルサレムの北西.イスラエル人のカナン侵入時には,ヒビ人の主要都市であった.他の民族がイスラエル人と戦おうとしたのに対して,ギブオンの住民はイスラエルと和を講じた(ヨシ9:3‐17).ヨシュアは彼らとの契約の義務を守り,エモリ人の連合軍が来襲した時,自ら援軍を率いて彼らを助けエモリ人を打った.主は天から雹の石を降らせ,日はギブオンの上でとどまりイスラエル軍はエモリ人の連合軍を全滅させた(ヨシ10:1‐21).