江戸川区南篠崎町にあるキリスト教会です

日本バプテスト連盟 篠崎キリスト教会

2009年8月27日祈祷会(イザヤ56:1-8、第三イザヤの始まり〜帰国後の苦難の中で)

投稿日:2019年8月21日 更新日:

1.第三イザヤの置かれた状況〜希望が崩れて

・第二イザヤの預言は55章で終わり、56章から第三イザヤの預言が始まる。第二イザヤに励まされてエルサレムに帰還した人々は神殿再建に取り掛かるが、飢饉やサマリア人の妨害で工事は中断された。経済生活は改善せず、人々は「パラダイスはどこにあるのか」と不満を募らせる。その中で第三イザヤ(第二イザヤの弟子たち)が活動を始める。
-イザヤ59:1-2「主の手が短くて救えないのではない。主の耳が鈍くて聞こえないのでもない。むしろお前たちの悪が神とお前たちとの間を隔て、お前たちの罪が神の御顔を隠させ、お前たちに耳を傾けられるのを妨げているのだ」。
・中断された神殿工事は、ハガイ、ゼカリア等に励まされて再開され、前515年神殿は完成する(第二神殿)。帰国後20年が経っていた。しかし神殿が完成しても経済状態は改善せず、共同体内部で争いが起き、民族主義者は異邦人排斥を訴える。このような混乱の中で、第三イザヤは第二イザヤの教えた「正義と公平」を取り戻せと人々に訴える。
-イザヤ56:1-2「主はこう言われる。正義を守り、恵みの業を行え。私の救いが実現し、私の恵みの業が現れるのは間近い。いかに幸いなことか、このように行う人、それを固く守る人の子は。安息日を守り、それを汚すことのない人、悪事に手をつけないように自戒する人は」。
・ここでは安息日を守ることが律法の中心にある。神殿を喪失した捕囚の民は、「安息日を守り、割礼を受ける」ことに、民族のアイデンテティーを求めた。その結果、割礼を受けていない異邦人や宦官たちは共同体から排除されていく。第二イザヤの「主は全ての民を救済される」との教えを受けた弟子たちは、民族を超えた救済に人々を導く。
-イザヤ56:3「主のもとに集って来た異邦人は言うな、主は御自分の民と私を区別される、と。宦官も、言うな、見よ、私は枯れ木にすぎない、と」。
・50年間の不在の間に、エルサレムには多くの異邦人が住み、またペルシャ宮廷に仕える宦官たちも改宗してきた。しかし本来のユダヤ律法は民族主義的な傾向を持ち、宦官や異邦人を排斥していた。
-申命記23:2-4「睾丸のつぶれた者、陰茎を切断されている者は主の会衆に加わることはできない。混血の人は主の会衆に加わることはできない。十代目になっても主の会衆に加わることはできない。アンモン人とモアブ人は主の会衆に加わることはできない。十代目になっても、決して主の会衆に加わることはできない」。

2.絶望の中で再び希望を

・第三イザヤは「主なる神はユダヤ人だけの神ではなく、全世界の神である」として、継承された律法の書き換えを要求する。「聖なるテキストの撤回」、ここでは驚くべき言葉が語られている。
-イザヤ56:4-7「なぜなら、主はこう言われる。宦官が、私の安息日を常に守り、私の望むことを選び、私の契約を固く守るなら、私は彼らのために、とこしえの名を与え、息子、娘を持つにまさる記念の名を、私の家、私の城壁に刻む。その名は決して消し去られることがない。また、主のもとに集って来た異邦人が、主に仕え、主の名を愛し、その僕となり、安息日を守り、それを汚すことなく、私の契約を固く守るなら、私は彼らを聖なる私の山に導き、私の祈りの家の喜びの祝いに連なることを許す。彼らが焼き尽くす献げ物といけにえをささげるなら、私の祭壇で、私はそれを受け入れる。私の家は、すべての民の祈りの家と呼ばれる」。
・その条件は安息日を守り、契約に従うことだ。今日で言えば、主日礼拝を守り、献金を捧げることだ。そのことを知らされたエチオピア人の宦官は、ピリポの勧めに従い、バプテスマを受けた。
-使徒言行録8:34-37「宦官はフィリポに言った『どうぞ教えてください。預言者(イザヤ)は、だれについてこう言っているのでしょうか。自分についてですか。だれかほかの人についてですか』。フィリポは口を開き、聖書のこの個所から説きおこして、イエスについて福音を告げ知らせた。道を進んで行くうちに、彼らは水のある所に来た。宦官は言った『ここに水があります。洗礼を受けるのに、何か妨げがあるでしょうか』。フィリポが『真心から信じておられるなら、差し支えありません』と言うと、宦官は、『イエス・キリストは神の子であると信じます』と答えた」。
・救いは肉のユダヤ人だけでなく、全ての民族に解放されている。ここに民族の枠を超えた救済論がある。
-イザヤ56:8「追い散らされたイスラエルを集める方、主なる神は言われる、既に集められた者に更に加えて集めよう」。
・しかしやがてエズラ・ネヘミヤの改革が為され、イスラエルは異邦人を共同体から追放する民族主義の道を歩み始める(エズラ記10:10-11)。イスラエルが民族主義から解放されるためにはイエスの出現まで待つ必要があった。
-ガラテヤ3:26-29「あなたがたは皆、信仰により、キリスト・イエスに結ばれて神の子なのです。洗礼を受けてキリストに結ばれたあなたがたは皆、キリストを着ているからです。そこではもはや、ユダヤ人もギリシア人もなく、奴隷も自由な身分の者もなく、男も女もありません。あなたがたは皆、キリスト・イエスにおいて一つだからです。あなたがたは、もしキリストのものだとするなら、とりもなおさず、アブラハムの子孫であり、約束による相続人です」。

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