1.サウルを殺さないダビデ
・サムエル記26章は24章と同じ事件を別の角度から記述する。おそらく、二つの異なった伝承があったのであろう。
―?サムエル24:3-7「サウルはイスラエルの全軍からえりすぐった三千の兵を率い、ダビデとその兵を追って「山羊の岩」の付近に向かった。・・・洞窟があったので、サウルは用を足すために入ったが、その奥にはダビデとその兵たちが座っていた。ダビデの兵は言った『主があなたに、私はあなたの敵をあなたの手に渡す。思いどおりにするがよいと約束されたのは、この時のことです』。・・・ダビデは兵に言った『私の主君であり、主が油を注がれた方に、私が手をかけ、このようなことをするのを、主は決して許されない。彼は主が油を注がれた方なのだ』」。
―?サムエル26:2-9「サウルは立ってイスラエルの精鋭三千を率い、ジフの荒れ野に下って行き、ダビデをジフの荒れ野で捜した。・・・ダビデとアビシャイは夜になって兵士に近寄った。サウルは幕営の中に横になって眠り込んでおり、彼の槍はその枕もとの地面に突き刺してあった。・・・アビシャイはダビデに言った『神は、今日、敵をあなたの手に渡されました。さあ、私に槍の一突きで彼を刺し殺させてください。一度でしとめます』。ダビデはアビシャイに言った『殺してはならない。主が油を注がれた方に手をかければ、罰を受けずには済まない』」。
・中心になる言葉は「主が油を注がれた方に手をかけるな」である。サウルへの報復は主に委ねる、歴史を形成するのは人ではなく、神であるとの信仰だ(歴史=History=His story=神の歴史)。
―?サムエル26:10-11「主は生きておられる。主がサウルを打たれるだろう。時が来て死ぬか、戦に出て殺されるかだ。主が油を注がれた方に、私が手をかけることを主は決してお許しにならない」。
・24章と同じようにダビデはサウルに、「あなたに手をかけなかった」と呼びかける。
―?サムエル26:19-20「わが主君、王よ。僕の言葉をお聞きください。もし、王が私に対して憤られるように仕向けられたのが主であるなら、どうか、主が献げ物によってなだめられますように。もし、人間であるなら、主の御前に彼らが呪われますように。彼らは、『行け、他の神々に仕えよ』と言って、この日、主がお与えくださった嗣業の地から私を追い払うのです。どうか、私の血が主の御前を遠く離れた地で流されませんように」。
2.主が行為されるまでの忍耐
・24章と同じようにサウルは悔い改める。しかし、この悔い改めが一時的なものであることをダビデは知るゆえに、それに期待しない。ダビデはサウルの下には帰らなかった。
―?サムエル26:21-24「サウルは言った『私が誤っていた。わが子ダビデよ、帰って来なさい。この日私の命を尊んでくれたお前に、私は二度と危害を加えようとはしない。私は愚かであった。大きな過ちを犯した』。ダビデは答えた『王の槍はここにあります。従者を一人よこし、これを運ばせてください。・・・今日、主は私の手にあなたを渡されましたが、主が油を注がれた方に手を書けることを私は望みませんでした。今日、私があなたの命を大切にしたように、主も私の命を大切にされ、あらゆる苦難から私を救ってくださいますように』」。
・この後、ダビデはサウルからの追跡を逃れるために、イスラエルを出て、敵陣であるペリシテ人の地に避難して、そこに1年半滞在した。主に委ねることは忍耐を必要とする。
―?サムエル27:1「ダビデは心に思った『このままではいつかサウルの手にかかるにちがいない。ペリシテの地に逃れるほかはない。そうすればサウルは、イスラエル全域で私を捜すことを断念するだろう。こうして私は彼の手から逃れることが出来る』」。
・私たちにもこの忍耐が必要だ。見える現実は約束がいつ成就するかを見通せない。その中で神に信頼していく。
―?ペテロ1:18-19「私たちは、聖なる山にイエスといたとき、天から響いてきたこの声を聞いたのです。こうして、私たちには、預言の言葉はいっそう確かなものとなっています。夜が明け、明けの明星があなたがたの心の中に昇るときまで、暗い所に輝くともし火として、どうかこの預言の言葉に留意していてください」。
・今はわからなくともわかるときが来る。希望が砕かれることはない。だから待とう。
―?コリント13:12「私たちは、今は、鏡におぼろに映ったものを見ている。だがその時には、顔と顔とを合わせて見ることになる。私は、今は一部しか知らなくとも、その時には、はっきり知られているようにはっきり知ることになる」。
・主が共におられれば、耐えられない苦難は与えられない。主はダビデへの約束を果たされたではないか。
―?コリント10:13「あなたがたを襲った試練で、人間として耐えられないようなものはなかったはずです。神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださいます」。