江戸川区南篠崎町にあるキリスト教会です

日本バプテスト連盟 篠崎キリスト教会

2007年7月4日祈祷会(サムエル記下12章、その男はあなただ)

投稿日:2019年8月21日 更新日:

1.ダビデに対する告発

・ダビデは部下ウリヤを殺して、その妻バテシバを自分のものとした。しかし、王であろうと罪は見過ごしにされない。主はダビデを断罪し、その罪を責められる。主は預言者ナタンをダビデの下に遣わされる。
―?サムエル11:27−12:1「喪が明けると、ダビデは人をやって彼女を王宮に引き取り、妻にした。彼女は男の子を産んだ。ダビデのしたことは主の御心に適わなかった。主はナタンをダビデのもとに遣わされた」。
・ナタンは一つのたとえ話を王に語る。王は金持ちの男の無慈悲な行為を怒る。
―?サムエル12:1-5「ナタンは来て、次のように語った『二人の男がある町にいた。一人は豊かで、一人は貧しかった。豊かな男は非常に多くの羊や牛を持っていた。貧しい男は自分で買った一匹の雌の小羊のほかに何一つ持っていなかった。・・・ある日、豊かな男に一人の客があった。彼は訪れて来た旅人をもてなすのに、自分の羊や牛を惜しみ、貧しい男の小羊を取り上げて自分の客に振る舞った』。ダビデはその男に激怒し、ナタンに言った『主は生きておられる。そんなことをした男は死罪だ』」。
・人は他者の罪は見えても自分の罪は見えない。だから私たちは礼拝でナタンの言葉「その男はあなただ」を聞く。
―?サムエル12:7「ナタンはダビデに向かって言った『その男はあなただ』」。
・ダビデは一言の言い訳もせずに罪を認め、悔い改める。王であろうと律法の下にある。主は悔い改めたものを赦されるが、罪は赦されても償いは為されねばならない。ダビデとバテシバの間に生まれた子の命はとられる。
―?サムエル12:13-14「ダビデはナタンに言った『私は主に罪を犯した』。ナタンはダビデに言った『その主があなたの罪を取り除かれる。あなたは死の罰を免れる。しかし、このようなことをして主を甚だしく軽んじたのだから、生まれてくるあなたの子は必ず死ぬ』」。
・ダビデは罪の赦しを神に請うて言った「私は主に罪を犯した」。全ての罪は神に対して犯される。従って、私たちが被害者やその家族に謝り、赦されたとしても罪は消えない。罪の赦しが為されるのは神の憐れみだけだ。
―詩篇51:5-6「あなたに背いたことを私は知っています。私の罪は常に私の前に置かれています。あなたに、あなたのみに私は罪を犯し、御目に悪事と見られることをしました。あなたの言われることは正しく、あなたの裁きに誤りはありません」。

2.悔い改めと赦し

・罪の購いとして子の命はとられる。ダビデは主の憐れみを求めて7日間断食したが子は死んだ。
―?サムエル12:15-18「主はウリヤの妻が産んだダビデの子を打たれ、その子は弱っていった。ダビデは子のために神に願い求め、断食した。彼は引きこもり、地面に横たわって夜を過ごした。・・・七日目にその子は死んだ」。
・子が死んだことを知ったダビデは起き上がって主の家で礼拝し、食事した。ダビデの償いは終わった。
―?サムエル12:22-23「子がまだ生きている間は、主が私を憐れみ、子を生かしてくださるかもしれないと思ったからこそ、断食して泣いたのだ。だが死んでしまった。断食したところで、何になろう。あの子を呼び戻せようか。私はいずれあの子のところに行く。しかし、あの子が私の元に帰って来ることはない」。
・しかし、償いはこれで終わらない。ダビデの長子アムノンは暗殺され、次男アブシャロムはダビデに反旗を翻し、戦死していく。ダビデはウリヤがなめた辱めと無念を受けなければいけない。痛みなしに罪の赦しはないのだ。この痛みを通して救いが為されていく。イスラエルも罪の償いとして70年間の捕囚を受けねばならなかった。
―イザヤ40:1-2「慰めよ、私の民を慰めよとあなたたちの神は言われる。エルサレムの心に語りかけ、彼女に呼びかけよ。苦役の時は今や満ち、彼女の咎は償われた、と。罪のすべてに倍する報いを主の御手から受けた、と」。
・罪は血を持って購わなければいけない。罪の赦しとはそれほど重たいのだ。主イエスの購いは高価なものなのだ。「主よ、なぜこれほどまでに」というくらい購いの業は続く。痛みを通して、私たちは精錬されていく。
―ヘブル12:4-7「あなたがたはまだ、罪と戦って血を流すまで抵抗したことがありません。・・・わが子よ、主の鍛錬を軽んじてはいけない。主から懲らしめられても、力を落としてはいけない。なぜなら、主は愛する者を鍛え、子として受け入れる者を皆、鞭打たれるからである。あなたがたは、これを鍛錬として忍耐しなさい」。
・礼拝における十字架の言葉は私たちに対する告発だ。だから私たちは問う「兄弟よ、どうしたらよいですか」。それに対して、復活の赦しが語られる。礼拝は罪を告発し、悔い改めを導き、赦しを宣告する場だ。
―使徒言行録2:37-38「人々はこれを聞いて大いに心を打たれ、ペトロとほかの使徒たちに『兄弟たち、私たちはどうしたらよいのですか』と言った。すると、ペトロは彼らに言った『悔い改めなさい。めいめい、イエス・キリストの名によって洗礼を受け、罪を赦していただきなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けます』」。

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