江戸川区南篠崎町にあるキリスト教会です

日本バプテスト連盟 篠崎キリスト教会

2006年9月27日祈祷会(ルツ記2章、買戻される主)

投稿日:2019年8月21日 更新日:

1.落穂ひろいで生計を立てるルツ

・夫を亡くしたナオミはやはり寡婦となったルツと共に、故郷のベツレヘムに帰る。二人はこれからどう生計を立てればよいかわからない。ルツは落穂ひろいで当面の生活を支えようとする。
―ルツ記2:1-3「ナオミの夫エリメレクの一族には一人の有力な親戚がいて、その名をボアズといった。モアブの女ルツがナオミに、「畑に行ってみます。だれか厚意を示してくださる方の後ろで、落ち穂を拾わせてもらいます」と言うと、ナオミは、「私の娘よ、行っておいで」と言った。ルツは出かけて行き、刈り入れをする農夫たちの後について畑で落ち穂を拾ったが、そこはたまたまエリメレクの一族のボアズが所有する畑地であった」。
・モーセの律法では、生活基盤を持たない寄留者や寡婦、孤児が落穂を拾って生計を立てることが認められていた。イスラエルもエジプトで苦難を味わったのだから、今苦難にあるものを助けよとの趣旨である。
―申命記24:19-22「畑で穀物を刈り入れるとき、一束畑に忘れても、取りに戻ってはならない。それは寄留者、孤児、寡婦のものとしなさい。こうしてあなたの手の業すべてについて、あなたの神、主はあなたを祝福される。・・・あなたは、エジプトの国で奴隷であったことを思い起こしなさい。私はそれゆえ、あなたに行うように命じるのである」。
・それは慈善ではない。現在の平安は主の恵みによるものあり、困窮の人に手を閉じるなと命じられている。
―出エジプト記22:21-23「寡婦や孤児はすべて苦しめてはならない。もし、あなたが彼を苦しめ、彼が私に向かって叫ぶ場合は、私は必ずその叫びを聞く。そして、私の怒りは燃え上がり、あなたたちを剣で殺す。あなたたちの妻は寡婦となり、子供らは、孤児となる」。
・畑の持主ボアズは見知らぬ女性が落穂ひろいをしているのがナオミの嫁ルツであることを知ると、彼女に好意を示す。
―ルツ記2:8-9「私の娘よ、よく聞きなさい。よその畑に落ち穂を拾いに行くことはない。ここから離れることなく、私のところの女たちと一緒にここにいなさい。刈り入れをする畑を確かめておいて、女たちについて行きなさい。若い者には邪魔をしないように命じておこう。喉が渇いたら、水がめの所へ行って、若い者がくんでおいた水を飲みなさい。」
・ルツはこの好意に感謝する。ボアズはルツのけなげな生き方を主は嘉して下さるのだと答える。
―ルツ記2:11-12「主人が亡くなった後も、姑に尽くしたこと、両親と生まれ故郷を捨てて、全く見も知らぬ国に来たことなど、何もかも伝え聞いていました。どうか、主があなたの行いに豊かに報いてくださるように。イスラエルの神、主がその御翼のもとに逃れて来たあなたに十分に報いてくださるように。」

2.ゴーエール(買い戻すもの)

・ルツはこうして多くの落穂を拾うことが出来た。家に帰ると姑ナオミは収穫の多さに驚く。
―ルツ記2:17-18「ルツはこうして日が暮れるまで畑で落ち穂を拾い集めた。集めた穂を打って取れた大麦は一エファほどにもなった。それを背負って町に帰ると、しゅうとめは嫁が拾い集めてきたものに目をみはった」。
・ナオミは訳を聞いて、それがボアズの親切によるものだと知ると、神に感謝した。
―ルツ記2:20「ナオミは嫁に言った「どうか、生きている人にも死んだ人にも慈しみを惜しまれない主が、その人を祝福して下さるように。その人は私たちと縁続きの人です。私たちの家を絶やさないようにする責任のある人の一人です」。
・2:20は新共同訳では「その人は私たちと縁続きの人です」とあるが、原文は新改訳のように「買戻す」である。
―ルツ記2:20「生きている者にも、死んだ者にも、御恵みを惜しまれない主が、その方を祝福されますように。・・・その方は私たちの近親者で、しかも買い戻しの権利のある私たちの親類のひとりです。」(新改訳)
・買戻す=ガーアルとは贖うとの意である。律法では、近親者が土地をなくしたり、奴隷になった場合は、縁続きのものが買い戻すように定められていた。不幸な状況は終わらせなければいけないからである。
―レビ記25:47-49「あなたの同胞が貧しくなって、あなたのもとに住む寄留者ないしはその家族の者に身売りしたときは、身売りをした後でも、その人は買戻しの権利を保有する。その人の兄弟はだれでもその人を買戻すことができる。おじとかいとこも買戻すことができる。その人の一族の血縁の者も買戻すことができる」。
・分詞形ゴーエールは買戻す者=購い主になる。エリメレクの親族ボアズはエリメレクの土地をそのやもめと共に買戻す立場にある。そのボアズがルツに親切にしたことをナオミは主の憐れみとしてとらえた。希望の光が見えてきた。主がイスラエルをエジプトから救出されたことも、バビロン捕囚からの解放も、この購うという言葉が使われている。
―出エジプト6:6「イスラエルの人々に言いなさい。私は主である。私はエジプトの重労働の下からあなたたちを導き出し、奴隷の身分から救い出す。腕を伸ばし、大いなる審判によってあなたたちを贖う」。
―イザヤ43:1「ヤコブよ、あなたを創造された主は、イスラエルよ、あなたを造られた主は、今、こう言われる。恐れるな、わたしはあなたを贖う。あなたは私のもの。私はあなたの名を呼ぶ」。
・この贖いがキリストの十字架によってなされたというのが新約聖書の信仰である。
―ローマ3:24「ただキリスト・イエスによる贖いの業を通して、神の恵みにより無償で義とされるのです」。

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