1.逃れの町の規定
・レビ人は生産手段としての土地を持たず、他の部族の献げる供え物の十分の一で生きるように定められる。
−民数記18:23-24「レビ人のみが臨在の幕屋の作業をし、その罪責を負わねばならない。これは、代々にわたって守るべき不変の定めである。彼らは、イスラエルの人々の間では嗣業の土地を持ってはならない。私は、イスラエルの人々が主にささげる献納物の十分の一をレビ人に彼らの嗣業として与えるからである」。
・しかし、生活のために土地は必要である。各部族はレビ人の居住のための土地を提供するように求められる。
−民数記35:2-3「嗣業として所有する土地の一部をレビ人に与えて、彼らが住む町とし、その町の周辺の放牧地もレビ人に与えなさい。町は彼らの住む所、放牧地は彼らの家畜とその群れ、その他すべての動物のためである」。
・この世の収入を絶って主のために働く者は、それにふさわしい生活の糧を与えられる。伝道者もそうだ。
−?コリ9:13-14「神殿で働く人たちは神殿から下がる物を食べ、祭壇に仕える人たちは祭壇の供え物の分け前にあずかります。主は、福音を宣べ伝える人たちには福音によって生活の資を得るようにと、指示されました」。
・レビ人に与えられる町のうち、六つの町は、誤って人を殺した者が逃れるための「逃れの町」とされる。
−民数記35:6「人を殺した者が逃れるための逃れの町を六つレビ人に与えそれに加えて四十二の町を与えなさい」。
・人を殺した者はその責任を取って死ななければならない。しかし、誤って殺した者は救われるべきだ。
−民数記35:20-25「憎しみを込めて人を突くか、故意に人に物を投げつけるかして、死なせるか、または、敵意を抱いて殴りつけて、人を死なせた場合、手出しをした者は必ず死刑に処せられる。・・・敵意もなく、思わず人を突くか、故意にではなく人に何かを投げつけるか、または、人を殺せるほどの石を、よく見もせずに人の上に落とすかして、人を死なせた場合、その人がその敵でもなく、危害を加えようとしたのでもないときには、共同体はこれらの判例に基づいて、殺した当人と血の復讐をする者との間を裁かなければならない。共同体は、人を殺してしまった者を血の復讐をする者の手から救い出し、共同体が、彼の逃げ込んだ逃れの町に彼を帰さなければならない」。
・「目には目を」の報復が当然とされた時代にあって、過失者を許せという規定が設けられた。私たちも、キリストと言う逃れの町が与えられている。罪を犯した者も悔い改めれば許される。
*ドストエフスキー「罪と罰」−「金貸しの老婆を殺してシベリヤ流刑になったラスコリニコフは、ソーニャの献身により、悔い改める。・・・地の果てのような所で数年を過ごした後、復活祭過ぎのある朝、蒼白くやせた二人は、川のほとりでものも言わずに腰を下ろしていた。突然、彼は泣いてソーニャの膝を抱きしめる。彼女の無私の愛が、遂に彼を深く揺り動かしたのである。二人の目には涙が浮かんでいた。・・・愛が彼らを復活させたのである」
2.相続権を持つ女子の結婚について
・土地は部族に配分されるが、女子が相続者の時、結婚により土地が夫の部族への所有に移転する危険があった。
−民数記36:2-3「わが主は、私たちの親族ツェロフハドの嗣業の土地をその娘たちに与えるように、主から命じられました。もしその娘たちが他の部族のイスラエル人のだれかと結婚するとしますと、娘たちの嗣業の土地は私たちの先祖の嗣業の土地から削られ、嫁いだ先の部族の嗣業の土地に加えられることになり、それは、くじによって割り当てられた私たちの嗣業の土地から削られてしまいます」。
・嗣業の土地を守るために、娘たちは父方の一族とだけ結婚するように命じられる。
−民数記36:6-8「娘たちは自分を気に入ってくれた男と結婚してよい。ただ、父方の部族の一族の者とだけ結婚できる。イスラエルの人々の嗣業の土地が一つの部族から他の部族に移ることはなく、イスラエルの人々はそれぞれ、父祖以来の部族の嗣業の土地を固く守っていかなければならない。イスラエルの人々の諸部族の中で、嗣業の土地を相続している娘はだれでも、父方の部族の一族の男と結婚しなければならない。それにより、イスラエルの人々はそれぞれ、父祖伝来の嗣業の土地を相続することができる」。
・結婚は男女の選択だけで決まる者ではなく、より以上の意味を持つゆえ、ある種の制約が必要だ。今日的に言えば、キリスト者はキリスト者のみと結婚すべきなのだろうか。信仰を守るためにはその方が望ましい。しかし、未信者との結婚が禁止されているわけではない。
−?コリ6:14「あなたがたは、信仰のない人々と一緒に不釣り合いな軛につながれてはなりません。正義と不法とにどんなかかわりがありますか。光と闇とに何のつながりがありますか」。
−?コリ7:14「信者でない夫は、信者である妻のゆえに聖なる者とされ、信者でない妻は、信者である夫のゆえに聖なる者とされているからです」。