江戸川区南篠崎町にあるキリスト教会です

日本バプテスト連盟 篠崎キリスト教会

2004年2月4日祈祷会(レビ記3章、和解の献げ物)

投稿日:2019年8月21日 更新日:

1.和解の献げ物

・和解の献げ物とは、神の恵みに感謝する、あるいは神が罪を赦し和解して下さったことに対する応答として捧げられる。
−レビ記3:1「献げ物を和解の献げ物とするときは、牛であれば、雄であれ雌であれ、無傷の牛を主にささげる。」
・焼く尽くす献げ物では、全てを焼いた。和解の献げ物では、血は祭壇に注ぎ、脂肪は燃やすが、他の部分は祭司や奉納者が主の前で食する。神の前での食事こそ、神との親交、平和、和解の象徴であった。
−申命記12:6-7「焼き尽くす献げ物、いけにえ、十分の一の献げ物、収穫物の献納物、満願の献げ物、随意の献げ物、牛や羊の初子などをそこに携えて行き、あなたたちの神、主の御前で家族と共に食べ、あなたたちの手の働きをすべて喜び祝いなさい。あなたの神、主はあなたを祝福されているからである。」
・しかし、動物の命である血と脂肪は神に捧げなければならない。
−レビ記3:2-5「奉納者が献げ物とする牛の頭に手を置き、臨在の幕屋の入り口で屠ると、アロンの子らである祭司たちは血を祭壇の四つの側面に注ぎかける。奉納者がこの牛を燃やして主にささげる和解の献げ物とする場合は、内臓を覆っている脂肪、内臓に付着するすべての脂肪、二つの腎臓とそれに付着する腰のあたりの脂肪、および腎臓と共に切り取った肝臓の尾状葉を取る。アロンの子らはこれを、祭壇の燃えている薪の上の焼き尽くす献げ物と共に煙にする。これが燃やして主にささげる宥めの香りである。」
・最も良い部分は神に返せ、血と脂肪は神のものである。これが和解の献げ物の根本である。
−レビ記3:17「脂肪と血は決して食べてはならない。これはあなたたちがどこに住もうとも、代々にわたって守るべき不変の定めである。」
・神がアベルの献げ物を顧みられたのは、アベルが群れの最上の物を献げ物として持ってきたからだ。
−4:3-5創世記「カインは土の実りを主のもとに献げ物として持って来た。アベルは羊の群れの中から肥えた初子を持って来た。主はアベルとその献げ物に目を留められたが、カインとその献げ物には目を留められなかった。」
・献げ物が大事なのではなく、献げる心が大事だ。心がこもらない時、どのようなものを捧げても意味はない。イエスが宮清めをされたのも、犠牲を捧げればよいという信仰の形式化を怒られたからだ。
−ヨハネ2:15-16「イエスは縄で鞭を作り、羊や牛をすべて境内から追い出し、両替人の金をまき散らし、その台を倒し、鳩を売る者たちに言われた。『・・・私の父の家を商売の家としてはならない。』」

2.今日の私たちは何を献げるのか

・今日の私たちは、神との和解のために動物の犠牲を捧げない。何故ならば、キリストが、十字架で犠牲として、私たちのために死なれたからだ。
−ヘブル9:11-12「キリストは、既に実現している恵みの大祭司としておいでになったのですから、人間の手で造られたのではない、すなわち、この世のものではない、更に大きく、更に完全な幕屋を通り、雄山羊と若い雄牛の血によらないで、御自身の血によって、ただ一度聖所に入って永遠の贖いを成し遂げられたのです。」
・キリストが私たちのために死んでくださったことによって、私たちは神と和解することが出来た。だから、私たちが為すべき、最上の献げ物は、自分の生涯を神に捧げることだ。
−ローマ12:1「兄弟たち、神の憐れみによってあなたがたに勧めます。自分の体を神に喜ばれる聖なる生けるいけにえとして献げなさい。これこそ、あなたがたのなすべき礼拝です。」
・神との和解が成立した者は、他者との和解も可能だ。それが「報復しない」というキリスト者の生き方となる。
−12:18-21「あなたがたは、すべての人と平和に暮らしなさい。愛する人たち、自分で復讐せず、神の怒りに任せなさい。・・・「あなたの敵が飢えていたら食べさせ、渇いていたら飲ませよ。そうすれば、燃える炭火を彼の頭に積むことになる。」悪に負けることなく、善をもって悪に勝ちなさい。」
・この時、平安が私たちに臨む。これがキリストにある平安だ。
−2:14-16エペソ「キリストは私たちの平和であります。二つのものを一つにし、御自分の肉において敵意という隔ての壁を取り壊し、規則と戒律ずくめの律法を廃棄されました。こうしてキリストは、双方を御自分において一人の新しい人に造り上げて平和を実現し、十字架を通して、両者を一つの体として神と和解させ、十字架によって敵意を滅ぼされました。」

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