江戸川区南篠崎町にあるキリスト教会です

日本バプテスト連盟 篠崎キリスト教会

2004年11月24日祈祷会(民数記15章、希望のささやき)

投稿日:2019年8月21日 更新日:

1.反逆の後で

・民数記11−14章は、民が約束の地に入ることをためらったため、民が再び荒野に推し戻された記事を描く。
−民数記14:26-34「この悪い共同体は、いつまで、私に対して不平を言うのか。・・・お前たちは死体となってこの荒れ野に倒れるであろう。私に対して不平を言った者は・・・私が手を上げて誓い、あなたたちを住まわせると言った土地に入ることはない。・・・お前たちの子供は、荒れ野で四十年の間羊飼いとなり、お前たちの最後の一人が荒れ野で死体となるまで、お前たちの背信の罪を負う。あの土地を偵察した四十日という日数に応じて、一日を一年とする四十年間、お前たちの罪を負わねばならない。」
・民は神の約束を喜ぶのではなく、恐れた。人が自分の思いに囚われた時、約束の地も恐怖の地になる。
−民数記13:32-33「3我々が偵察して来た土地は、そこに住み着こうとする者を食い尽くすような土地だ。我々が見た民は皆、巨人だった。そこで我々が見たのは、ネフィリムなのだ。アナク人はネフィリムの出なのだ。我々は、自分がいなごのように小さく見えたし、彼らの目にもそう見えたにちがいない」
・その時、人は祝福を与えるとの神の約束が見えなくなり、奴隷の地で会ったエジプトが救いの地に見えてくる。
−民数記14:3「どうして、主は我々をこの土地に連れて来て、剣で殺そうとされるのか。妻子は奪われてしまうだろう。それくらいなら、エジプトに引き返した方がましだ。」
・民は荒野に押し戻され、呆然として目の前の荒野を見詰めた。そこに神の赦しがささやかれた「お前達は約束の地に入ることは出来ないが、子供達は入る。その時にはこのようにして礼拝を行え」と。
−民数記15:2-5「私が与える土地にあなたたちが行って住むとき、特別の誓願を果たすため、あるいは随意の献げ物をささげるとき、または祝日に、牛もしくは羊の群れから取って焼き尽くす献げ物あるいは和解の献げ物とし、燃やして主にささげる宥めの香りとするときには、奉納者は十分の一エファの上等の小麦粉に四分の一ヒンのオリーブ油を混ぜた穀物の献げ物を主に対する献げ物としてささげる。また、焼き尽くす献げ物あるいは和解の献げ物に加え、小羊一匹につき四分の一ヒンのぶどう酒をぶどう酒の献げ物としてささげる」。
・小麦粉、オリーブ油、ぶどう酒は荒野にない。荒野にないものを捧げるとは、民の反逆にも関らず、約束は生きており、その約束は次の世代に果たされるだろうとの確認だった。まだ見ぬものを信じていくのが信仰だ。
−ヘブル11:13「この人達は皆信仰を抱いて死にました。約束されたものを手に入れませんでしたが、はるかにそれを見て喜びの声をあげ、自分たちが地上ではよそ者であり、仮住まいの者であることを公に言い表したのです」

2.誤って犯した罪と故意に犯した罪

・主は民に教えられる「誤って犯した罪は購いを捧げることによって赦される」。
−民数記15:22-24「あなたたちが過ちを犯し・・・これらすべての命令を守らなかった場合・・・共同体全体は若い雄牛一頭を焼き尽くす献げ物として主にささげる宥めの香りとし、これに加えて、定められたとおりに穀物の献げ物、ぶどう酒の献げ物をささげ、更に、雄山羊一匹を贖罪の献げ物としてささげる。祭司がイスラエルの人々の共同体全体のために贖いの儀式をすると、彼らの罪は赦される。それは過失だからである。」
・献げ物を献げる、それは神と和解をすることだ。神は献げ物を必要とされない。ただ、捧げる人の悔い改めの心を喜ばれる。洪水の後で主は言われた「もう、人を滅ぼすようなことはすまい」。
−創世記「主は宥めの香りをかいで、御心に言われた『人に対して大地を呪うことは二度とすまい。人が心に思うことは、幼いときから悪いのだ。私は、このたびしたように、生き物をことごとく打つことは、二度とすまい』」。
・しかし、故意に犯した罪は赦されない。それは神を侮る行為だからである。
−民数記15:30-31「故意に罪を犯した者は、主を冒涜する者であり、その人は民の中から断たれる。彼は主の言葉を侮り、その命令を破ったのであるから、必ず断たれ、その罪責を負う」。
・安息日に薪を拾い集めた者は殺された。安息日を守れとの主の掟を無視したからである。現代から見れば過酷な刑罰であるが、荒野において共同体の秩序を守るためにはやむをえなかったのだろう。
−民数記15:32-36「イスラエルの人々が荒れ野にいたときのこと、ある男が安息日に薪を拾い集めているところを見つけられた。・・・共同体全体は・・・彼を宿営の外に連れ出して石で打ち殺したので、彼は死んだ」。
・新約に置いても全ての罪は赦されるが、聖霊を冒涜する者は赦されないと記す。
−マルコ3:28-29「人の子らが犯す罪やどんな冒涜の言葉も、すべて赦される。しかし、聖霊を冒涜する者は永遠に赦されず、永遠に罪の責めを負う」。

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