1.技術者の任命
・幕屋を造るために専門の技術者が任命される。彼は霊に満たされて幕屋を造る。
―出エジプト記31:2-5「私はユダ族のフルの孫、ウリの子ベツァルエルを名指しで呼び、彼に神の霊を満たし、どのような工芸にも知恵と英知と知識をもたせ、 金、銀、青銅による細工に意匠をこらし、宝石をはめ込み、木に彫刻するなど、すべての工芸をさせる。」
・その技術者には助け手が与えられ、彼にもまた聖霊が与えられる。
―出エジプト記「 私はダン族のアヒサマクの子オホリアブを、彼の助手にする。私は、心に知恵あるすべての者の心に知恵を授け、私があなたに命じたものをすべて作らせる。」
2.安息日の遵守
・幕屋建設のためであっても7日目は休めと言われる。その安息日は神と民の契約のしるしであり、聖なるものであるから破れば死罪となる。
―出エジプト記31:13-14「あなたたちは、私の安息日を守らねばならない。それは、代々にわたって私とあなたたちとの間のしるしであり、私があなたたちを聖別する主であることを知るためのものである。安息日を守りなさい。それは、あなたたちにとって聖なる日である。それを汚す者は必ず死刑に処せられる。だれでもこの日に仕事をする者は、民の中から断たれる。」
・出エジプト記においては、安息日は創造主を覚えるためである。危険な、物に乏しい荒野を放浪する民にとって、世界が主により創造されたことを覚えるほど安心なことはない。
―出エジプト記20:11「六日の間に主は天と地と海とそこにあるすべてのものを造り、七日目に休まれたから、主は安息日を祝福して聖別されたのである。」
・申命記においては、エジプトからの解放を覚えて安息日を守れと言われる。約束の地に入った民は感謝を忘れて、自分達の楽しみだけを求めるようになるからだ。
―申命記5:15「あなたはかつてエジプトの国で奴隷であったが、あなたの神、主が力ある御手と御腕を伸ばしてあなたを導き出されたことを思い起こさねばならない。そのために、あなたの神、主は安息日を守るよう命じられたのである。」
・やがて民は異国の地に捕囚とされる。幕屋を失った民にとって、安息日を守ることだけが神との4契約が継続していることのしるしだった。彼らは安息日を死をもって守るようになった。民数記の記事にもそれが反映する。
―民数記15:32-36「イスラエルの人々が荒れ野にいたときのこと、ある男が安息日に薪を拾い集めているところを見つけられた。見つけた人々は、彼をモーセとアロンおよび共同体全体のもとに連れて来たが、どうすべきか、示しが与えられていなかったので、留置しておいた。主はモーセに言われた。『その男は必ず死刑に処せられる。共同体全体が宿営の外で彼を石で打ち殺さねばならない。』共同体全体は、主がモーセに命じられたとおり、彼を宿営の外に連れ出して石で打ち殺したので、彼は死んだ。」
・やがて民は安息日には全てが禁じられると思い込む。イエスの時代のパリサイ派の人々がそうだった。
―マタイ12:10-12「片手の萎えた人がいた。人々はイエスを訴えようと思って『安息日に病気を治すのは、律法で許されていますか』と尋ねた。そこで、イエスは言われた。『あなたたちのうち、だれか羊を一匹持っていて、それが安息日に穴に落ちた場合、手で引き上げてやらない者がいるだろうか。人間は羊よりもはるかに大切なものだ。だから、安息日に善いことをするのは許されている。』」
・律法は祝福であり、人間のために与えられている。しかし、人間はそれを制度にして、人間を縛るものにしてしまう。イエスが繰り返し言われたことは、祝福としての律法であったが、民は理解しなかった。
―マタイ12:6-8「言っておくが、神殿よりも偉大なものがここにある。もし、『私が求めるのは憐れみであって、いけにえではない』という言葉の意味を知っていれば、あなたたちは罪もない人たちをとがめなかったであろう。人の子は安息日の主なのである。」
・同時にそこまでして安息日を守ろうとした民の熱意もすばらしい。私たちにも律法は依然として必要なのだ。
―マタイ5:17-20「私が来たのは律法や預言者を廃止するためだ、と思ってはならない。廃止するためではなく、完成するためである。・・・あなたがたの義が律法学者やファリサイ派の人々の義にまさっていなければ、あなたがたは決して天の国に入ることができない。」