1.契約法典(20:22−26)
・出エジプト記20−23章は契約法典であり、十戒の現実化としての法を定めた。パレスチナに定着したイスラエルが、当地で行われていた慣習や法等を基礎に、自分たちの信仰でそれを修正していったものとされている。
・最初は偶像礼拝の禁止とあるべき礼拝についての規定である。
―出エジプト記20:23−24「あなたたちはわたしについて、何も造ってはならない。銀の神々も金の神々も造ってはならない。あなたは、わたしのために土の祭壇を造り、焼き尽くす献げ物、和解の献げ物、羊、牛をその上にささげなさい。わたしの名の唱えられるすべての場所において、わたしはあなたに臨み、あなたを祝福する。」
・礼拝とは集う人々の信仰が問題であり、祭壇は華美である必要はない。最初の祭壇は土で作られたが、やがて人間は簡素な祭壇に満足できなくなる。出エジプト記27章がそれを示す。
―出エジプト記27:1-3「アカシヤ材で祭壇を造りなさい。・・・祭壇の四隅にそれぞれ角を作り、祭壇から生えているように作り、全体を青銅で覆う。灰を取る壺、十能、鉢、肉刺し、火皿などの祭具はすべて青銅で作る。」
2.隷属と自由(21:1−11)
・イスラエルは奴隷制度をカナンから受け取り、採用したが、大幅に制度を変えている。男の奴隷は7年目には解放せよと定められている。しかも解放する時には、7年間の働きに見合うものを与えよと命令されている。これは奴隷と言うよりも年季奉公の雇い人に対する扱いだ。奴隷=エベドは僕とも訳せる。
―申命記15:13-14「自由の身としてあなたのもとを去らせるときは、何も持たずに去らせてはならない。あなたの羊の群れと麦打ち場と酒ぶねから惜しみなく贈り物を与えなさい。それはあなたの神、主が祝福されたものだから、彼に与えなさい。」
・女の奴隷は男とは異なる。女奴隷=アーマーははしための意味であり、側女ないし妻として遇されている。それは主人が勝手に出来るものではなく、そこにおいて女奴隷の人権が認められている。
―出エジプト記21:11「もし彼が別の女をめとった場合も、彼女から食事、衣服、夫婦の交わりを減らしてはならない。もし彼がこの三つの事柄を実行しない場合は、彼女は金を支払わずに無償で去ることができる。」
・何故、このような寛大な規定が生まれたのか。それはイスラエルもエジプトで奴隷として苦しめられたから、奴隷たちを苦しめるなという主の命令に従ったからだ。
―レビ記25:39-42「もし同胞が貧しく、あなたに身売りしたならば、その人をあなたの奴隷として働かせてはならない。雇い人か滞在者として共に住まわせ、ヨベルの年まであなたのもとで働かせよ。・・・エジプトの国から私が導き出した者は皆、私の奴隷である。彼らは奴隷として売られてはならない。」
3.暴力の抑制(21:12−36)
・殺人、両親への肉体的また精神的暴力、誘拐は死罪になると法は定める。その一方で誤って人を殺したものは避難することが出来ると定める(逃れの町の規定)。
―出エジプト記21:13「故意にではなく、偶然、彼の手に神が渡された場合は、私はあなたのために一つの場所を定める。彼はそこに逃れることができる。」
・傷害についての基本は同害報復法(目には目を)である。
―出エジプト記21:23-25「もし、その他の損傷があるならば、命には命、目には目、歯には歯、手には手、足には足、やけどにはやけど、生傷には生傷、打ち傷には打ち傷をもって償わねばならない。」
・人を自然のままに放置すれば力ある者は無制限の報復を行う。同害報復はこれを抑制するための人間の知恵だ。
―創世記4:24 「カインのための復讐が七倍なら/レメクのためには七十七倍。」
・しかしイスラエル人はこの同害報復を乗り越えていく。報復は主の業であり、主に委ねる。
―申命記32:35「私が報復し、報いをする/彼らの足がよろめく時まで。彼らの災いの日は近い。」
・イエスは更に先に進むように私たちに教えられた。
―マタイ5:38-39「あなたがたも聞いているとおり、『目には目を、歯には歯を』と命じられている。しかし、私は言っておく。悪人に手向かってはならない。だれかがあなたの右の頬を打つなら、左の頬をも向けなさい。」