1.ファラオに対峙するモーセ
・モーセとアロンは神の命を受け、イスラエル人を解放せよとファラオに求めた。それに対し、ファラオは「主などは知らない」として、その要求を拒絶し、要求を体制に対する反抗のしるしとして、抑圧を強化させた。
―出エジプト5:6-9「ファラオはその日、民を追い使う者と下役の者に命じた。「これからは今までのように、彼らにれんがを作るためのわらを与えるな。わらは自分たちで集めさせよ。しかも、今まで彼らが作ってきた同じれんがの数量を課し、減らしてはならない。彼らは怠け者なのだ。だから自分たちの神に犠牲をささげに行かせてくれなどと叫ぶのだ。・・・仕事をきつくすれば、偽りの言葉に心を寄せることはなくなるだろう。」
・当時、レンガは泥に砂とわらを混ぜ、日に干して作った。これまでは、わらはエジプトから供給されていた。これからは自分たちでわらをも集めなければいけない。労働が大幅に強化された。
―出エジプト5:10-11「民を追い使う者と下役の者は出て行き、民に向かって、「ファラオはこう言われる。『今後、お前たちにわらは一切与えない。お前たちはどこにでも行って、自分でわらを見つけて取って来い。ただし、仕事の量は少しも減らさない』」と言った」。
2.モーセを告発するイスラエルの指導者
・イスラエルの指導者たちは、モーセが王に不当な要求をしたため、苦しみが増したと告発した。
―出エジプト5:20-21「彼らがファラオのもとから退出して来ると、待ち受けていたモーセとアロンに会った。彼らは、二人に抗議した。「どうか、主があなたたちに現れてお裁きになるように。あなたたちのお陰で、我々はファラオとその家来たちに嫌われてしまった。我々を殺す剣を彼らの手に渡したのと同じです。」
・その告発を受けて、モーセもまた、神に文句を言った。
―出エジプト5:22-23「わが主よ。あなたはなぜ、この民に災いをくだされるのですか。わたしを遣わされたのは、一体なぜですか。わたしがあなたの御名によって語るため、ファラオのもとに行ってから、彼はますますこの民を苦しめています。それなのに、あなたは御自分の民を全く救い出そうとされません。」
・民は主が彼らの苦しみを聞かれて行動を起こされたことに感謝し、礼拝した。しかし、物事がうまくいかないと、すぐに不平を言い始めた。
―出エジプト4:30-31「アロンは主がモーセに語られた言葉をことごとく語り、民の面前でしるしを行ったので、民は信じた。また、主が親しくイスラエルの人々を顧み、彼らの苦しみを御覧になったということを聞き、ひれ伏して礼拝した。」
・王が簡単にはイスラエル人を解放しないであろうことは既にモーセに告げられている。しかし、モーセはそれを忘れて神に抗議している。
―出エジプト3:19-20「私は強い手を用いなければエジプト王が行かせないことを知っている。私は自ら手を下しあらゆる驚くべき業をエジプトの中で行いこれを打つ。その後初めて王はあなたたちを去らせるであろう。」
3.抑圧からの解放
・ファラオの体制は、少数者が大衆の労働力から利益を得るピラミッド体制であり、「あめとむち」の政策が取られていた。イスラエル人は体制の中で苦しんでいたのに、より大きな困難が来ると、体制を懐かしがった。
―出エジプト14:11-12「我々を連れ出したのは、エジプトに墓がないからですか。荒れ野で死なせるためですか。一体何をするためにエジプトから導き出したのですか。我々はエジプトで『ほうっておいてください。自分たちはエジプト人に仕えます。荒れ野で死ぬよりエジプト人に仕える方がましです』と言ったではありませんか。」
・預言者たちもしばしば、神の言葉がすぐに成就しない時、あざ笑う民の声に悩まされる。これからモーセが直面すべきはそのような苦難だ。それが始まった。
―イザヤ49:4「わたしは思った/わたしはいたずらに骨折り/うつろに、空しく、力を使い果たした、と。」
―エレミヤ20:18「なぜ、私は母の胎から出て労苦と嘆きに遭い/生涯を恥の中に終わらねばならないのか。」
・救いは簡単には成就しない。救いの成就のためには多くのゲッセマネの祈りが必要なのだ。救いは十字架を通してしか来ないのだ。
―ルカ22:44「イエスは苦しみもだえ、いよいよ切に祈られた。汗が血の滴るように地面に落ちた。」